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▲大平山〜蔵の町

     

     (平成22年4月3日)

退職者会ハイキング部を立ち上げて17回目の例会は、私の担当なので下見をしなくてもすんでしまう、大平山に行くことにした。本来なら3月中に行うべき例会ではあるが、桜のお花見を兼ねているので日程をずらして4月3日にしてもらった。神奈川や都内に住んでいる人から見ても遠い東武日光線の新大平下駅に10時集合を案内しているので、どれだけの人が集まるのか心配のタネでもあったことは言うまでもない。担当者として早めに新大平下駅に行きみんなをまった。驚くなかれ10時になったので点呼してみれば、初参加のひとを含めて22名の参加である。それに携帯電話で電車を乗り間違えたので大平山神社で待っていると辻さんが報告してきた。なんと23名の参加で私の杞憂もどこかに吹っ飛んでしまった。駅前の桜は満開に近いほどの咲きぶりであり、今日は町の桜祭りでもある。これならば大平山でも期待できるのではと思って出発した。  ★大平山へは指導標もしっかりしているので、それに従って何回も道を曲がり、最後に国道を横切って山裾の集落に入ると登山口にすぐに着いた。ここで栃木市の観光協会の副会長をしている方が車を止めていて、私達に参加人数分の観光パンフをくれた。有難いことで、パンフはみんなの役にも立った。登りだしは整備された杉林の中を登っていく。私は心臓のペースメーカーを入れている岡部さんにつきそってゆっくりと歩く。私も最近、山に登っていないので、遅い人のペースに合わせると自分が楽なのだ。                   ★まず桜の名所で知られる謙信平に着いたが、今年は寒すぎて蕾とあって我々をがっかりさせる。謙信平というのは、1568年関東平野を競い、対立した越後の上杉謙信と小田原の北条氏康は大中寺で仲直りした後、上杉謙信はその軍を引き連れて太平山に登り兵馬の訓練を行った。その時に謙信は南の方に空の果てまで広がった平原を見渡して、あらためて関東平野の広さに目を見張ったと言われている。この場所が「謙信平」と呼ばれるゆえんとか。それ故にここからの眺めは「陸の松島」ともよばれているが、残念ながら桜の花はなく、空も霞んでいては展望もなく、我々の期待は見事に外れてしまった。観光バスも何台も訪れている盛況ぶりだが、みんな期待はずれにがっかりしていることだろう。我々は辻さんの待つ大平神社へ急いだ。無事、辻さんに会うことが出来た。大平神社は827年慈覚大師によって創建されたと言われ、家光以来徳川歴代将軍の崇敬を受けたところだという。私が来るたびに立ち寄っている東側の展望が開ける茶屋へ案内する。いつも一番に賑わう所なのにお客が少ないではないか。グループでテーブルや椅子を確保できたのは、風が冷たいのでみなさん敬遠してしまつたためらしい。寒いので茶屋の中で卵焼きや焼き鳥を食べるが美味しいと連発だった。次に山門を抜けて紫陽花参道と言われている長い石段を下る。今の時期は白い小花の二輪草が盛りで見応えがある。山を下り切ったところに太山寺がある。ここの枝垂れ桜は有名である。老木は満開で見事だった。これをバックに記念写真を撮った。つぎにバスで栃木市の小江戸「蔵の町」に向かった。                 ★ここは幕末から明治年間にかけ、日光例弊使街道の宿場町として、また巴波川(うずまがわ)の船運により商人町として栄えた商都で今も商人町の姿を残している。川沿いに歩いて見学したところ、丁度、観光舟が出ていて絵になった。川越に比較してみれば数が少ないのではと思った。帰りに飲み屋を探したがないので新栃木駅で解散した。


▲笠山峠〜愛宕山

    

    (平成22年4月13日)

★昨夜は猛烈な雨だったので、今日の天気はどうなることかと思っていたが、なんとか天気も回復しだした。妻は川島町農協で買っている米もなくなってきたので、ついでに山清水を汲みに行こうと言い出した。それの方が効率的に車を使えるのではとの思いからでもある。私は雨が上がったばかりなので、あまり関心はなかったのだが行くことにした。いつものように荒川に架かる上尾の開閉橋を渡り、すぐに右折して川島町へ土手を1キロほど走るが、ここの土手の斜面には菜の花が咲き乱れ目を見張るばかりの光景だ。一つ一つの花はそれほど魅力もないが、群生して大きなエリアを占領して咲くさまは、見る人を圧倒させるほどの迫力があり,魅せられてしまう。土手を走りぬけると、田園風景が広がる。道沿いの人影もない農家の家々には、春を謳歌する様々な花が咲き乱れ長閑さを感じずにはいられない。今日も定番コースで嵐山町農協まで国道254号を一直線に走る。嵐山町農協で野菜と惣菜を買う。ここは値段も安く野菜の束も大きいのが魅力でついつい買いすぎてしまう。販売所の裏側に広がる里山風景も素晴らしい。ここで四季の風景を見ているが、若葉と紅葉の頃が実にきれいで見応えがある。この地区はガソリンも安いので、道沿いにあるガソリンスタンドのガソリン値段をチエックしながら小川町へ。山清水を汲みにいくので、その前に小川町農協でガソリンを補給したが、その先にあるガソリンスタンドの方が1円安かったし、以前入れたこともある農協前のガソリンスタンドが廃業していたのには驚いた。やはり値段の過当競争に勝てなかったのであろう。                     ★里山の裾野に広がる集落には様々な花が咲き乱れ華やかであるが、人影を見ないのが何とも寂しい。昨日の雨で今日晴れ上がったとはいえ、水汲みを敬遠したのか、水汲み場には誰もいない。途中から一組が来たのみ。120リットルを汲んで笠山峠へと車を走らせた。笠山の緑色の斜面に点々と白く山桜が咲き、山肌を明るくしている。山を下りたところに廃校になった小学校分校の桜が見事なので一枝いただいた。桜はこの分校が開校した時に植えられたのであろう。今は誰も訪れないが、それでも季節が来ると一途に咲く愛しさが何とも言えない。毎年、この桜を楽しみにしている。私が一番好きな風景は秩父高原牧場のビジターセンターから見る笠山や堂平山の風景である。今は桜が咲き風景に花を添えている。それでも今日は人影をみない。帰りに寄ることにして、一路、嵐山農協販売所で買ってきた弁当を食べるため、定番となっている二本木キャンプ場の「あづまや」に向かう。クヌギの大木の林の中にあるバンガロウが何棟も立つ入口の道路沿いにある「あづまや」の夏は涼しくて快適なところだが、今日は気温も上がらず寒すぎるほどだ。昼食をしていると前の道路を時々車が走り抜けていく以外は静寂の世界。その静寂にアクセントをつけるかのようにカラスや鶯の鳴き声を時々耳にする。ここのキャンプ場も予測を立てて建設したのであろうが、利用者はなく見込み外れで閉鎖せざるを得なかったのであろう。                                   ★昼食後はお定まりの愛宕山登山である。林道から20分もあれば登頂できるが、我々は草花を見ながらゆっくりと登る。山スミレがあちこちに花をつけている様が何とも可愛い。いけないことだがその可愛さにまけて土を付けて一株を持ってきた。牧場の中にある桜の名木を見に行ったが、あまり花をつけておらず、期待はずれだった。帰りに川島町農協で米を買って一日が終わった。


▲秩父高原牧場〜愛宕山

 

     (平成22年8月13日)

★一昨年から自分を取り巻く環境が変化したことから、次第に登山の回数も少なくなってきた。特に今年は体調を崩してしまったことから登山どころではない。7月10日の朝、メマイがしたのでびっくりもした。庭の植木に散水しようと思ったらふらふらして立っていられないほどだ。現職時代も度々あったことなので一週間様子を見ても改善しないので、以前、同じような病で苦しんだ山の先輩安田さんに電話したら、総合病院の耳鼻咽喉科で診察してもらった方が良いとアドバイスをいただいた。そこで車を運転し社会保険総合病院に着けば、耳鼻科はお休みなので内科に回してもらったら、メマイはまず耳鼻科で診察することと言ってメマイ止の薬を2種類出してくれた。薬を飲んで様子を見ると、幾らか改善されたものの、まだ、メマイが続くので耳鼻科に行ったところ、耳からくる病ではなく脳梗塞などを疑われてしまい、頭のMRAを撮ることになった。それからMRAを撮ってから診察を受けると異常はないので前庭神経炎ではないかと診断され1ヶ月間の薬を飲んで様子を見ることになった。薬のお蔭で大分メマイも改善されてきた。これまでをメマイを振り返ってみると、常に肩こりが酷く、パソコンなど肩に力を入れてキーボードを打つと一瞬メマイに襲われていることもあり、寝ている時も肩に力が入っていることも判ってきた。それらの改善を図るために軽い散歩から始め、肩の体操なども始めた。状態も良くなってきたので、高齢者運転免許講習会にも参加した。           ★今日は笠山の山清水を汲みに行くことにした。お盆とあってか国道が混雑しており、県道の開閉橋を通過するまで時間が掛かってしまった。その影響で定番コースの嵐山町農協まで国道254号を一直線に走るが、嵐山町農協に着くのが何時もより多少遅れてしまった。そのためかお盆のためか野菜と惣菜が売れきれ寸前だった。それでもここは値段も安く野菜の束も大きいのが魅力でついつい買いすぎてしまう。それから一路、笠山を目指す。林道に入る手前に秋海棠の群生地は満開に近かった。帰りに寄ることにして水場に急ぐ。水汲み場には一人居たのみで直ぐに2つの蛇口を確保できたので、120リットルも直ぐに汲めた。本来ならば笠山峠へ越えるのだが、今日は秋海棠の写真を撮るため引きかえして写真を撮った後、東秩父村農協によって野菜等を買ってから秩父高原に向かった。お盆休みのため秩父高原牧場は家族連れで賑わっている。       ★私が一番好きな風景は秩父高原牧場のビジターセンターから見る笠山や堂平山の風景は、今日は曇天で形無しである。帰りに寄ることにして、一路、嵐山農協販売所で買ってきた弁当を食べるため、定番となっている二本木キャンプ場の「あづまや」に向かう。クヌギの大木の林の中にあるバンガロウが何棟も立つ入口の道路沿いにある「あづまや」の夏は涼しくて快適なところだ。昼食をしていると前の道路を時々車が走り抜けていく以外は静寂の世界。昼食後はお定まりの愛宕山登山である。林道から20分もあれば登頂できるが、我々は草花を見ながらゆっくりと登る。芋菊があちこちに咲いており何とも可愛い。霧につつまれた山頂に着けば、妻も反対側から登って来た。私は山の高低などどうでもよいことで山の息吹に触れることが好きなのだ。帰りに牧場に寄って美味しいアイスクリームを食べて山を下った。


▲笠山峠〜堂平山

 

    (平成22年10月2日)

★7月10日、メマイが始まり、MRIを撮ってから診察を受けると異常はないというので薬を飲んで様子を見ることになった。夏の炎暑も過ぎ去り、涼しい秋となったこともあって体調もよくなってきたとは言うものの、時々、メマイの症状はあるが、前よりも軽くなったことは事実だ。病直後の8月は運転を心配しながら笠山の山清水を汲みに来て、秩父高原牧場から二本木キャンプ場の「あづまや」で昼食を食べてから愛宕山に登った。今回は前よりも状態がよいので1ヶ月半ぶりに水汲みにゆくことになった。この夏は熱中症で500人以上が亡くなるという猛暑の惨事となったこともあって私は殆ど家の中で過ごしてきた。9月に入ってから動き出した。                                            ★今日も定番コース上尾の開閉橋を通過する。ここから川島町へ入るまで川堤を走るが彼岸花が満開できれいだった。川島町の刈田の脇の水路にはタナゴを釣る人々で結構賑わっている。刈田には白鷺も群れている光景は何とも長閑なことか。定番コースの嵐山町農協まで国道254号を一直線に走る。嵐山町農協に着くのが何時もより早かったので混雑している。野菜も惣菜も数は豊富で安い。野菜の束も大きいのが魅力でついつい買いすぎてしまう。それから一路、笠山を目指す。小川町を走り抜けて槻川を渡った左側の川岸は彼岸花が満開で一家族が川遊びしているのみの静けさである。本当に穴場だ。何も巾着田に行くよりはここの方がゆっくりと鑑賞できる。林道に入る手前に秋海棠の群生地は満開を過ぎているとはいえまだ花をつけている。写真を撮り水場に急ぐ。水汲み場には一人居たのみで直ぐに2つの蛇口を確保できたので、120リットルも直ぐに汲めた。今日は笠山峠から堂平山に登ることにして、林道を登って行くと萩の花が、今が盛りとばかり咲き誇っている。                                              ★笠山峠には我々と同じように堂平山を目指す家族も二組もいた。それに加えて笠山から堂平山に向かう人も何組も見かけた。今日の天気は青空もあり登山日和なので大勢の人が山を楽しんでいる。妻も私も堂平山は久しぶりなので草花、風、風景や俳句を楽しみながら登っていく。木立の中の山路は少し湿っぽいが微風が心地よく汗もかかない。途中、山栗が落ちているので拾いながら登る。以前も同じようなことをしてきたことが蘇って来る。山頂に近いススキのトンネルを抜け出ると、そこは芝生に覆われたパラグライダーのゲレンデで視界も広がり遠くまで望め言葉要らない。陽射しが強いので木陰の下で景色を眺めながら昼食とした。我々よりも一足先に着いたご夫婦と独りの老人も昼食を食べながらこの景色を見入っていた。突然、上空にヘリコプターが爆音を轟かせあっというま秩父市の方へ飛んでいった。そこで我々は山頂を訪れた。山頂標識の周りはアマチュア無線家がパラボアアンテナを立てて交信している。その内の一人の年配者と交信について話を交わすと、NHKの朝の8時15分から番組に出ている柳沢さんもそこにいると教えてくれたので、柳沢さんに挨拶してことばを交わしながら妻と一緒に記念写真を撮らせてもらった。柳沢さんの一面を見させてもらいホッとした。テレビよりもいい男だった。よい記念になったので妻も大喜び。                 ★笠山峠に戻ってから秩父高原牧場へと車を走らせ、ビジターセンターによって笠山の写真を撮り、売店に下って美味しいアイスクリームを食べて山を下った。


▲三毳山

 

   (平成22年11月6日)

時々、北川辺の道の駅まで買い物に来る。一ヶ月前に新米を買いにきた。その時に次は三毳山に行こうと決めていた。今日は天気がよいので久しぶりにドライブがてらで掛けた。加須まで東北自動車沿いを走るが、高速道路は1000円とあって渋滞で一般道よりも混み合っているのが望める。天気がよいので渡良瀬遊水地の土手を走るのも広い空間があり気持ちがよい。今日はまず三毳山の道の駅へと走らせる。道の駅に着いたら駐車場が入りきれないほど混雑している。我々もここで野菜や弁当を買って三毳山に向かう。                  ★久しぶりに歩いて登りだす。家族連れで登って行く人、下りてくる人、マメ汽車に乗って登って行く人や下りてくる人たちで大いに賑わっている。途中で12時過ぎになってしまったので山路の途中にある「あづまや」で買ってきたお弁当を、山の空気に触れながら陽だまりの中で食べられるなんて最高だ。それから富士山が見えると言われている山頂の展望台までゆっくりと登って行く。山頂の展望台から渡良瀬遊水地や佐野市を見渡すことが出来るが富士山は霞空で見えなかった。山頂から少し下りたところに子供の円筒式の滑り台が3本あるが子供達で賑わっており、親はハラハラしながら降り口で待っているのが印象的だった。のんびりと歩いて登山口に下り、売店によったら昔の賑わいは無くアイスクリームだけ売っている。道の駅が出来てから廃れてしまったという。アイスクリームを食べながら山を振り返ってから、植物園を訪れて花を買って家路についた。


▲湯河原・城山

 

    (平成22年11月28日)

★都庁山岳部安田先輩との懇親登山は、先輩が定年退職した2年後の昭和63月10日22日に第一回目として「仙丈ヶ岳登山」を実施した。それ以来、私が万年幹事として企画して続いているが、昨年は先輩の体調が思わしくなく、実施日の直前になってキャンセルとなった。透析している安武さんは、この懇親登山を毎年楽しみにしている。昨年は残念だったねと電話をいただき、「来年は実施するから楽しみにしてて」と電話を切った。まさか、安武さんが9月に亡くなるとは夢にも思わなかった。葬儀を終えてから奥様から私に電話があり、初めて知ったので仲間に声を掛けてお線香を上げにうかがった。その帰りに安武さんが楽しみにしていたことを思うと、今年は亡き友「安武さん、谷口さん、宮原さん」を偲ぶ登山を兼ねて実施しようと予定日を決めて今回の実施となった。        ★しかし、安田さんが前日になって足の具合が悪く、登山せずに懇親会のみの参加となった。湯河原駅に10時に集合して城山登山口までバスで行く。登山口周辺は紅葉が素晴らしく、山路も紅葉につつまれていて歩くのに風情を感じずにはいられないほどだ。今日一番心配していたのは大塚先輩の歩みである。これまで腰が悪く歩行も「しゃがんだり立ったり」しながら登るので時間がかかった。その腰を手術したのでどうかなあと見ていたら登山杖を友に、これまでの「しゃがんだり立ったり」の様子はなく、遅れながらでも登ってくる姿を見てホッとした。本人も安心した様子である。563mの山頂に立てば南に相模湾が広がり、東に一昨年安武さん達と登った幕山が見えて言うこと無し。 今日は安武さんの写真も持って来ているので、海にむかって「安武さん 城山に着いたよ」と叫んでしまった。昨年、中止にしなかったらここに立てたのにと思うと残念でならない。先客がいたので我々の集合写真を撮ってもらってからワインで乾杯の昼食となった。大塚さんは毎回ワインとツマミを担ぎ上げて山頂で祝杯を挙げるのが常であり、我々も楽しませてもらっている。今日は安武さんのこともあって飲めないワインを紙コップに一杯飲んだら、直ぐに酔いがまわり顔面は真赤になってしまった。楽しい一時を過ごし、椿台に向かう。          ★こちらの道は途中に石畳があるように整備されているではないか。やがて見覚えのある広場に出る。この広場は11年前に懇親登山で訪れた所である。写真を持って来ているので見せたら、当時の風景と変っていないので、当時の写真の仲間を懐かしんでいた。その時も宮原さんがなくなった翌日であることから忘れられない地でもある。椿台までは広い道で直ぐにバス停についたが、バスの待ち時間が1時間もあるので、近くの源頼朝縁の「しとどの窟」まで足を伸ばした。バスが定刻3時15分になっても到着しないので通りかかったタクシーで今宵の宿「ウエルシ湯河原」まで送ってもらった。安田先輩とも合流して5名が揃い、12時近くまで懇親会が続いた。みなさん登山から遠ざかってしまったので、山の話は少なくなり、むしろ今の日本の政治を憂い、様々な話しが出された。      ★翌日は、湯河原駅まで歩いたが、途中にある元東京都職員共済組合湯河原荘は立派なマンションに建替えられていた。ここには思い出が沢山あり、時代の流れを感じずにはいられなかった。


▲大霧山

 

    (平成22年12月7日)

最近、マイホームページに「私の登山史」として県別にまとめて掲載するようにしている。これまで私が登山した回数は453回である。その中でどこの県が一番多いかと言えば、勿論、自分が住んでいる埼玉県であることは言うまでもない。全体の1/3に近い151回である。その中でも一番登っている山は41回である。この山に登りだしたのは平成9年6月のことである。秩父高原牧場から登山口の粥仁田峠に出て、1時間ほど登り、雑木林の山路を抜けて一登りすると好展望の標高766mの山頂に着く。目の前に秩父市と美の山が望め、春には美の山の桜が咲いている状況が手に取るように見える。天気に恵まれれば、東に筑波山、西に武甲山から奥秩父、両神山、二子山、御荷鉾山、浅間山、稲含山、鼻曲山、浅間隠山、北に榛名山、上越国境の山々、赤城山や日光連山などが望める。この山の展望が大好きで笠山に清水を汲みに来る度に、妻とこの山に登り、四季折々の風景を楽しんできた。この山に都庁山岳部安田先輩や谷口先輩を案内したこともあった。それほど私の好きな山である。              ★今年は昨年から体調も不安定なので一度も登っていなかったが、今日は一人で清水汲みにゆくことになったので、この際に一度は登っておかないことには話しにならないので笠山の清水を汲み終わってから、笠山峠を越えて朝日根部落を通る林道を遡り粥仁田峠に向かったが、林道が途中で途切れる細道となったり、秩父高原牧場の中を走ったりするので心細くなり、間違ったのかと思ったりもした。最後にやっと峠らしき道に出た時はほっとした。路肩には一台も駐車していないので誰も登山している人はいないと推測して落葉につつまれた山路を登っていった。途中でザックのポケットのチャックが空いていて双眼鏡を落としたことに気がついたが、誰かが登ってきたら「落ちていませんでしたか」と聞けばいいやと思って、山頂へと急いだ。登りだしは寒くて一枚厚着したが、途中で汗をかくほどになったので脱いで腰に巻きつけて登る。風が汗ばんだ体を冷やしてくれ心地よい。周囲に目をやれば、木々はみな冬支度して木葉を落とし、既に春に備えて芽蕾を出し始めている。これが木々にとっての一サイクルなのである。林が空けると谷底も見え始める。妻と登る時はなるべく青葉につつまれて谷底が見えない時を狙っている。今年はこの山で拾った団栗を鉢に埋めて置いたところ、芽を出して小枝をつけた幹になったので山に植え替えに行こうと思っていたが、そのチャンスがなかった。その代わりに庭紅葉として楽しませてくれ、落葉して裸木になっている。来年山に返したい。                                                            ★山頂に着けば、誰もいないので山頂を一人占めにして景色を楽しんだ。空は寒空で雲に抑えられているが、東の筑波や日光連山が望めないものの、他の山並みは望め、私にとっては言うことなし。一人で昼食するのもいいが、やはり相手がいておしゃべりしながら食べるほうが楽しいことに決まっている。冷え込んできたので双眼鏡を探しながら下り始める。どこで落としたが検討がついているので、落葉道に目を凝らして下ると道の真ん中に落ちているのを発見。これで私につきがあったと感謝して、大事にザックにしまいこんだ。今日は私以外に登山した人が居なかったのであろう。私にとって今日は心に残る登山となった。