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         大石さん富士山を撮る 真富士山山頂H3.11.17               私と大石さん 南アルプス三又山を背にH7.10.8

▲▲大石さんとの出会い▲▲ 

 三千米峰すべてを繋ぎ、日本海から太平洋へ山岳横断を目指している私に、安部奥の山中で「一つの偶然の出会い」があった。それは平成元年の秋、新窪乗越で休んでいた時のことである。扇の要方面から一人の老人が登って来た。挨拶すれば、大谷崩の紅葉を撮りに来たとか。言葉を交わすうちに、この辺りの山についての会話が弾み、あげくは大谷嶺(2000m)まで同行してくれた。頂上でお互いに自己紹介して、静岡市の「大石さん」と知る。八紘嶺(1917m)まで縦走して梅が島温泉発の最終バスに乗るつもりだと話すと、静岡まで車で帰るので送ってくれると言うが、初対面なので遠慮して別れた。これが大石さんとの最初の出会いである。                                             八紘嶺で日が暮れてしまい、最終バスに乗るために真っ暗な林道を走り、やっと最終バスに間に合う時間に林道ゲートに着いた。そこへ大石さんが山での言葉どおりに私を迎えに来てくれた。この親切さには頭が下がった。ご厚意に甘えて車で静岡駅まで送ってもらった。車中で「奥さんが亡くなるまで、山で捕獲した小鳥を家で飼い馴らして鳴かせるのが趣味だったが、その後は小鳥を飼うのはやめて写真撮影に切り替えたこと」なども話してくれた。何気ない素朴な親切さに対して、何かお礼しなくてはと考えた末、一番のお礼は大石さんと山に登ることだと気付いた。それがもとで登山の世界へ誘い込んでしまった。                                                 ★我が故郷「甲斐の国」と大石さんの住む「駿河の国」とは、背中あわせに南アルプスが横たわっている。そこへの山行を重ねうちに、お互いにこれまでの踏み跡を繋ぎ合わせ、一周しようとの思いが芽生え、二人の未踏峰「薮深き南アルプス深南部の山々と白峰南嶺」へテントを担いで、今日まで山行を重ねて来た。その間に中央アルプスの駒ケ岳から大平峠まで登りつないだこともある。ある時、「大谷嶺で出会わなかったら、山などとは縁のない生き方をしていたと思うが、感動した生き方が出来たか疑問だ。山に登ることでこの10年間は充実していた」と、暗闇の迫る南アルプス山中のテントの中で大石さんが話してくれた。その言葉に私はどんなに救われる思いがしたことか。二人で登り始めてから11年余の歳月が流れた。この秋、未踏だった黒沢山から鎌崩の頭まだ縦走して南アルプス一周は達成された。時に大石さん68歳、私が58歳である。                                           ★最後の夜を不動岳(2171m)で迎えた。私の体調が思わしくなかったことを気遣ってのことかわからないが、「幕営山行はこれで終わりにしよう。記念にこのテントをあげるよ」と、大石さんがぽっつりと語った。私も何故か急に寂しさが込み上げて来た。顧みれば、長年に渡り山行を重ねて、こだわりの南アルプス一周が達成できたのも大石さんの協力があってのことなので、「そうだね」と力なく頷いた。下山後、大石さんは精密検査の結果、癌が発見された。不動岳での夜、大石さんが語った「幕営山行はこれで終わりにしよう」は体が言わしめたと思った。私は二人だけの踏み跡「山には友情がある」を急いでまとめて病床の大石さんに届けた。(H11.12)  

                                 私の夏休み

夏が来れば都会の人は、涼を求めて海へ山へと出掛けていく。私もその中の一人であることには変わりない。私は海よりも山が好きなので、これまでも毎年、北アルプスを中心に登ってきた。しかし、中高年の登山ブームと相成って、交通の便が良くて山小屋が整備されている北アルプス、中央アルプスや南アルプス北部の山々は都会並みの混雑が続く昨今である。私は静岡市の大石さんと知り合ってからは、そのような喧騒な山旅を避けて、昭和50年環境庁によって、「大井川源流部原生林自然環境保全地域」に指定され、豊かな自然がそのままの形で残されている南アルプス深南部の山々を度々訪れるようになった。                                             ★水場は乏しく、小屋もなく、道もない原生林と笹藪に包まれた山稜に先人の微かな踏み跡と鉈目や赤布を追い、途切れれば地図と磁石で道を切り開く山域には、有名な山と違って誰とでも共鳴しあうような感動はない。そこは静寂が支配し、生き物の賑わいと植生の濃密さがあり、太古の昔より新陳代謝を繰り返している手付かずの山域で、文明の垢を拒絶する清廉潔白な原始の体質が強く残っている。                                        ★この山域に通いだして7回目になるが、藪山中で休息しながら、何時も大石さんと語るのは「早くこの山域を卒業したいね」との繰り返しである。それでも魅せられるのは、この山域には整備された有名な山では得られない手作りの充実感があるからではないだろうか。(H7.8記)

 
           ▲山伏より大石さんと出会った大谷崩と大谷嶺を望む▼大谷嶺の私(H1.10.23) 

 
南アルプス・大石さんとの登頂アルバム
              仙丈岳                                  間ノ岳                                          農鳥岳
       広河内岳

      笊ヶ岳

       塩見岳

   蝙蝠岳から見た塩見岳

  蝙蝠岳から見た塩見岳

    茶臼岳   光岳

        聖岳       赤石岳  荒川岳  布引岳   笊ヶ岳         間ノ岳 北岳
                        青薙山  

     畑薙ダムから茶臼岳〜上河内岳を望む                               大無間山                          

                          大無間山        風イラズ

 

                       大根沢山                                                          信濃俣


南アルプス深南部・大石さんとの登頂アルバム

     
              沢口山              前黒法師岳               黒法師岳 

    カモシカ平〜丸盆岳

   黒法師岳とバラ谷の頭

     鹿の平と不動岳
        鹿の平

      黒沢山

      中ノ尾根山 
             鶏冠山    池口岳
 
   黒薙 から池口岳を望む               池口岳の北峰           池口岳山頂付近からの光岳  
 
  左より前黒法師岳、   黒法師岳、丸盆岳、鎌崩岳、不動岳、    中ノ尾根山、       光岳、信濃俣 
 
 

             朝日岳登山口へ猿並吊橋を渡る

                            朝日岳 

安部川流域の山・大石さんとの登頂アルバム

   
山伏山頂                           大谷嶺            八紘嶺
    新窪乗越と大谷崩れ

谷ガレから山伏を望む

緑に囲まれた安倍峠

      安倍大滝         十枚山           青笹山 
   

     真富士山 

       竜爪山

     鯨ヶ池から浅間山

   
突先山 

     牛ヶ峰から富士山を望む

     二王山登山口

 
  
   

中央アルプス・大石さんとの登頂アルバム

   

  空木岳から見た木曽駒ケ岳                     

        千畳敷と宝剣岳      檜尾岳
 

            熊沢岳

               空木岳

                         南駒ケ岳

      越百岳   安平路山

越百岳

    大平林道ら摺古木か山を望む

 安平路小屋と安平路山

恵那山


丹沢山地・大石さんとの登頂アルバム

 

檜洞丸

  菰釣山     御正体山

 

          大室山

富士山

          加入道山


その他の登山・大石さんとの登頂アルバム

愛鷹連峰

越前岳と富士山

乗鞍岳

美ヶ原高原

大石金雄さんを偲び思いを綴る




友はみんな遠く去り

(H23.12.31)

山仲間で一番の親友「大石金雄さん」が亡くなって8年が経つ。大石さんのことは今でも山に登る度に山路のどこかで思い出しては、「この景色はすばらしいね」と彼の面影に囁けば、「そうだなあ」と私の心の中に返事が返ってくる。このようなこと繰り返しながら今年も14回ほど里山を登ってきた。私の登山史のメインをなすものは大石さんと一緒に登った南アルプスの全山縦走である。この縦走を語らずして私の登山史はありえないのである。大石さんが亡くなってから私の登山スタイルも変わった。大石さんが生きていたならば、年齢に関係なく、もっと南アルプスの山々に傾倒していたに違いない。というのは二人の出会いがそこにあり、二人とも南アルプスが故郷の山であるからである。今年の10月、自治労退職者会連合の総会で豊橋に行った時に、新幹線の車窓から大石さんと登った、竜爪山はじめとする安部川流域の山々、その奥に南アルプス等が望め、彼との思い出が一気に蘇るとともに、大石さんが住んでいた静岡市を新幹線は一瞬のうちに走り抜ける。

                                    ★晩秋の思い出多き駿河かな

★亡き友を偲ぶ山並み秋深む

振り返ってみても大石さんとのお付き合いは15年間であったが、一瞬の出来事のように凝縮されたものとなってしまった。ましてやその思い出を誰にも語らずに、私は心の中の大石さんに語りかけている。大石さんが生きていたら、白山の紅葉を見に行こうと約束していたことや、聖岳から茶臼岳までの縦走はじめとする楽しい山旅が続いたことだろうかと、思うことしばしばである。大石さんが亡くなってからは、南アルプスは私にとっても遠い山となってしまったことと、思い出を辿る山旅も適わぬ夢となってしまった。大石さんと一緒に残した踏み跡を記録した「山には友情がある」の手作り本と写真、それに大石さんが亡くなってから年一度書き加えているエッセイ等も私が亡くなればゴミとして捨てられてしまうことは確かなことなので、それらを何とか長く残したいという、私の気持ちも歳を重ねるうちに強くなってきた。                   ●そんな思いでいた時に、彩の国いきがい大学伊奈学園でホームページに出会った。ホームページはインターネットに繋がっていて永久保存がきき、大勢の人に見てもらえるので、このホームページを使って、私がこれまでに積み上げてきた登山やスキーの資料を整理し、公開することも一つの区切りとなるのではと考えてホームページ掲載することにした。 タイトルを「わが青春」として、トップページに「山には友情がある」を掲載し、大石さんとの山旅の写真で飾った。それから2年が経つが、ホームページを開く度に大石さんとのページが目に入ってくる。そうしたことで大石さんとの山旅の思い出を長く残すことに成功したといえる。他の山仲間も遠く去り、毎年寂しい思いをすることが多くなってきたが、彼らの記録もホームページの片隅に掲載されている。わが登山人生に感謝あるのみ。


▲私の代表的な山行記録

 

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