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▲笠山峠〜笠山〜笹山

  (H26.11.8)




毎月一度は小川町笠山に山清水を汲みに行く。毎回は正月も近いので野菜やお花などを買うこともあって、極力、年の瀬に嵐山町農協や川島農協を訪れることにして天気の一番良い日を選んだ。前回の11月8日で今回も独りで汲みに来た。前日にペットボトルなどを車に積み込んであったことや、朝早く起きて食事、洗濯もすべて終えて家を出たのは9時である。開閉橋までは順調に進む。ここから丹沢山塊、富士山、奥多摩の山々、奥武蔵の山々、浅間山、榛名山、赤城山、その奥に広がる国境の雪嶺、日光連山が望める。            ★10時半近くに嵐山の農協販売所に着き、妻から頼まれた惣菜などを買い込む。安いものだから少し買いすぎた。また、シクラメンや葉ボタンなど正月用の花を買いこんで、水汲み場に急がねばと思って走り出す。寂れた小川町銀座も閑散としている。落ち葉吹き溜まる里の林道に入るも行き交う車なし。水汲み場には一台の車もなく拍子抜けして、いつもの水汲み場で、いつもより少ない160リットルだったので45分と云う短時間で汲み終えた。水場周辺の木立は落葉して静けさの中に湧き水の音のみ響いている。詩的な雰囲気に一句詠みたくなる。汲み終わるとホッとして一仕事終わった実感する一瞬である。                    今日は大石さん、中垣さん、安田さんと亡き山仲間を偲んでの忘年山行として笠山と笹山に登ることにして笠山峠に向かう。路肩には木枯らしに集められた落葉が吹きだまっている。落石に注意しながら七重峠(笠山峠)登っていく。峠には作業用のトラックが一台止まっていたので、挨拶し言葉を交わしてから笠山へ向かう。登りながら亡き友のことを思い出しながら、時には言葉を掛けながら登って行く。笠山西峰に向かう手前にある急斜面の荒れた道で一人の老人に会い、挨拶するだけですれ違う。誰もいない西峰に着く。北側に展望が開け、秩父高原牧場も眼下に望める。笠山神社で昼食をとることにして向かうが、前回は落ち葉だらけで岩場を注意したが、今回は落葉が全て吹き飛ばされていて滑る危険はなく楽だった。11月に続いて笠山神社に着いた。誰もいないと思ったら北東に開けているところで写真を撮っている人がいた。ついでにと思って私の写真をお願いしたら意外にも断られてしまった。山に来てまで心を広げない人には不愉快心極まりない。私は北風を避け神社の西斜面の陽だまりで堂平山をながめ、嵐山農協で買ってきたお弁当を食べる。私にとって幸せな一時でもある。亡き友たちも私の心の中にいて同じように見ているに違いない。                      ★昼食を終えてから神社から西峰へとゆっくり、足元に注意しながら戻る誰もいない山頂の写真を撮って下り出し、ガレ場の所で男性二人に会う。話をすると大霧山〜定峰峠〜堂平山を回って来たとか、話をすると「彩の国いきがい大学東松山学園」出身という、私も伊奈学園出身と言うと話がかみ合い少しおしゃべりしてしまった。最後にお互いの健康を願いつつ別れた。この人たちにあって笠山山頂での不愉快な思いも吹き飛んでしまった。峠に戻ってから久しぶりに笹山を目指す。気温が上がり汗ばんで整備された20分そこそこで山頂に着く。まず裸になって濡れたシャツを脱ぎ寒風摩擦をして一枚薄着になる。この山は笠山の前にある748m山であるが、ここからの東に広がる景色は新宿副都心、池袋、さいたま新都心、筑波山も望める好展望地である。眼下には広い谷間も広があり模型飛行機の滑空場だけのことはある。ここからの笠山は目と鼻の先で双眼鏡に笠山神社もはっきりと望める。また、両神山も視界の中で更にその奥に八ヶ岳連峰の一角も望める。ここから初日の出を見たらどんなに素晴らしいだろうとイメージしながら、しばらく亡き友を偲びながら景色を楽しむ。今年の素晴らしい忘年山行だった。

▲城山(八王子城本丸跡)

  (H26.12.5)







 12月5日は最高のハイキング日和となった。しかし、退職者会のハイキングは、参加したい人は現地集合なので誰が参加するのかわからないのが定番となっている。今回も電車が10分遅れていることから、集合時間を10分遅らせ、そこからすぐに着いた電車で来なければ出発します。予定の集合時間から15分程度遅れて高尾駅を8名で出発した。ところがそれ以降に着いた電車できた人がタクシーで追いかけて私たちに合流したり、同じように電車の遅れで我々がガイダンス施設を見学している時に追いついた方がいて参加者は10名となった。                                            ★まずは北条氏照及び家臣の墓を訪れる。びっくりするのは登り口が急で結構な距離があり、木立に囲まれあまり日の射さない小高い所にある。氏照は八王子城主。豊臣秀吉小田原征伐の一環として小田原城で切腹させられている。次に訪れたのがガイダンス施設。ここで八王子城についての歴史に目を通す。16世紀に当時の武蔵国に存在していた日本の城である。北条氏の本城である小田原城支城で関東の西に位置する軍事上の拠点であった。この城の山頂に八王子権現を祀ったことから八王子城と名付けられ、八王子城は標高445m深沢山(現在の城山)に築城されており、典型的な中世山城である。北条氏康の三男・氏照1571(元亀2年)頃より築城し、1587(天正15年)頃に本拠とした。ここで展示されている文書の中に、氏照が戦国時代を生き抜くために近隣の戦国大名と外交関係うまく進めていく手腕があったと書かれている。中身は同盟を結んだり、離反したりしながら保身してきたのだが、悲しいかな八王子城が一日にして敗れたのは北条氏照の家臣の裏切りによると記されていることだ。                                         豊臣秀吉小田原征伐の一環として1590(天正18年)7月24日、八王子城は天下統一を進める豊臣秀吉の軍勢15千人に攻められ、当時、城主の氏照以下家臣は小田原本城に駆けつけており、八王子城内には、城代の横地監物吉信、家臣等の将兵の他約3000人が立て籠って戦ったが、一夜にして落城した。氏照正室・比佐を初めとする城内の婦女子は自刃、あるいは御主殿の滝に身を投げ、滝は三日三晩、血に染まったと言い伝えられている。この小田原征伐において北条氏は敗北し、城主の北条氏照は当主・北条氏政とともに切腹した。その後新領主となった徳川家康によって八王子城は廃城となった。400年前の大殺戮のあった八王子城跡は、何やら不思議な事が起こる 心霊スポットとされているという。八王子城の歴史を頭に入れて本丸へと落ち葉に敷き詰められだしている山路を登りだすと鷹を訓練している人に出会ったので写真を撮らせてもらった。                  高尾周辺の山里は紅葉も終わりに近いところもあるが、本丸跡へと高度を上げるにつれて美しい紅葉も残っており、我々をもてなしてくれる。特に八王子神社を過ぎて松木曲輪前から広がる関東平野一望の景色に言葉はいらない。驚いたのは遠く東に筑波山まで望めることだ。ここで昼食を取り、景色を堪能したあと、標高460mの本丸跡へ足を運んだところ、イメージしていた城址とは違って狭い場所だったことだ。ここも木立に囲まれ小さな社と本丸城址の石碑があるのみ。展望もないのですぐに下山する。しかし、ガイダンス施設で落城に至るまでの流れが頭にあるので史跡めぐりとして最高に楽しい。                            帰りに氏照の館があったとされる御主殿跡を訪れたが、発掘調査の結果として復元され公園として整備されていた。昔は古道から曳橋を通って御主殿に入るために掛けられた橋で現在は復元されているが、老朽化で通行止めになっていた。その下を流れるのが城山川で、御主殿から近いところに御主殿の滝がある。落城時に御主殿にいた北条方の婦女子や武将らが滝の上流で自刃し、次々と身を投じたと言われている。また戦によって城山川の水が三日三晩血に染まり、麓の村では、この城山川の水で米を炊けば赤く米が染まるほどであったと伝えられている。この話を24年前に広報課時代に先輩の楠見さんから聞いたことがあり、ここだったのかと今日初めて知った次第。かくして八王子城址のハイキングも無事に終了し、高尾駅並びのお店でお茶会してお開きとなった。

▲笠山峠〜笠山

  (H26.11.8)





 毎月一度は小川町笠山に山清水を汲みに行く。毎回のことだが天気を気にしながら予定日を立てるが、前回の9月4日も天気が悪かった。最近は妻の体調が思わしくないので家事を行っていることから妻を当てにせず自分一人で汲みに来ている。今回も行事の日程が詰まっていることや、家事をこなしていることもあって天気が悪くても雨が降らなければいいやと思って定番コースを辿った。前夜にペットボトルなどを車に積み込んであったことや、朝早く起きて食事、洗濯もすべて終えて家を出たのは9時である。開閉橋までは順調に進んだが、それから先が道路工事で遅れ始めた。10時半近くに嵐山の農協販売所に着き、妻から頼まれた惣菜などを買い込む。安いものだから少し買いすぎた。                                                 ★水汲み場に急がねばと思って走り出すも、122号から小川町に入るやガス管敷設工事で、寂れた街中を抜けるのに時間がかかってしまい、落ち葉吹き溜まる里の林道に入るのが遅れてしまい、私よりも前に一台の車が行くので水汲みの車に違いないと思っていたらそうだった。これで汲むのが遅れると覚悟していたら、その車は岩の下の水汲み場に横付けしたので、私はいつもの水汲み場を確保できた。水場周辺の木立も冬支度のごとく木の葉を落として山は透けだしている。時々、寒い風が木立を揺らす。雨が降らなかったのか、どの水汲み場も水量は弱い。とにかく汲む時に水飛沫で濡れてしまうのでビニールの合羽下を着て汲みにかかる。ペットボトル72本(144リットル)、ポリタンク2本(40リットル)を一人で汲むと1時間半近くかかる。11時半から汲みだして12時半すぎて汲み終わった。終わるとホッとして一仕事終わった実感する一瞬である。周辺の山も植林のためか杉や檜が多いが、植林の行き届かないところは広葉樹が広がり紅葉している。しかし、秋曇りで今にも雨が降りそうな雲行きでは、残念ながら紅葉もくすんでしまって写真にならない。私の車は1300ccのデミオなので184リットルを積んでの坂道は少し重いのではと気にしながら、また、落石に注意しながら七重峠(笠山峠)登っていく。                                           ★峠は風の道と会って気温が低く冷え込む。峠にはワゴン車などが止まっていたので、手前の笹山登山口の林道入り口に車を止めて、笠山に向かう。大弛峠で出会ったマンドリルさんの影響もあって山のお花を探しながら山路を進がセイタカアワダチソウと野アザミ以外の花を見かけずさて、笠山西峰に向かう手前にある急斜面の荒れた道で一人の青年に会う。山について話を交わす。私も彼のように山に情熱を傾けた若い時があったことが蘇ってくる。かれは堂平山に行くとか。別れてから右側の谷の中は結構紅葉しているが日が欲しい。誰もいない西峰に着く。展望の開ける北側の景色も曇りでぱっとせず。笠山神社で昼食をとることにして落ち葉だらけの山路を東に向かう。落ち葉は滑りやすいので岩の所は神経を使う。11ケ月ぶりに笠山神社に着いた。昨年の12月22日は頂上近くにはうっすらと積もっていた。誰もいない快晴の山頂で休んでいると、二人の若者と出会った。話をすると、國學院大學2年制で一人はお父さんがわが故郷山梨県の身延町出身で、現在、北本市に住んでいるという。故郷の話で意気投合し30分以上も話してしまった。最後は若者が写真を撮らせて言うので一緒に撮ってから別れたことが蘇ってくる。笠山神社の石段の下で紅葉狩としゃれ込んだ。亡き友・大石さんとの山行を思い出しながら食べる弁当はうまかった。今回も彼の形見の登山杖を使っての登頂である。彼に話しかけるように独り言に明けた。彼との山行を振り返ることが多くなった。

▲堂平山〜丸山

  (H26.9.4)  







 今年の夏は雨が多くて日本各地に相当な被害をもたらした。これも温暖化現象に異常気象の一つなのであろう。毎日、NHKの天気図を見ても雨の日が多かった。だから8月の秩父縦走も天候不順で予定通りには行かず、再挑戦という結果に終わってしまった。毎月一度は小川町笠山に山清水を汲みに来ているが、それは周辺の山に登って楽しむことしているからでもある。前回は7月2日に汲みに来た。梅雨ということもあって天気が悪く予定がたたず。天気の雨マークがない日をチャンス決めて実行するのが私流なのだ。だからこそ妻と意見も合わぬことが多い。今回も一人で行くことになった。一人旅は自由気ままで大好きである。そのため前日のすべて準備し、早目に8時に家を出た。                                   最近は小便が近いのでまず川島町農協によってトイレを借りてから、嵐山町の農協販売所へ向かう。家を早く出たので9時半にはついてしまった。ここでもまずはトイレに入って落ち着く。ここでの一番先に買うのはブルーベリー。妻が一番欲しがっていたので大きな袋入りの600円のものを買う。次に最近野菜が高値なのでキュウリ5本230円で買う。それから山でのお弁当や妻から頼まれた夕食のお弁当を買ってから一路、笠山へ向かう。途中のガソリンスタンドの値段を見ると高いので地元に帰ってから入れることにした。              ★槻川を越えると、里山が目の前に迫るも霧の中。そとは霧雨模様。毎年見ているが林道に入る手前に秋海棠の群生があり、今が見ごろで素晴らしい。これで太陽の光があればと思うが、見られたことに感謝し一路霧深き林道を走り登っていく。高みになるにつれて雨模様となる。水汲み場に着けば、運よくいつも私が汲むところが空いていたのですぐにくみ出す。それから何人も来たが、皆さんそれなりの時間待ちの状態だった。200リットルを一人で汲み終わるのに1時間はかかるので草臥れるが終ったときは一仕事した感じ。              ★それから霧の中の笠山峠に行き、ここで昼食とし、それから秋の星空観察を行う予定表を調べにと、白石に下り、定峰峠から白石峠に出て堂平山を目指す。天文台に車を横付けして観察予定日を書き写してから、876mの山頂に登る。霧で展望は何もない。ここで時計を拾った時のことが蘇ってくる。変わったのは南側に景色を台無しにする防災無線塔が建ったことだ。これは愛宕山の無線塔とも連動しているのだろう。展望がきかないので周辺の植物を観察しながら楽しみ、霧の中に佇みながら友のことも思い出す。10年ぶりに丸山に向かう。                                                                    ★白石峠から林道を走るも霧が深いので方向を間違えそうになり、途中の大野峠で案内板を見て確認するが霧のため何も見えず山は静まり返り寂しくもある。霧のむ中に県民の森の駐車場に出たときはホッとした。霧雨であるが合羽は着ずに友の形見の登山杖をもって960mの丸山を目指す。近道すればよいのだが草茫々なので遠回りして広い整備された登山道を行く。途中で山頂から降りてきた高齢者のグループに会う。山頂の展望はありませんよと教えてくれた。山頂に着くや高齢者のご夫婦がいたので山頂標識を入れて写真を撮ってもらった。お礼に相手のカメラでご夫婦を撮ってあげた。霧が深くどうにもならないが、ここにも熊を見かけた注意看板が出ていた。小雨が降りだしたので大急ぎで山頂を後にした。

▲大弛小屋〜朝日岳〜金峰山

  (H26.8.16)  












奥秩父縦走は私の長年の思いでもある。というのは87歳で亡くなった父親が72歳の時に縦走していることや、山仲間一番の亡き友も単独で縦走しているので、二人の踏み跡を辿り残されているものとして、二人を偲びたいと常々考えていた。父親の年までは登らねばと思っていたが、瞬く間に73歳になってしまった。今でも登山やスキーに対する準備を怠ることなく毎朝2時間近くのウオーキングを続けている。            ★今年は塩山から大弛峠まで乗合タクシーが開設され、予約をとれば2365mの峠まで1800円で入れることになったことや、すぐに稜線歩きとなることから老齢の身である私にとって、思いの山へ手軽に登れることから利用しない手はないとすぐに予約を入れたものの台風で林道が閉鎖されたため1週間遅れの入山と相成った。さて、メジャーの山へ登るのは7年ぶりのことである。これまでの登山靴もそれほど履いていないので、ブラッシーを掛けたもののウレタンやスポンジなどの劣化について考えもせずに塩山駅まで来た。インターネットで指定されたタクシーを待っているうちに突然、左足の靴底が割れて取れてしまった。その時に偶然にもタクシー乗り場が変わったことを教えに来てくれた人が川崎のKさんである。靴のことを話したら劣化の何物でもないと教えてくれ、自分で持ってきたガムテープを提供してくれた。一応その場で修理したものの少し不安があったが、皆さんと一緒に大弛峠に着くことができた。                             ★大弛小屋に入り、登山計画書を提出して宿泊の手続きをとるや、金峰山にピストンするにしても4時までに戻ってきてという。それに応えるべくコースタイムで帰ってくるため、蒸し暑い曇り空下、原生林の中の道を西へと急ぎ足で尾根を行く。峠まで車で来られるようになったためか意外にも多くの人々行き交うのには驚いた。本来ならば静かな原生林の雰囲気を楽しみたいと思っていたがそれどころではない。朝日岳の山頂に立っても眺望もないので、ひたすら西下する。やがて原生林も消えて岩稜地帯にでるが、すべて雲に包まれて眺望はなし。濡れていると岩も滑りやすいので注意しながら進むと、筑波山の弁慶七戻りの岩門のようなところを抜けると目の前に金峰山の標識が立っており、大勢の人が記念写真を撮っていたのにはびっくりした。時計を見るとスタートしてから2時間で着いてしまった。自分ながらも驚いた。天候が回復する気配もなく、眺望も何もなく、見えるのは目の前の五丈岩のみ。                               ★雲が流れ出し天候が悪くなる気配なので記念写真のみ撮ってから一気に大弛小屋へと歩みだす。しかし、これまでの疲れが出てかがいうことを聞いてくれない。どんどんと縦走する人たちに抜かれていく。やっと朝日岳に着いた時に、塩山駅でお世話になったKさんと会う。この時も靴のことを心配してくれガムテープを持ってきてくれた。このときほどKさんの優しさが身に染みた。記念写真を撮って別れたが、それ間もなく夕立が降りだし雷鳴も轟き、雨水が登山道を沢のように流れていく。やっとの思いでコースタイムどおりに大弛小屋に着いた。まずは靴を点検すると両方とも靴底がないのでガムテープでの修理で縦走するのは無理と判断して下山することにした。今年こそとは思って出かけものの、7年も経った靴の劣化には私も無頓着だったことを悔やむも、山は展望があってこそ楽しい登山なので次回を楽しみにして秋に訪れたいと思いを強くした。

▲秩父高原牧場〜愛宕山

    (H26.7.2)  







  毎月一度は小川町笠山に山清水を汲みに来ている。前回は5月6日に妻と汲みに来ているので2ヶ月近く保てた。6月は梅雨ということもあって天気が悪く予定がたたず。今日は久しぶりに晴れマークがあったので、このチャンスを逃す手はないと自分で決めて妻を誘ったもんだから、彼女はご機嫌斜めであったが付き合ってくれた。しかし、川島町、嵐山町の農協販売所が定休日であったことを忘れてしまったので、妻はさらにお冠。それでも小川町の農協販売所が開店していたので助かったる山で食べる昼食や、野菜などを購入する。何しろキューリなど8本も入って130円と安いのには驚く。一路、笠山へ向かう。途中のガソリンスタンドの値段を調べながら進む。小川町農協もレギュラー@162円と高いので地元に帰ってから入れることにした。       ★槻川を越えると、里山が目の前に迫るも梅雨なので山は青々しているが、じめじめしているので気分的にもスカットしない。我々の後ろに一台の車がついてきたので同じように水汲みに来た車と判断して水場まで追い越しさせず。誰もいなかったので我々は2本ある汲み場で汲むことにして、後の車に声を掛けて右側を譲った。何しろ梅雨時とあって水の勢いはすごい。我々はカッパをきたり、ビニールズボンを入りして濡れないように準備しながら汲み始めた。意外にも冷たいのには驚いた。流れに勢いがあるのでペットポトルもすぐに一杯になるので200リットルを40分ほどで汲めた。腰にコルセットして汲むもやはり最後は腰が重くなってしまう。汲み終わった途端に一仕事したという気分になり、一気に解放される。                     ★我々は笠山峠を越えて秩父高原牧場から愛宕山に行くことにした。峠に立てば、山は青山そのもの。私にとっては若葉時が一番好きだ。里に近づくにつれて、村おこしの一環で昔に植えられた林道の両側のアジサイが満開で実に見応えがあり、所々で車を止めて写真を撮る。さらに下って行くと我々と同じようにアジサイの写真を撮りに来ているご夫婦が二組もいた。知る人ぞ知る名所なのである。林道に並木道のように植えられているいいのだ。これが点々ばらばらではまとまりがなく人を惹きつけない。その風景が県道まで続いている。これまでもこのシーズンに何回も訪れているが、今年のような風景に出合ったのは初めてのことだと妻も感激していた。  ★秩父高原牧場へ向かって登って行くと、空の青空も広がり夏空そのもので蒸し暑いが、高度もあるので涼しい風が時々吹き抜けていく。山の牧場は閑散としているが、それでも遊びに来ているひともあり、売店もアイスクリームなどを売っている。我々はさらに林道を北へ走り、二本木キャンプ場に着いた。木陰に囲まれ風も涼しくて言うことなし。あずまや昼食をと思ったが先客がいたので車の窓を開けっ放しにして昼食をとる。そこから愛宕山を目指す。今は雑草が生い茂り春のスミレの群生地もその中に埋もれている。この前に来た時に出会った山ツツジの花もなく青々としている。愛宕山に立てば南側から涼しい風が駆け上ってくる。今は周辺の木々も青葉に覆われているので大霧山も望めない。山頂近くの天文台が緑の中に輝いて見える。東秩父村でキャンプ場を開発したものの、あまり使われることなく廃止してしまったのであろう。周りは緑に包まれているので風の涼しさに言葉はいらないほどだ。帰りに牧場のビジターセンターによって美味しい牛乳を飲んでから山を下った。

▲秩父高原牧場〜愛宕山

    (H26.5.6)  









  毎月一度は小川町笠山に山清水を汲みに来ている。前回は3月11日に一人で汲みに来きたが、集落のあるところまでは町による雪掻きがされていたが、そこから水場までは何もされておらず、積雪30cmあり、轍のところだけへこんでいる。それを辿れば何とか何とかなると思って進んだが、先に行った車がスリップして道路を塞いでいるので、こりゃだめだと思って引き返し、早々に林道を下りて東秩父村の地下水「深宗水」を汲みに行った。それから2ヶ月にならんとしている。五月の連休中にどこにも行かないので、気分転換にと妻を清水汲みに誘いだした。最近体調不良で動きが鈍くなってしまったが、今日は文句も言わずに付いてきてくれた。定番コースでまずは嵐山町の農協販売所に立ち寄って、総菜やナス、ブロッコリー、キューリの苗など買って一路、笠山へ向かう。途中のガソリンスタンドの値段を調べながら進むと小川町農協のレギュラーリットル@153と一番安いので帰りに入れることにした。                                  ★槻川を越えると里山が目の前に迫る。槻川の河川敷では家族連れのバーベキュー等で賑わっている。ここは近くにコンビニや公衆便所もあり川遊びには素晴らしいところだ。里山に目を移せば、まだら模様に若葉が噴き出し山を明るくしている。まさしく山笑うというところなり。山の集落への登り口周辺にはシャガの花が咲き乱れ通る人をもてなしている。3月11日に引き返してきたところまで一台の車にも合わずに登って行く。山の若葉が明るくしている。途中に笠山神社への登り口にはコンクリート製の立派な鳥居が建立されていた。若葉の中に車で通るのは気持がよい。水汲み場に着くと車は1台もなくすぐに2ヶ所の水場を二人で使って汲みだした。途中から車1台が来たが我々が使っていたら岩場の水場に行って汲みだした。今日は二人なので30分ほどで172リットル汲めた。今日は5月ぶりに笠山峠に車で行く。途中に雪の重みでガードレールが横出しになっていたり、落石が見られた。峠から少し先に残雪があったのにはびっくりした。林道を下るに連れて山つつじの明るさに目を見張る。車を止めて写真を撮る。                                ★一路、秩父高原牧場に向かう。結構、車と行き交うので上は混んでいると思いしや、着いてみれば家族連れで賑わっている。我々は帰りに寄ることにして二本木峠のキャンプ場まで行く。二本木峠は前回来た時は雪に包まれた風景であったが、今日は驚く中れ山躑躅に包まれた峠となっているではないか。だからキャンプ場も山躑躅が満開で我々の目を楽しませてくれる。本当に驚いた。昼食後、愛宕山に登る。ここは山スミレの群生地でもあるので、探しながら登ると落葉の中に沢山のスミレが花を咲かせているではないか。思わずカメラを向けてしまう。また、白い星型の花「ひとりしずか」を見つけたので写真に収める。山頂もその下の天文台も山躑躅に囲まれて明るさを漂わせている。長年通って来たが、躑躅満開に囲まれ山を賑わしたのは初めてのこと。来て良かったことを連発させながら高原牧場に戻り、トイレを借りてから山を下った。帰りは東秩父村農協販売所によりトイレを借り、買い物する。また、小川町農協ガソリンスタンドによってガソリンを補給して一路、川島町農協販売所まで車を走らせたが、途中で睡魔に襲われてしまったが、何とか持たせて、農協で米などを買って一日を無事に終わらせることができた。

▲秩父高原牧場〜愛宕山

    (H26.3.11)  



 







 毎月一度は小川町笠山に山清水を汲みに来ている。前回は12月22日に一人で汲みに来きている。前回も山に雪が降ったというが、水汲み場付近には雪はなく、笠山峠に行き初めて雪を見た程度だった。しかし、年明けからは何回も寒気が下がってきて秩父方面には雪が何回も降り、各地に大被害をもたらしたことはつい最近のことである。そのため我が家でも山清水を汲みにいけず、1ヶ月ほど水を買っていた。3月に入って雪も解けたのではないかと思って、家族の引き留めるのも振り切り、チェーンを持って寒晴れの今日独りで水汲みに出かけた。                                           ★上尾橋から雪富士が真正面に見えて大感激。荒川の開閉橋からは富士山、浅間山まで見えて感動の連続。田園地帯の広がる東松山に入れば、奥武蔵の山々も近づき所々雪が貼りついているのが望める。嵐山町の農協販売所に着け場、広い駐車場は満車状態。妻から頼まれた総菜や弁当を買って、一路小川町を横切り、笠山中腹の水くみ場を目指す。小川町を抜けて槻川沿いに進み、林道を上り詰めていくと山側に集落があり、最後の家の所までブルドザーで除雪されている。そこから50m程行くと林道に通行止めの標識があるものの途中まで除雪されていたが、水汲み場の手前200mからは除雪されておらず積雪30cmそのままで車の轍を追うしかないのだが、私の前に車が轍から外れてスリップして立ち往生している。それを見てこれはだめだと思ってバックして早々に林道を下りて東秩父村の地下水「深宗水」を汲みに行った。持ち主に事情を話して許可をもらい、1時間半を掛けて200リットルを汲んだ。汲み終わった瞬間に早々に山から引き揚げてきてよかったと思った。その時に郵便屋さんが来たので事情を話すと、他の水くみ場も教えてくれたので次回に訪れたいと思っている。                                              ★さて、残るはどこかの山に登るだけなので、大霧山へ行こうと思って秩父高原牧場を目指す。秩父高原牧場への道も除雪されているので問題なし。途中の集落から見える大霧山から麓に伸びる牧場はまるでスキー場のように雪が貼りついているではないか。この斜面を見たら滑りたくなってしまうほどだ。昔の自分だったら挑戦したに違いない。牧場から左折して粥任田峠に行こうと思ったら、工事中で通行止めになっている。仕方ないので急遽、愛宕山に登ることにした。秩父高原牧場からの笠山、堂平山方面の景色は素晴らしく私の好きな風景だ。二本木峠への林道は除雪されていて問題なし。二本木峠の先に広がる東秩父村のキャンプ場は残雪に包まれ私の好きな風景となっている。ここのあづまやで弁当を食べながら自然の中に身を置き雪景色を楽しむ。昼食後、雪一色のキャンプ場の中を歩いて私の踏み跡をつけていく感触はこたえられない。愛宕山を目指して登り始めるとあづまやのある広場に大きなアンテナが設置されていた。人がいたので聞くと防災無線塔であると教えてくれた。周りに似合わない施設である。そこから山頂までは雪がべったり貼りついていた。長靴に履き替えて登ってきたので問題はないが靴の中で足が踊るので下りは注意して下山した。雪があると山の景色にアクセントがつく楽しくなってしまう。ついでに登谷山牧場跡まで林道を走り、両神山、御荷鉾山、浅間山などの写真を撮って戻ってきた。今日は青空の下、水も汲めて、山にも登れて、雪景色の写真も撮れて言うことなしの一日だった。

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