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▲笠山〜笹山

(H28.12.25)


笠山峠堂平山登山口 

笠山登山口

笠山

笠山峠杉材切り出し

笠山山頂神社

 妻が元気なうちは、毎月一度小川町笠山に山清水を汲みに来ていたが、妻の体調不良になってからは不定期となってしまい、前回は一人できた8月13日以来である。妻がた大病してからは手術後の定期検査等もあって、なかなか水汲みに行くチャンスもなく、山清水も1ヶ月で使い切ってしまう。使い切ってからは伊藤園の長野県安曇野産の安全な水2リットル6本入り1箱354円を買って過ごしてきた。妻はガソリン代を比べれば水を買った方が安あがりだという。妻も健康な時は一緒に何回も汲みに行ったのに、大病してからは私が一人で出掛けることに物凄く反発するようになった。だから今回も家の窓ふきを全部行った上で、山に清水汲みに行くと宣言した。妻は面白くないらしいが8時過ぎに家を出たが、天気はあまりパッとしない。上尾市の開閉橋からも雲が多くて山並もはっきりしない。天気予報だとどんどん天気が回復してくると言っているのでそれを信じて車を走らせる。嵐山町農協販売所に9時15分に着いた。まずはここで定番の食糧などを買う。何しろ野菜が安いのは確かだ。ここからガソリンの値段を見ながら走る。値段は120円で8月の時は108円だった。12円も上がってしまった。                                           ★小川町抜けて槻川を渡り左に曲がると、年の暮や寒いこともあって里に人影を見かけない。水場へと急ぐ。山の集落への林道に入ると路肩に落ち葉が吹き溜まっている。春には道路工事で通行止めになっていたところも工事も終わり、道路も整備されていた。水汲み場に着いてみれば、1組が右の水場を使っていたので、私は真ん中の水場を使う。用意していたゴム手袋をはめ、ビニールのズボンをはき、コルセットして、長靴をはき冷たいので濡れないようにして汲み始めたが、水は意外に温かった。2本出ているので184リットルを汲むのに1時間で済んだ。次の人が待っているので声をかけて水場を後にした。山は落葉して透け日差しが奥まで入り込み明るくなっている。林道の路肩は落ち葉だらけ。都幾川から登ってくる林道の分岐点のところで偶然にわが家の前の堀沢さんと会う。彼はチャリダーで今は夢中になっている。                       ★別れて笠山峠を越えて大霧山へ下っていったら工事中のため通行止めでバリケードがあったので引き返して笠山に変更した。峠の路肩に駐車したら笹山で模型飛行機飛ばしに来たおじさんがいたので話をして、笠山を下りてから笹山に行きますと言って別れた。笠山の登山口には今年の10月に熊の目撃情報があったと東秩父村役場の看板が出ている。熊の情報は3年前から出ていたが本当にいるのであろう。さて、亡き友の杖を突きながら通いなれた山路を登って行く。冬になると落ち葉して山も透け山路も落ち葉だらけ。汗ばむ体に北風の微風が心地よく背中を冷やしてくれる。やがて837mの笠山東峰に着く。ここから見える谷川連峰は真っ白だが、日光連山は山頂付近のみ白いだけ。それから5分で山頂の笠山神社に着いた。参拝して何時もの日溜まりで堂平山とパラグラを眺めながら食事をする。そして亡き山仲間を偲ぶ。ここでスキ―仲間の井口さんに電話するも留守。亡き仲間達と歩んだ山旅を偲びながら山を下り、眺めが最高に素晴らしい笹山山頂の模型飛行機滑空場を訪れる。二人のおじさんがグライダーを飛ばして楽しんでいた。二人と話をすると模型飛行機に恋をして壊れたら修理して飽きることなく楽しんでいるという。私と同じ思いの人に出会えて嬉しかった。

三浦富士〜砲台山武山

(H28.9.3)





三浦富士


武山展望台


 退職者会ハイキング担当を若手の波多江さんが引き受けてくれ、今回で二回目のハイキングを企画してくれた。私としても妻が元気なうちは、応援する意味から今回も参加させていただいた。何しろさいたま市の我が家からインターネットで調べても二時間半はかかるので遠いことは確かだ。10時集合とは言え、朝7時に家を出なければならない。しかし、大宮〜横浜まで上野・東京ラインを使うと1時間で行き、そこから京浜急行に乗り換え40分ほどで集合駅の京浜急行長沢駅に着く。ここから先はリーダーにお任せだから気楽だ。本当はこんなことではいけないのであるが、三浦半島に住んでいるハイキングの名手榊原さんもいるので心配することなし。こちらに来て感じることは横浜から三浦半島に向かっても大地の起伏が激しいところである。見ているとその起伏の激しい大地にびっしりと家が建っているのだから、雨風の激しい天気になれば、どこかで災害が起きてもおかしくないのではと感じるのは私だけであろうかと思ってしまう。私も退職者会の会長を務めた小山克己さんと同じような場所に建てた。以前、近くで崩落事故もあったので家族に反対されて住まずに、廃屋になってしまったので最近売ってしまったので一応をほっとしている。                        ★さて、駅に集合したのは男性10人、女性2人である。最年長の山田さんは82歳である。ハイキングクラブ活動を実施するようになってから最初から参加している古参参加者である。炎天下の中、波多江リーダーが先頭に女性二人が続き、最後を榊原さんが付いて三浦富士の登山口へと出発する。最初も住宅地は起伏があり、登り降りしながら車道から標識に従って一本道の農道&登山道に入る。三浦富士の登山口に着くまでの間に畑があるが今は何もなく、ただ取り残したカボチャが転がっている。農家の人がいれば譲ってもらうのだが。もったいないと皆さんぼやいていた。浅間神社と書かれた鳥居を通り過ぎ、目の前には三浦富士が青々とコンモリと見える。畑を過ぎると警察犬訓練所があり、犬は見えず。分岐を右に向かい、縦走コースの山道に入る。     ここで一服する。少し歩くと坂の手前に、 花を持ったお地蔵さんが建っている。石段を登り続けると頂きとお社が見え、沢山の祠と石碑が祀られている。「浅間神社奧宮」と書いてあり、三浦富士の山頂に到着。山頂からは本物の富士山が見えるらしく「富士山」への方向標識があるものの、今日は雲がかかり見えず。木陰も多く涼しい山頂なので参加者の集合写真を撮り先に進む。砲台山へ向かう山道は広葉樹の気持ちのよい樹林の中で、やがて見晴台についた。ここから相模湾も望めるも霞が掛かっているようではっきりしない。ここで一服してから先に進む。                                             ★リーダーは砲台山に何もないのでキャンセルして武山にゆくと宣言してした。少し先で道が武山方面と砲台山方面に分かれているのに、リーダーから少し遅れた我々は砲台山への山道を進んでしまい、榊原さんが追いかけてきて連れ戻してくれたが、砲台山直下まで行ってしまった。藪の中には戦争で使われた建物跡らしき不気味なコンクリートの土台に戦争の爪痕を感じさせられた。武山に展望台もトイレも整備されている。展望台に登れば、三浦市や三浦海岸、房総半島は見え、ここで渡り鳥のワシタカを観察している人もいた。ここで昼食として、航海安全の「浪切不動」として信仰されて武山不動尊にお参りし、集合写真を撮ってから下山した。

▲笠山〜皇鈴山

(H28.8.13)


笠山

                笠山山頂                              笠山峠
 

秩父高原牧場からの笠山

廃れるキャンプ場

皇鈴山
 

大霧山

 妻が元気なうちは、毎月一度小川町笠山に山清水を汲みに来ていたが、妻の体調不良になってからは不定期となってしまい、前回は5月2日に一人で汲みに来きている。それからは妻の手術後の定期検査等もあって、なかなか水汲みに行くチャンスもなく、6月末には水を使い切ってしまった。そこで伊藤園の長野県安曇野産の安全な水2リットル6本入り1箱354円を買って過ごしてきた。やはり買った水は美味しくない。妻の体調を見ながらどこかで汲みに行きたいと思っていたものの、今年は梅雨明けが8月にずれ込んだこともあって、お盆の今日となってしまった。                                        ★今朝はウォーキングを取りやめて7時には水汲みに出かけた。何しろ空は雲が垂れこめてドンヨリシテいるが、午後から良くなるという天気予報を信じ、一路、嵐山町を目指す。上尾の開閉橋から見る限り、遠嶺は夏雲に沈んで何も見えない。川島町までは順調に来たが、盆休みとあって帰省ラッシュで国道254号線も渋滞している。途中から裏道にはいる。嵐山町農協販売所に8時50分に着いた。まずはここで定番の食糧などを買う。何しろ野菜が安いのは確かだ。ここからガソリンの値段を見ながら走る。値段は108円と安い。小川町抜けて槻川を渡り左に曲がると、川べりは家族連れがキャンプして賑わっている。ここから見る笠山も夏雲が垂れて山頂は隠れているが、水場へと急ぐ。                                    途中の秋海棠の群生地で車を止めて写真を撮る。そして一路、山の集落へと向かう。春には道路工事で通行止めになっていたところも工事も終わり、道路も整備されていた。水汲み場に着いてみれば、お盆休みなのか誰もいない。水は細いながらも出ている。今日は沢に一番近いところが水の勢いが一番強いのでそこで汲みだす。184リットルを汲むのは時間がかかる。沢音、蝉の声以外耳に届かない静寂そのものでのんびりの山の雰囲気を楽しみながら汲んでいたら、川越から来たという私と同年輩の親子が来た。彼たちもここが一番良い水汲み場として何年も来ているとか。私が汲んでいる所で汲みたいと言ってそれからしばらく待っていた。私が汲み終わったのは11時過を過ぎてしまった。                                私は周辺の写真を撮ってから一気に笠山峠へと車を走らせた。今日は雷雨も予想されるので笠山に登ることにして峠に着いた。ここには笹山から模型飛行機を飛ばしている人たちの車3台が止まっていた。私は登山準備をして、ススキなどが垂れこめている蒸し暑い林道をしばらく歩いて笠山登山口に着く。何回も登っている道なので杖を友に木立の中の山路を登って行くと、心地よい涼風が吹き抜け自ずと一服して俳句を詠んでしまう。西峰に立つも誰もいない。そのまま東上して山頂の笠山神社に着く。新しい小さな石の鳥居が建立されていた。寄贈者の名前も刻みこまれ100万円かかっているようだ。一人のんびりと昼食を食べる。山神に祈願してから亡き友のことも偲びながら山を下る。                                   天気も良いので秩父高原牧場に車を走らせた。家族連れて賑わい駐車場は満車、路上駐車あるので敬遠して久しぶりに皇鈴山を訪れた。ここは誰もいなくて静かで美の山が目の前に見える。東側には大沢地区の人たちが整備した展望台あり、東側の展望が開ける。景色を一人占めしてから下山。帰りに東秩父村農産物販売所に寄ると、前の槻川の川辺は家族連れで賑わっている。遠くに行かなくても近場で自然に触れ合う夏休みを楽しんでいる家族に乾杯したくもなる。今回は早めに帰ってくる。家に着いたのは4時半だった。

▲大霧山〜愛宕山

H28.5.2)







 前回の水汲みは2月7日だった。その時も妻の介護もあって水汲みも以前のように自由気ままに出かけられなかったことは言うまでもない。それから間もなく妻の体調が急に悪化したことから、2月17日に彩の国東大宮メディカルセンターでMRIを撮ってもらったら髄膜腫という脳腫瘍であることが判明し、即入院となった。9時間に及ぶ手術も無事終わり、病理検査の結果も良性と判り、38日間の入院で退院することができた。妻の回復も著しく、足取りも、話すことも3年前の妻に戻りつつある。この2ヶ月間は介護する私としてはあっという間の時間の経つ早さであった。                                    ★その間に息子と私だけなので山清水を使う量も少なかったことや、非常用の買い置き水24リットルも消費期限が迫っていたので使ったことから、水汲みも2ヶ月以上延びてしまった。前回は林道が雪で登れず、里の深層水を汲んで帰ってきた。今回は毎回汲んでいる山清水をと思っていたら、隣の家の堀沢君がツーリングした時にその林道は工事中で通行止めになっていたと教えてくれた。それからしばらく時間も経っていたので、もしかしたら工事も終わっているのではと思って、いつものように嵐山町農協販売所で買い物して林道の登り口に急いで行けば、通行止めの看板があるので仕方なく引き返して遠回りをして、今年はじめて七重峠を越えて水汲み場まで下りてくると、何と車が三台も来ているではないか。                             ★話を聞くと地元の人が工事中だが通れるよと教えてくれたので登ってきたという。話を聞いた途端にがっくりきたが、少し待って180リットルを1時間で汲み12時前には終わった。また、七重峠に引き返す。途中の崖上の若葉の中に大株の山ツツジが花を咲かせている明るさは見応えがある。車を止めて一枚撮る。山肌は若葉に染まり見ていても心安らぐ景色なり。峠に立てば若葉風が心地よく吹きぬける。今日は大霧山に登ることを決めて秩父高原牧場を目指す。牧場の入口は山ツツジが満開で素晴らしいが天気が今一つで景色は暈しの世界。粥任田峠には車一台が止まっているのみ。                                     ★亡き大石さんの杖を友に通いなれた山路をゆっくりと登りだす。落ち葉も吹き飛ばされていることや若葉につまれていることから気持ち良く歩きやすい。所々に山ツツジが咲き乱れ歓迎してくれる。この道を妻と何回も登っているように、妻も大霧山は大好きな山なのだ。また、今は亡き安田先輩と谷口先輩を案内した山でもある。この山路は私も一番心安らぐ道である。途中で下山してくる家族連れと出会う。連休に車で遠くに行くより、近場の山に家族で登ることは自然に触れ健康的である。                             山頂に立てば誰もいない。春靄で遠嶺は見えない寂しさはあるが、独りで色々なことを思い返して時を楽しむのは最高なり。農協販売所で買ってきた弁当は美味しいことこの上なし。妻と二人だけでスケッチしたことや、安田さんや谷口さん達と写真を撮った昔が懐かしく思い出される。やがて春靄のかかった寂しい山の中からフクロウの鳴き声か聞こえてくる。山頂下にはフモトスミレの群生地があり、思わずカメラを向ける。ゆっくりと観察しながら下山し、2月7日に登った愛宕山を訪れると、山つつじが満開で素晴らしく、知る人ぞ知るで、10人ほどの愛好家がカメラを据えて撮っている。私も写真を撮ってから愛宕山に登った。秩父高原牧場はそれなりに賑わっていた。

秩父高原牧場〜愛宕山

(H28.2.7)






 最近、妻の介護もあって水汲みも以前のように自由気ままに出かけられず。息子たちがいる日に行かねばならない。今日はいるので昨日から行くことにしていたが、天気図を見れば、昨夜から崩れて雪が降るとの予報で予定を変更してしまった。ところが朝起きてみれば、庭や車の屋根は雪が少し積っているものの青空である。息子が行った方が良いよというので、急遽、180リットルのペッボトルを用意して、今年に入って初めての山清水汲みにでかけるとはいっても、行く途中のスーパーの朝市で安売りのリンゴやパンを買うために立ち寄った。そんなこともあって10時ちかくなってしまったが、国道が混雑していないので助かる。高崎線の高架橋から見える富士山も昨日の雪で真っ白。荒川を越える開閉橋からの風景に期待して急ぐや、丹沢から日光連山まで一望に見えて興奮するほど素晴らしい景である。                                  ★川堤から川島町を抜けて254号に入るも混んでいて嵐山農協まで順調に着く。まずはみんなに約束した夕食の弁当を買い込む。それから白菜が一束100円、ホウレンソウも100円と安いので買い込んでから、携帯で夕食は買ったことを電話する。それから一路里山へと近づけば、里山の畑も真っ白なので、これでは笠山への林道は車では登れないことが予測できたので、街道沿いに深層水を無料で分けているところがあるので、そこへ行き断って汲ませてもらう。蛇口も水道栓なので手早く汲めるため、一時間かからずに汲み終えた。雪ため笠山で汲めないのでここを利用させてもらったのは2回目である。                         ★それから昨夜の雪で林道は滑りやすいだろうが、秩父高原牧場まで行くことにして気を引き締めて車を進める。案の定、県道から秩父高原牧場への道に入れば山景は雪が少し積って滑りやすいが轍を外さないように走れば問題なくスリップすることもなく秩父高原牧場に着くことができた。ここから見る雪景色は素晴らしく、写真を撮っていたら若者も撮っていたのでお願いして一枚記念写真を撮ってもらった。これから先も雪掻きをしてあるので行けるところまで行こうと愛宕山へ向かう。雪があるにせよ日向の道は順調に進めたが山景の道は積雪もあり、滑りやすい。一ヶ所不安の過るところがあり、下りだから何とか乗り切ったものの、帰りは登りなのでどうかと思った。そのまま進んで東秩父村のキャンプ場の駐車場に辿りついた。               ★昼食も取らず大福をたべて、長靴に履き替えて積雪30cmはある山道を登っていくと、今日、先人が登ったのであろう新しい踏み跡がある。その踏み跡を辿るのが一番なので私もその踏み跡を固めるような感じで登り山頂に辿りついた。ここからは大霧山が少し望める程度で展望は余りない。根元を雪に包まれた天文台の写真を撮り、帰りに山神様にお祈りして山を下りた。雪山に独りでいると何の音もなく静寂の世界でこころ静まる。自分は本当に山が好きだなあと意識してしまう。                                ★山を下りてから、来るときに心の中に不安がよぎった一ヶ所、僅かな距離だが山影で雪が解けず凍結しているので登れるか不安だった。その手前まで順調に車を進めたが、問題の個所では大した坂ではないがスリップして登れない、ローに切り替えバックして再度発進すること3回繰り返し、アクセルを踏み続けたらなんとかソロリソロリ安全地帯に着いた。ホッとし反省を重ねる山旅だったことは言うまでもない。

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