友はみんな遠く去り
(H23.12.31)
山仲間で一番の親友「大石金雄さん」が亡くなって8年が経つ。大石さんのことは今でも山に登る度に山路のどこかで思い出しては、「この景色はすばらしいね」と彼の面影に囁けば、「そうだなあ」と私の心の中に返事が返ってくる。このようなこと繰り返しながら今年も14回ほど里山を登ってきた。私の登山史のメインをなすものは大石さんと一緒に登った南アルプスの全山縦走である。この縦走を語らずして私の登山史はありえないのである。大石さんが亡くなってから私の登山スタイルも変わった。大石さんが生きていたならば、年齢に関係なく、もっと南アルプスの山々に傾倒していたに違いない。というのは二人の出会いがそこにあり、二人とも南アルプスが故郷の山であるからである。今年の10月、自治労退職者会連合の総会で豊橋に行った時に、新幹線の車窓から大石さんと登った、竜爪山はじめとする安部川流域の山々、その奥に南アルプス等が望め、彼との思い出が一気に蘇るとともに、大石さんが住んでいた静岡市を新幹線は一瞬のうちに走り抜ける。
★晩秋の思い出多き駿河かな
★亡き友を偲ぶ山並み秋深む
●振り返ってみても大石さんとのお付き合いは15年間であったが、一瞬の出来事のように凝縮されたものとなってしまった。ましてやその思い出を誰にも語らずに、私は心の中の大石さんに語りかけている。大石さんが生きていたら、白山の紅葉を見に行こうと約束していたことや、聖岳から茶臼岳までの縦走はじめとする楽しい山旅が続いたことだろうかと、思うことしばしばである。大石さんが亡くなってからは、南アルプスは私にとっても遠い山となってしまったことと、思い出を辿る山旅も適わぬ夢となってしまった。大石さんと一緒に残した踏み跡を記録した「山には友情がある」の手作り本と写真、それに大石さんが亡くなってから年一度書き加えているエッセイ等も私が亡くなればゴミとして捨てられてしまうことは確かなことなので、それらを何とか長く残したいという、私の気持ちも歳を重ねるうちに強くなってきた。 ●そんな思いでいた時に、彩の国いきがい大学伊奈学園でホームページに出会った。ホームページはインターネットに繋がっていて永久保存がきき、大勢の人に見てもらえるので、このホームページを使って、私がこれまでに積み上げてきた登山やスキーの資料を整理し、公開することも一つの区切りとなるのではと考えてホームページ掲載することにした。 タイトルを「わが青春」として、トップページに「山には友情がある」を掲載し、大石さんとの山旅の写真で飾った。それから2年が経つが、ホームページを開く度に大石さんとのページが目に入ってくる。そうしたことで大石さんとの山旅の思い出を長く残すことに成功したといえる。他の山仲間も遠く去り、毎年寂しい思いをすることが多くなってきたが、彼らの記録もホームページの片隅に掲載されている。わが登山人生に感謝あるのみ。
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