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▲三毳山
(平成22年11月6日) ★時々、北川辺の道の駅まで買い物に来る。一ヶ月前に新米を買いにきた。その時に次は三毳山に行こうと決めていた。今日は天気がよいので久しぶりにドライブがてらで掛けた。加須まで東北自動車沿いを走るが、高速道路は1000円とあって渋滞で一般道よりも混み合っているのが望める。天気がよいので渡良瀬遊水地の土手を走るのも広い空間があり気持ちがよい。今日はまず三毳山の道の駅へと走らせる。道の駅に着いたら駐車場が入りきれないほど混雑している。我々もここで野菜や弁当を買って三毳山に向かう。 ★久しぶりに歩いて登りだす。家族連れで登って行く人、下りてくる人、マメ汽車に乗って登って行く人や下りてくる人たちで大いに賑わっている。途中で12時過ぎになってしまったので山路の途中にある「あづまや」で買ってきたお弁当を、山の空気に触れながら陽だまりの中で食べられるなんて最高だ。それから富士山が見えると言われている山頂の展望台までゆっくりと登って行く。山頂の展望台から渡良瀬遊水地や佐野市を見渡すことが出来るが富士山は霞空で見えなかった。山頂から少し下りたところに子供の円筒式の滑り台が3本あるが子供達で賑わっており、親はハラハラしながら降り口で待っているのが印象的だった。のんびりと歩いて登山口に下り、売店によったら昔の賑わいは無くアイスクリームだけ売っている。道の駅が出来てから廃れてしまったという。アイスクリームを食べながら山を振り返ってから、植物園を訪れて花を買って家路についた。
▲湯河原・城山
(平成22年11月28日)
★都庁山岳部安田先輩との懇親登山は、先輩が定年退職した2年後の昭和63月10日22日に第一回目として「仙丈ヶ岳登山」を実施した。それ以来、私が万年幹事として企画して続いているが、昨年は先輩の体調が思わしくなく、実施日の直前になってキャンセルとなった。透析している安武さんは、この懇親登山を毎年楽しみにしている。昨年は残念だったねと電話をいただき、「来年は実施するから楽しみにしてて」と電話を切った。まさか、安武さんが9月に亡くなるとは夢にも思わなかった。葬儀を終えてから奥様から私に電話があり、初めて知ったので仲間に声を掛けてお線香を上げにうかがった。その帰りに安武さんが楽しみにしていたことを思うと、今年は亡き友「安武さん、谷口さん、宮原さん」を偲ぶ登山を兼ねて実施しようと予定日を決めて今回の実施となった。 ★しかし、安田さんが前日になって足の具合が悪く、登山せずに懇親会のみの参加となった。湯河原駅に10時に集合して城山登山口までバスで行く。登山口周辺は紅葉が素晴らしく、山路も紅葉につつまれていて歩くのに風情を感じずにはいられないほどだ。今日一番心配していたのは大塚先輩の歩みである。これまで腰が悪く歩行も「しゃがんだり立ったり」しながら登るので時間がかかった。その腰を手術したのでどうかなあと見ていたら登山杖を友に、これまでの「しゃがんだり立ったり」の様子はなく、遅れながらでも登ってくる姿を見てホッとした。本人も安心した様子である。563mの山頂に立てば南に相模湾が広がり、東に一昨年安武さん達と登った幕山が見えて言うこと無し。 今日は安武さんの写真も持って来ているので、海にむかって「安武さん 城山に着いたよ」と叫んでしまった。昨年、中止にしなかったらここに立てたのにと思うと残念でならない。先客がいたので我々の集合写真を撮ってもらってからワインで乾杯の昼食となった。大塚さんは毎回ワインとツマミを担ぎ上げて山頂で祝杯を挙げるのが常であり、我々も楽しませてもらっている。今日は安武さんのこともあって飲めないワインを紙コップに一杯飲んだら、直ぐに酔いがまわり顔面は真赤になってしまった。楽しい一時を過ごし、椿台に向かう。 ★こちらの道は途中に石畳があるように整備されているではないか。やがて見覚えのある広場に出る。この広場は11年前に懇親登山で訪れた所である。写真を持って来ているので見せたら、当時の風景と変っていないので、当時の写真の仲間を懐かしんでいた。その時も宮原さんがなくなった翌日であることから忘れられない地でもある。椿台までは広い道で直ぐにバス停についたが、バスの待ち時間が1時間もあるので、近くの源頼朝縁の「しとどの窟」まで足を伸ばした。バスが定刻3時15分になっても到着しないので通りかかったタクシーで今宵の宿「ウエルシ湯河原」まで送ってもらった。安田先輩とも合流して5名が揃い、12時近くまで懇親会が続いた。みなさん登山から遠ざかってしまったので、山の話は少なくなり、むしろ今の日本の政治を憂い、様々な話しが出された。 ★翌日は、湯河原駅まで歩いたが、途中にある元東京都職員共済組合湯河原荘は立派なマンションに建替えられていた。ここには思い出が沢山あり、時代の流れを感じずにはいられなかった。
▲大霧山
(平成22年12月7日) ★最近、マイホームページに「私の登山史」として県別にまとめて掲載するようにしている。これまで私が登山した回数は453回である。その中でどこの県が一番多いかと言えば、勿論、自分が住んでいる埼玉県であることは言うまでもない。全体の1/3に近い151回である。その中でも一番登っている山は41回である。この山に登りだしたのは平成9年6月のことである。秩父高原牧場から登山口の粥仁田峠に出て、1時間ほど登り、雑木林の山路を抜けて一登りすると好展望の標高766mの山頂に着く。目の前に秩父市と美の山が望め、春には美の山の桜が咲いている状況が手に取るように見える。天気に恵まれれば、東に筑波山、西に武甲山から奥秩父、両神山、二子山、御荷鉾山、浅間山、稲含山、鼻曲山、浅間隠山、北に榛名山、上越国境の山々、赤城山や日光連山などが望める。この山の展望が大好きで笠山に清水を汲みに来る度に、妻とこの山に登り、四季折々の風景を楽しんできた。この山に都庁山岳部安田先輩や谷口先輩を案内したこともあった。それほど私の好きな山である。 ★今年は昨年から体調も不安定なので一度も登っていなかったが、今日は一人で清水汲みにゆくことになったので、この際に一度は登っておかないことには話しにならないので笠山の清水を汲み終わってから、笠山峠を越えて朝日根部落を通る林道を遡り粥仁田峠に向かったが、林道が途中で途切れる細道となったり、秩父高原牧場の中を走ったりするので心細くなり、間違ったのかと思ったりもした。最後にやっと峠らしき道に出た時はほっとした。路肩には一台も駐車していないので誰も登山している人はいないと推測して落葉につつまれた山路を登っていった。途中でザックのポケットのチャックが空いていて双眼鏡を落としたことに気がついたが、誰かが登ってきたら「落ちていませんでしたか」と聞けばいいやと思って、山頂へと急いだ。登りだしは寒くて一枚厚着したが、途中で汗をかくほどになったので脱いで腰に巻きつけて登る。風が汗ばんだ体を冷やしてくれ心地よい。周囲に目をやれば、木々はみな冬支度して木葉を落とし、既に春に備えて芽蕾を出し始めている。これが木々にとっての一サイクルなのである。林が空けると谷底も見え始める。妻と登る時はなるべく青葉につつまれて谷底が見えない時を狙っている。今年はこの山で拾った団栗を鉢に埋めて置いたところ、芽を出して小枝をつけた幹になったので山に植え替えに行こうと思っていたが、そのチャンスがなかった。その代わりに庭紅葉として楽しませてくれ、落葉して裸木になっている。来年山に返したい。 ★山頂に着けば、誰もいないので山頂を一人占めにして景色を楽しんだ。空は寒空で雲に抑えられているが、東の筑波や日光連山が望めないものの、他の山並みは望め、私にとっては言うことなし。一人で昼食するのもいいが、やはり相手がいておしゃべりしながら食べるほうが楽しいことに決まっている。冷え込んできたので双眼鏡を探しながら下り始める。どこで落としたが検討がついているので、落葉道に目を凝らして下ると道の真ん中に落ちているのを発見。これで私につきがあったと感謝して、大事にザックにしまいこんだ。今日は私以外に登山した人が居なかったのであろう。私にとって今日は心に残る登山となった。
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