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▲笠山峠〜笹山

H23.12.28


大霧山

笠山

  1ヶ月に1度は小川町の笠山に山清水を汲みに行くのが我が家の定例行事となっているが、先月、汲んできた山清水も正月まで持たないので、28日に川島町農協に頼んだ餅を取りに行くので、その時に水を汲みに行くことにした。空は晴れ渡り上尾から川越に架かる開閉橋からの富士山の眺めは素晴らしく、妻は大喜びだ。荒川の川堤を川島町に向かって走れば、雪を被る遠浅間や男体山も目に入ってくる。川島町農協の餅は午後引取りなので、そのまま嵐山農協に向かう。ここで弁当や惣菜を買って小川町に向かう。小川町農協のガソリンスタンドではリッター133円なので帰りにここで入れることにして、水汲み場の笠山へと急ぐ。    ★水場に来て見ると、どの蛇口もいっぱいで順番を待っている人も何人もいたので、我々は先に山に登ってから水を汲みに来ることにして笠山峠に向かった。空気が澄んでいるので峠からの眺めも素晴らしい。外は風が強いので車の中で買ってきた弁当を食べながら景色を楽しんだ。今日は笠山に行くか笹山に行くか決めかねたが、先日降った雪が笠山林道には残っていることもあり、笹山に登ることにした。車から出たら水戸ナンバーの車から男の人が出てきて堂平山への登り口を聞いてきたので教えてあげたら、茨城から埼玉に引っ越してきたという。親たちはこの前の東日本大震災で被災されたとか。また、一人の若者が笹山から降りてきたので言葉を交わし、我々も笹山への登山道に紛れ込んだ。針葉樹の林の中を行く山路は霜柱が凍っているため盛り上がっている。林の隙間から左手に笠山の山頂にある社まで望める。一つのピークは過ぎてまもなく臼杵山を通過する。山頂標識は木にぶら下がっているのみ。やがて明るい笹山山頂である。ここはラジコンの飛行機を飛ばすゲレンデとなっているので谷側はすべて伐採されていて都心まで望める景勝の地である。ここからの日の出は素晴らしいに違いない。西側には両神山まで望める。妻は山頂の右側は斜面が落ち込んでいるので怖いというので記念写真を撮ってすぐに下山に着く。峠に着けば、車も一台もない静かそのものである。注意しながら水場へと下りて行く。                                      ★水場に着けば、あれほど混んでいたのに今は誰もいない。水場は凍結しているので滑らないように注意しながら二人とも長靴履いて清水を汲む。外気が冷え込んでいることもあって清水が意外にも冷たくないのは驚く。毎回のことだが120リットルの水を汲み終わると何となく一仕事したという感覚になってしまう。そこへ一組の水汲みに来たので言葉を交わしてから水場を後にした。途中の山里の家々は静かそのもので人影すら見えない。家や畑に燦燦と日差しが射しこみ明るさと温もりに満ちている。里に下りてくると、槻川沿いの村辻の陽だまりに腰掛が置かれているのがとても印象的だ。というのは、いつもここには爺婆がいて話している光景が見られるのだが、年の瀬の今日は爺婆の姿はない。振り返れば、寒夕日が笠山や笹山を明るく照らし出している。私の好きな光景でもある。今年も無事に山清水を汲めたことや、里山に月一で登れたことに感謝あるのみ。


 ▲粥仁田峠〜大霧山

H23.11.22)

  月に1度は小川町の笠山に山清水を汲みに行くのが我が家の定例行事となっているが、今月は行事や天候不順のため山清水を使い切って汲みに来るチャンスもなく、スーパーで24リトルも水を買って過ごしてきた。今日は冷え込み秋晴れなので、この天気を逃す手はないと定番コース巡りをした。嵐山農協販売所で惣菜、野菜、弁当を買って笠山の水汲み場へと急いだ。小川町中を抜ければ里山が目の前に迫る。里山の色は紅葉色で若葉の頃とは違った美しさを醸し出している。山里の家々の庭には賑やかに柿花火である。こういう風景を見ているだけで心癒される。                                             ★水場に来て見ると、4組の人が汲みに来ていた。我々が毎回汲んでいる水場は地面から噴出しているので敬遠する人も多いので直ぐに空いたので待つことなく汲めた。隣りの水汲み場はホースで山の枡から引っ張っているので人気で何時も混んでいる。我々の汲む所が不人気なのは、福島原発事故による放射線量を考えてのことだと思う。しかし、チエックすると基準値以下なので山の水も汚染されている訳でないので従来どおり汲んでいる。汲み終わってから笠山峠を越え笠山の紅葉などを鑑賞しながら下る。東秩父村立小学校の廃校となっている白石分校の庭には銀杏紅葉が寂しき庭を賑わせている光景に目を奪われてしまう。秩父高原牧場経由で大霧山登山口の粥仁田峠へと急ぐ。                                             ★大霧山へ登りたいという妻の念願を叶えるため粥仁田峠にやってきた。妻は2年ぶりの登山である。峠には先着組の車が3台駐車している。登山口のあづまやの脇にある桜紅葉は今が一番の見頃で峠を明るくしている。登山口を登りだせば、そこは落葉の世界となる。私は杖を左手に俳句帳を右手に持って登りだす。落葉を踏むカサカサという音は、懐かしい音だ。というのは亡き親友の大石さんと安部川流域の山々を歩いた時の落葉の下り道のことが思い出されるからだ。落葉は滑り易いので急斜面では注意しながら登る。踏む落葉の音、風の音に耳を澄まして俳句を捻りながら、記録しながら、自然の風景の中に自分を同化させて登って行く。妻は自分のペースで先にゆっくりと登って行く。少しの坂でも息苦しさを感じる妻はこの山に来ると自然と体が慣れて自分のペースで登れるのだから不思議だ。1時間弱で妻の念願の大霧山に立てた。今朝は一番の冷え込みで空も澄んでいることから、西に両神山とその奥に蓼科山・八ヶ岳の赤岳・阿弥陀岳・横岳・奥秩父の峰々、北には浅間山・真っ白な白根山と上越国境の谷川連峰・近場の赤久縄山、荷鉾山・伊香保の山々・赤城山・尾瀬・上州武尊山・日光白根山、日光の山々、東に筑波山などはっきりと見え言うことなし。特に上越国境の山並みの白さ。二人して双眼鏡を取り出して暫らく見惚れていた。3人ほど先着組みがいたが、みなさん直ぐに下山していったので妻と二人だけの世界となり、ゆっくりと食事しながら心行くまで絶景を楽しんだ。こんな景色に恵まれるのは年にそんなにあるものではない。一期一会とはこういう瞬間の出会いを言うのであろう。今日は二人して幸せな登山日和だった。


▲震生湖・渋沢丘陵ハイキング

   (H23.11.10

  私が初めて震生湖を訪れたのは昭和36年5月21日のことである。当時、中央大学3年生で自治会クラブには教育研究会に所属しており、春のハイキングで訪れた。たまたま、その日は夕方から上智大学で比較文化を講義するエルリハーゲン教授の授業を聴講するので、クラブ員よりも早く引上げ、電車に間に合うように丘陵から駅まで駆け下って行った思い出が昨日のように蘇ってくる。この時の頭の中にある風景は、開発されていない丘陵地帯は畑が広がり、秦野駅まで農家の家があるのみで本当に田舎の田園風景そのものであった。また、震生湖もそれほど整備されておらず、訪れる人も少なく静かな湖だった。                    ★退職者会のハイキングで12月はどこにするか、考えた時にもう一度震生湖を訪れて見たいという気持が強くなり提案したところ、対案もなくすんなりと決まった。今から40数年前の道順など判るはずもなく下見にゆくことになった。10月に行く予定にしていたが、体調不良で今日まで延ばしてやっと実現した。秦野駅も昔とは隔世の感あるほど新しく様変わりしており、面食らってしまう。インターネットで調べてきた地図を頼りに、指導標識や行き交う人に訪ね訪ね渋沢丘陵に辿り着いた。何と何とここからの景色の素晴らしさには驚く。一番は大山から表丹沢の山並みとその手前の盆地に広がる市外の風景が一望できること。丘陵の稜線には舗装された道路が走っており、その両側に畑がある。車道をウオーキングしている人が結構いる。「おはようございます」と挨拶して震生湖への道順を訪ねると皆さん丁寧に教えてくれる。また、富士山が望めることも教えてくれた。以前、訪れた時も同じような風景を目にしているのだろうが、こんな素敵な景色のことなど脳裏の隅にも焼きついていないのだから、当時は自然観察に疎かったのではないだろうか。昨日は雨だったが、今日は暑くなるという予報とおりになって、駅から丘陵まで登ってくるとシャツ一枚でも汗をかく始末。             ★やっと震生湖の入口に着けば、そこはゴルフの練習場になっており、ポンポンとゴルフを撃つ音が聞こえてくる。その脇を抜けると目的地の震生湖である。特に驚いたのは釣り人の多さである。昔の静かだった面影などすっ飛んでしまった。ここは192391日の大正関東地震関東大震災)の際にできた。地震動によって付近の丘陵200mにわたって崩落し、市木沢(いちきさわ)最上部をせき止めたことから、その川筋と窪地が湖となったもの。流入河川・流出河川ともに存在せず、地下水脈で周囲の水系とつながっているという。一般的に、震生湖の名は「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉を残した物理学者寺田寅彦が名付けたとされる。湖畔には寅彦が詠んだ「山さけて成しける池や水すまし」の句碑も建っている。しかし、彼が東大地震研究所の所員としてこの地に調査に来たのは1930年で、1928年発行の「神奈川県中郡南秦野村郷土誌」には既に震生湖の名前が出ており、寅彦が当地に来たときには既に震生湖の名称があったと考えられ、地元の人たちが考案した名が定着したとか。 我々も震生湖を一周してみる。昨日の雨で道はぬかり、落葉が絨毯の如く散りばめているので滑らないように注意しながら進み、最後は弁財天の社にお賽銭を入れて、その裏側にある公園で昼食として、オトレも確認して丘陵の道に戻り、渋沢に向かう。その途中に雪被る富士山が見える場所があり、感激しながら写真を撮る。12/3に退職者会の皆さんを案内するには物足りない震生湖の風景だが、良しとして渋沢駅までテクテクと歩いて秋の一日を楽しんだ。


▲笠山峠〜堂平山

  
(H23.10.4)


●1ヶ月に1度は小川町の笠山に山清水を汲みに行くのが我が家の定例行事トなっているが、前回、普段よりも12リットル1箱分余計に汲んでいたので1ヶ月もってしまい、9月は水汲みに来なかった。今回は農協でブルベリーがあれば買うことや、槻川の辺に咲く彼岸花の撮影をメインにして定番コース巡りをした。ブルベリーはどこの農協販売所にも時期が過ぎたと見えて売っていない。ジャムを作ること夢見ていた妻はがっかりしていたことは言うまでもない。また、ガソリンは小川町農協のガソリンスタンドでは1リットルが131円と一番安いので帰りに入れることにして槻川の辺へと急いだ。ここは彼岸花鑑賞では穴場である。既に花の時期は少し過ぎているとはいえ、まだまだ見れる。鑑賞する人も3人ほどで空いている。妻は昨年ここで素晴らしい写真を撮っているので、今年もとアングルの良いところを探して撮っていた。私は笠山を入れて撮ったがどんな写真が撮れているやら。ここから更に進んで山間に行くと刈田に稲架が立ち、その前の畦に彼岸花が綺麗に咲いているので車を降りて刈田の中に入って写真を撮った。やはりここでも山と空を入れることを心掛けて撮ったが、その結果が楽しみだ。                                                ●水場に来て見ると、我々が毎回汲んでいる水場は空いているので直ぐに汲めた。ここが空いているのは、福島原発事故による埼玉県の放射線量について、埼玉県HPに掲載されていることも大きい。しかし、チエックすると基準値以下なので山の水も汚染されている訳でないので従来どおり汲んでいる。外の人は隣の杉木立の中に溜池からホースを通して流れてくる水を汲んでいく人ばかりだ。水の冷たさは夏と同じなのに外気が低いので一段と冷たく感じる。夏の麦茶も作らないのに、今日は約150リットルも汲んだので次回は11月中旬まで持つのではなかろうか。今日は息子の1500ccの車なので余り重たさを感じさせないし、笠山峠までグイグイと上っていく。林道には先日の台風で落ちた木葉が水に流され道の轍に沢山ある。小川町で林道を点検したらしくあちこちに落石に注意の立札があり、何となく気持悪さを感じさせる。                        ●笠山峠から2ヶ月ぶりに堂平山を目指す。登山口付近は草も刈られてすっきりしているのは、東武鉄道主催の7峰縦走ハイキングが行われたためであろう。入口から新しい登山道が何時ものように杉木立の中の山道を登って行く。というのは登りだしの涼しさが気持ちよいからでもある。道中は台風による木葉が落ちていることは勿論だが、団栗や山栗が沢山落ちている。これは山のリスや兎などの食べ物になるので一粒のみ拾って山頂を目指す。途中で道が二手に分かれる。我々は何時ものように藪のあるパラグライダーゲレンデへ直結の道を行く。ススキの藪を抜けるとパッと視界が開け芝生のゲレンデに出る。ここからは、遠浅間、信越・上越の国境を形成する山並みを垣間見ることができる。また、秩父連山、武甲山や大霧山、秩父高原牧場、美の山も望める。この景色を二人占めして、昼食を楽しむ。我々にトッは最高の昼食だ。山頂の三角点にタッチしてから山を下りた。今日は、伝統工藝舘で和紙の買い物をするので、上ってきた林道を下る。風景も変らないがまったく新しい道を下っているような新鮮さを感じる。水汲み場は一組がいたが静寂に包まれていた。


▲秩父高原牧場〜愛宕山


(H23.8.29)

●1ヶ月に1度は小川町の笠山に山清水を汲みに行くのが我が家の定例行事になっている。夏は麦茶を作るので山清水を使う量も増える。先月も140リットルも汲んだのだが、1ヶ月持たなかった。今回は台風が近づいているので天気を見計らって今日行くことにしていたので、行けば一日がかりのハイキングとなるので行く前の準備もあり忙しい。上尾の開閉橋から見る限り夏靄で遠嶺は全てその中に沈んで何も見えない。荒川沿いの川堤を走り抜けて川島町に入ると一面の水田が広がる田園風景は気持ちが良い。ここから奥武蔵の山や山へ向かってひた走る。途中の嵐山町農協販売所によって野菜、惣菜、弁当を買う。ここで大発見したのは「お米」は全て売り切れました。新米販売までお待ち下さいの垂れビラである。話を聞けば、福島原発事故による放射能汚染で古米の買いだめに走る人が多く売り切れてしまったらしい。小川町に入ると本当にシャッター通りで寂しい限りだ。槻川べりにはキャンプしている家族もおり、浅い川の中で遊ぶ子供達の声も賑やかで見ている私たちも楽しくなってしまう。ここは公衆便所もあり、水もあり、コンビにもありキャンプには打つ手付けの場所だ。                                            ●笠山への林道の入口付近は秋海棠の群生地があり、今が盛りとあって杉林を灯している様は綺麗だ。記念に写真を撮る。通い慣れた林道を登って行くと行き交う車もないので、水場は空いているに違いない。着てみれば誰もいない。いつもの場所で妻と30分ほどかけて140リットルを汲んだ。水の冷たさは本当に気持ちが良い。後から一組が組に来たので言葉を交わすと「ここの水は癖がないので止められない」と言っているように、我々も同感で10数年通い詰めているといえる。これだけ積むと車も重くなり、笠山峠まで走りも重たい。峠には山に登った人か2台ほど駐車していた。我々は峠越えて一路秩父高原牧場へと車を走らせた。林道は先日の雨が流れた跡が各所に見られる。結構高い林道で一匹の猫を発見した。「捨て猫ね。可愛そうに、人間は自分勝手ね」と妻は言う。こんな山中で自分の食べ物を探して生きていくことは容易ではない。そんなことを考えながら林道をり、秩父高原牧場へ県道を登り返した。                               ●秩父高原牧場のビジターセンターは月曜日なのでお休み。二本木キャンプ場の「あづまや」へ急いだ。車を止めて「あづまや」で買ってきた弁当を食べるも半袖では寒くなるほどの涼しさでびっくりする。私は使われなくなったバンガローを見ながらお花の写真を撮ってまわった。投資したものの利用者もなく10棟のバンガローは廃墟になってしまった。寂しい限りだ。暫らくして妻と愛宕山の登山道に取り付く。ここは簡単に登れるのがいい。今は草が一面を覆うほどであるが、周囲の木立は手入れらさている。山頂には愛宕神社の石碑があり願掛けをする。山頂は展望がないが、南側の天文台の直ぐ下の木立が透けて妻の好きな大霧山が見える。写真を一枚撮って山を下りる。本格的な登山は諦めたが、妻と里山に月一度登れることを幸せに思う。 帰りは、東秩父村農協販売所に寄るが買う物なし、小川町農協販売所でも買うものなし川島町農協販売所で野菜や惣菜を買い足す。しかし、どの農協販売所も「米」は売り切れで「新米町であったことが、今日の日本の世相を表していることを感じさせた。



▲聖高原〜三峯山〜安曇野

  (H23.8.10)


●7月初めに、小学校時代の一年先輩で私を可愛がってくれた池田宗弘さんから麻績村・信濃観月苑で「猫展」(彫刻・平面7/6〜8/12)を開催するとのご案内をいただいた。地図を調べると麻績村の隣が旧大岡村で鈴木徹夫・春代さんの別荘があるところなので、ついでに22年ぶりにお会いしたいと考えて、8月の天気の良い日を選択して今朝、4時半に家を出発。妻と久しぶりに上信越道のドライブとなった。お盆前なので車の流れは順調で休憩を予定していた甘楽S/Aに着いた。甘楽からは休まず一気に姥捨S/Aまで走る。姥捨から千曲市の盆地の景色は素晴らしい。ここで信濃観月苑の開館時間を調整して麻績ICへ。   ●麻績村は善光寺参りの街道とあってそれなりに整備されている。一度、村の人に聞いただけで無事に信濃観月苑に着くことができた。私達が今日最初の訪問者なので職員が時間前だが池田さんの作品展を見せてくれた。池田さんは大の猫好きで、その猫チャンたちから作り上げた作品の展示とあってどの作品を見てもユーモラスがある。彫刻の猫が鏡をみている「うぬぼれ」は楽しい作品である。小さな展示室なので鑑賞は直ぐに終わってしまったので、信濃観月苑のお庭を見て回る。涼しい木立の中に観月堂や茶室の棟があり、中々風情がある。記念写真を撮ってからお目当ての聖高原に車を走らせる。                    ●千曲川と犀川の間にあり、聖山の麓になだらかに広がる高原、カラマツや白樺林が広がる風景の中、ハイキングやスカイライダー、テニス、冬にはスキーとさまざまなスポーツが楽しめ、聖湖ではボート遊びやへら鮒釣りもできると案内している。リフトで風を感じながら三峯山頂上まで上れば、展望台から北アルプスをはじめとして360度見渡せるという。私は後段の部分に魅力を感じて妻を無理やり案内してきたが、着いてびっくりしたのは、バブル時代に開発された代物なので聖湖湖畔の大きなホテルは潰れているやら、近くのお店も閉じられたままになっているやその寂びれ方は目を覆いたくなるほどだった。とにかく三峯山へのリフトは動いているのでリフト乗り場に行く。妻は乗らないというので私独りで三峯山(1131m)に登った。雲があるので微かに北アルプスが望める程度だったが、初冬に来れば素晴らしい出会いがあるのだろう。             山を下って聖湖東畔にある聖博物館には、麻績村の民俗資料や美術品、標本などが展示してあり、村の歴史や人々の生活がうかがえるというが、今は建物が古くて長期休館となっている。別棟の航空博物館には、F104ジェット戦闘機など全国でも珍しい航空資料を展示しているというが、ここも休館然りであるが、外にF104ジェット戦闘機などが展示されている。本当に寂れてしまった。航空博物館昭和45年に現在の麻績村小学校が新築された時、旧小学校校舎が廃棄されることになったが、明治10年建造の貴重な建築様式を持つ校舎を永く保存しようと、昭和46年、聖高原に移し縮小して復元したという。文化遺産を復元することで教育施設の推移を後世に伝えるとともに、現代社会の情勢を見通し、激変する社会の進展度を航空機とその技術が代表するものとして、復元した旧校舎に航空資料館を設置したというから、その考え方は正しかったと思うが、当時の人たちが考えていた以上に経済の流が読めなかった悲劇とも思えてしまう。この事は日本全国にあることでここだけの問題ではない。


▲笠山峠〜堂平山

  
(H23.7.23)

●本当に今年の梅雨明けは早かった。7月10日過ぎには明けてしまった。それからは猛暑の連続で、その上、去る3月11日の東日本大震災の影響で福島原子力発電所が放射能漏れ事故での電力不足から節電をとの呼びかけに対して応えねばならないこともあって、夏の暑さはこのうえなく、熱中症で亡くなる人も増えた。一昨日、大きな台風が日本を襲ったが、太平洋高気圧が強くて途中で太平洋へ逆戻りしてしまった。そこへ大陸からの寒気が入り込み大変涼しい日が2日続いた。先月、山に水を汲みに行ってから1ヶ月ならんとしているので我が家も水切れとなりそうなので、今日、汲みに行くことにした。今日は山に行くのでウオーキングは行かず、5時に起きて、借りている農園の作物の収穫に行った。トマト、ミニトマト、ナス、ピーマンが取れた。妻の洗濯が終わってから出掛けた。                                           ●今日は驚くなかれ、高崎線を渡る上尾の陸橋から夏富士が見えて妻の喜びも一入。これも台風の過ぎ去った後の余波で夏とはいえ、空が澄んでいるからであろう。今頃は大勢の人が富士山に登っているのだろうと話しながら先を急ぐ。荒川に架かる開閉橋の上からも大山、丹沢山塊、奥多摩の山々、奥秩父の連山が見渡せ気分爽快。川島町に入れば青田が広がり、置く武蔵の山が城壁のように連なって見える。田園の中からこの風景は本当に心が癒される。また、小水路にオジサン達が釣糸を垂らしている長閑な風景が暫らく続く。東松山の古戦場近くのケヤキ並木の木陰道は、遠くローマのアッピー街道を思わせる風景を通り過ぎて、嵐山町に入れば、これまで暈しの山であったものがはっきりと見えるようになる。嵐山町の農協販売所では野菜は自家製があるのであまり買わず、寄って、惣菜、野菜とお弁当を買ってから山清水を汲みに行く。                                         ●今日の小川町は夏祭りとあって市内は通行止めなので順路に従って遠回りして、見慣れた槻川の橋を渡り山里に入る。夏休みとあって川の辺は家族連れで賑わっている。ここはキャンプするにしても川も浅く流も緩やかで川遊びには最適の場所だ。山里は何時ものように人気もなく長閑ではある。集落の林道に入れば一昨日の台風で道路にも雨の流れた痕跡が残っている。山間部は蝉や鶯の声を聴くほど澄んでおり、涼しい木陰の道が続く。水場に着いて見れば誰もいない。我々はいつもの蛇口で直ぐに130リットル汲めた。今日も笠山峠に向かう。                                             ●今日は堂平山に登ることにして峠に車を止めて登りだした。ここから山頂までは林が続くので、その中の登山道は涼しく、蜩や鶯を聴きながらの登りは気分欲登る苦しさも忘れさせてくれる。林を抜けてパラグライダーゲレンデの一角にでれば、視界が開け遠くは浅間山や谷川連峰まで望める。ゲレンデは芝生で覆われているが手入れされていないところを見るとパラグライダー学校も倒産してしまったのだろうか。山頂に立ち脇にある天文台に行って見ると工事中で見学もできないが、キャンプようの寝具を干してある。その下のキャンプ場は夏休みとあって子供達のこえがする。山頂の木陰で昼食を楽しみ、それから峠に下り、アイスクリーム食べに秩父高原牧場に車を走らせた。ここも夏休みで賑わっている。まずはソフトクリームを妻にご馳走して、ここから笠山、堂平山、大霧山の風景を楽しんで山を下りた。


▲秩父高原牧場〜愛宕山

  
(H23.6.28)

1ヶ月に1度は小川町の笠山に山清水を汲みに行くのが我が家の定例行事になっているものの、去る3月11日の東日本大震災の影響で福島原子力発電所が放射能漏れ事故を起こしてからは、雨が降れば関東周辺の放射能濃度が高くなったので、当初は気にしていたが、最近は水素爆発がなければ、放射能がおいそれと拡散することもないことが判ったので、雨が降って時間が経たなくても汲みに行くようになった。今日も一日がかりのハイキングのごとく家を出た。今日は5時に起きて、借りている農園の作物に挨拶しながら東北線までウォーキングに行く。最初は雨が降っていたので傘をさして歩いたが、やがて青空が覗き始め、雨も上がり気温が上昇しだした。これは梅雨明け間違いないと予感させたので、家に帰りつくや山に水汲みに行くぞと妻に宣言して準備を整えて出発と相成った。                                          ●梅雨明けのような空が広がり、車の窓を開けて走っても蒸し暑さには閉口する。仕方なしに窓を締めて途中からクーラーに切り替えたので快適なドライブとなった。荒川の土手の緑一色、川島町に入れば、小水路にオジサン達が釣糸を垂らしている長閑な風景が暫らく続く。東松山の古戦場近くのケヤキ並木の木陰道は、遠くローマのアッピー街道を思わせる風格があり、涼しいそうな風が吹き抜けていく。嵐山町に入れば、これまで暈しの山であったものがはっきりと見えるようになる。嵐山町農協の農協販売所に寄って、惣菜、野菜とお弁当を買ってから山清水を汲みに行く。                                         ●山里に入れば、人気もなく長閑ではあるが、風もなく梅雨晴れの蒸し暑さが漂い、傍を流れる槻川は4月に見たほどの流れに勢いもないが、涼しさを感じさせるようにさらさらと音をたてながら流れており、耳障りがよい。今日も一台の車ともすれ違うこともなかったので水は誰もいないのではと予測し出来た。案の定、一台のみで我々が汲む蛇口は空いていたので直ぐに130リットル汲めた。今日も笠山峠に向かう。梅雨山路の湿り気も考えてどこの山に登ろうか、妻と相談して二本木キャンプ場のあづまやで食事をしてから簡単に登れる愛宕山に登ることにして峠を越えた。今日は時間もあるのではじめての林道を通ってから人里に出たが、舗装はされているものの林道が狭く、鬱蒼とした森の中を抜けるので、妻は不安でこの道でいいのと何回も聞く。途中の谷間に洗濯物を干してある人家を見た時に不安が解消し、こんな山奥にも人が住んでいるんだと感心していた。                                              ●秩父高原牧場の売店も土日でないので閉まっている。我々は通りすごし二本木キャンプ場の駐車場に車を止めて、大木の木立に囲まれた「あづまや」を陣取り、嵐山町農協で買ってきたお弁当や惣菜を口にする。大木の緑陰が涼しく、時には鶯が鳴き、風の音が浪の如く押し寄せ、耳を澄まして聞き入る。本当にここは別世界である。自然に満たされた中で二人だけの食事をするなんて本当に贅沢なことだ。本当に心の安らぎである。食後は、双眼鏡、カメラを携えて愛宕山に向かう。この時期はお花もなく寂しい限りだ。蒸し暑くて草の蒸れる匂いがするだけ。山頂の愛宕神社にお祈りして引き返す。途中、大霧山が見える所で写真に収めたが青々して懐かしかった。高原牧場には立ち寄らず、一気に山を下り、小川町でカキ氷を食べて帰途についた。


▲笠山峠〜笹山〜秩父高原牧場

   (H23.5.31)

●今日はいきがい大学春日部学園校友会連絡協議会社交ダンス部のダンスパーティであるが、お天気もよく我が家の飲み水となっている山清水も切れてしまったので、急遽、ダンスパーティをお断りして、小川町の笠山に山清水を汲みに行く事にした。山清水を汲みに行くのは1ヶ月に一度と我が家の定例行事になっているが、以前のように水汲みも簡単に行くわけにはいかなくなってしまった。というのは、去る3月11日の福島原子力発電所の放射能漏れ事故で、雨が降れば関東周辺の放射能濃度が高くなることもあって汲みにいく場合、山のそれまでの天気状況を見なければならない。しかし、埼玉県が毎日測定している放射能量は雨の日も事故前とあまり変わりないのでそれほど問題はない。山清水を汲みに行けば一日がかりのハイキングに等しい。途中で嵐山町農協の農協販売所に寄って、惣菜、野菜とお弁当を買ってから山清水を汲みに行き、その後は近くの山に登って景色を眺めながらお弁当を楽しむのが常である。今日は昨日まで雨が降っていたが、今日は晴れ間も見える空模様だが、放射能のことは気にしないで出掛けた。荒川を渡る開閉橋を渡ったら妻が急にお腹が痛いというので、川島町農協のトイレを借りるため販売所に立ち寄る。それから嵐山町農協販売所へと急ぐ。                                      ●定番どおりの惣菜、弁当、野菜等を買い、何気なく草花売り場を覗いたらゴーヤの苗が売っていた。ここでは150円なので我が家の近くのお店の半値。妻に言わせるとこの値段が普通で、今年は原発事故でこの夏は電力不足が来るのでエコーということで一気に日よけとなるゴーヤの値段が倍になってしまったのだ。ここでは普段の値段で売っているのに、都心に近づくに連れて倍の値段とは業者のぼろ儲けとは許せない。ついでに藁も一束300円なので買ってしまう。買い物を終えてガソリンの値段を見ながら小川町の水汲み場へと車を走らせる。山里の集落は何時ものように静まりかえっている。今日は山の集落まで一台の車ともすれ違うこともなかったので水は誰もいないのではと予測し出来た。案の定、着いてみればだれもいないので、水を汲み終わった一台だけである。これまでの雨で水の噴出しは勢いがよく短時間で126リットルを汲めた。水の勢いを写真に収めて笠山峠に向かう。峠で昼食として堂平山にと思ったが、妻がお腹の調子が悪いというので堂平山登山は止めて、妻を車に残し一人で近くの笹山に登ることにして出発。                                      ●この笹山は笠山の西側にあり、模型飛行機の滑空場として知られており、同好の人たちが地主から山頂を借りて東西に広がる谷に向けて飛ばしているのだ。山頂までは30分ほどで着いた。道中のツツジは咲き終えているが、中には今が盛りとばかりと咲いているものもあって私を楽しませてくれる。山頂の滑空場からの眺めはよく遠く「さいたま新都心」まで見える。風向を図る赤と白の吹流しが風向きに膨らんでいる。泳いでいる。写真を撮って早々に下る。丁度、今頃が秩父高原牧場のポピーが見頃なので車を走らせた。ポピー畑は満開であるが、来る度に面積が狭くなっているように思える。ポピーを友に妻や大霧山の写真を撮ってから牧場の売店へと戻り、ここで美味しいアイスクリームを食べながら大好きな笠山や堂平山の風景を楽しんだ。


▲秩父高原牧場〜愛宕山

     (H23.4.26)   

●1ヶ月に1度は小川町の笠山に山清水を汲みに行くのが我が家の定例行事になっているが、以前のように水汲みも簡単に行くわけにはいかなくなってしまった。というのは、去る3月11日の東日本大震災の影響で福島原子力発電所が放射能漏れ事故を起こし、30キロ圏内の人は避難せざるを得ず、農産物や魚も汚染されどうにもならない状況が続き、雨が降れば関東周辺の放射能濃度が高くなり、水道水のヨウ素濃度が高くなり、子供は飲んではいけないという国の警告が出されたり、国難ともいえる大きな被災状況が今日の日本には現存しているので、汲みにいく場合、山のそれまでの天気状況を見なければならない。雨が降ってから日にちが経っていないと山清水の放射能の濃度も高いからだ。                                                  山清水にも行けば一日がかりのハイキングに等しい。途中で嵐山町農協の農協販売所に寄って、惣菜、野菜とお弁当を買ってから山清水を汲みに行き、その後は近くの山に登って景色を眺めながらお弁当を楽しむのが常である。今日は今にも降りそうな空模様だが、これまで晴天が続いたので放射能の濃度は低いと考えて出掛けた。荒川を渡る開閉橋から富士山は望めなかったが、菜の花満開の川堤には目を見張るばかり。川堤を走り抜けて川島町に入れば、田園風景が広がり一層近くの山並みがはっきりと見えてくる。農家の庭先は様々なお花が咲き乱れて春爛漫そのものだ。こんな風景を楽しみながら嵐山町農協販売所へと急ぐ。                                      ●定番どおりの買い物を終えて小川町の最高峰である笠山へ車を走らせる。山里は既に桜も終わっているが、山桜が見頃で若葉と山桜のコラボレーションは眠気を誘うほどの春うららである。今日は山の集落まで一台の車ともすれ違うこともなかったので水は誰もいないのではと予測し出来た。案の定、着いてみればだれもいないので、二本の蛇口から二人で126リットルも30分程で汲めた。汲み終わってふっと水場の上を見上げれば、山桜が見頃ではないか。汲むことに夢中だったので目に入らなかった。シッターチャンスは今とばかり、山桜の写真を撮って水場を後にして笠山峠に向かう。峠から山肌に咲く山桜の薄ピンクの色合いが山を明るくしている。こんな風景は山に来た人でなければ味合えない。先月はここから堂平山に登ったが、今日は大霧山に登ろうと妻も言うので山吹が咲き乱れる林道を下り、秩父高原牧場へと車を走らせた。その途中で空模様が怪しくなったので急遽変更して愛宕山に登ることにした。                                ●秩父高原牧場の桜も終わっており、ウイークデーとあって人は見当たらず。愛宕山へと車を走らせる。二本木キャンプ場に来て見れば、峠の案内標識の一帯はラッパ水仙が植えられて整備されているのは驚く。駐車場で昼食を摂り、愛宕山の登山道に取り付くが、ここも階段が整備されている。ここから20分も歩けば山頂なので、何時ものように落葉の中に咲くスミレを観察しながら登る。周囲の木立は手入れらさていて気持ちが良い。山頂には愛宕神社の石碑があり願掛けをする。山頂のツツジは今一だが、天文台のところは三部咲きである。ここから大霧山も見える。大霧山のツツジもまだなのであろう。下山して峠の近くに牧場らしき後に行くと、見晴らしがよく心身育成道場という看板を掲げている朽ちた大きな建物があった。何か怪しげなことが頭をよぎったので早々に引換えしてきた。


▲農林公園〜仙元山

   (H23.4.12)

                                                          ●60代後半までは桜狩に遠くまで出掛けて行ったが、最近は体力もさることながら遠くまで桜を見に行く気にもなれず近場で済ましている。昨年は荒川沿いにある熊谷の桜堤とさきたま古墳公園に行った。妻は初めて訪れる場所だったこともあって見事な桜に感激していた。今年も近場でどこかに行こうと誘われていたので、秋に二人で訪れたことのある県立農林公園に行くことにして、水汲みの定番コースとなっている嵐山農協販売所に寄って野菜や惣菜を買ってから農林公園に車を走らせた。                                        ●農林公園は、埼玉県民の皆さんが農村文化に触れることによって農林業を体験し、理解してもらうとともに、農林業関係者等の総合的な研修の場として昭和63年に埼玉県が川本町(現在の深谷市)に設置した施設。家族や友人と楽しく語らいながらの園内散策、そして子どもたちと芝生自由広場を走ったり、ミニSLやバッテリーカーなどに乗ることができる。また、土とのふれあいや四季折々の花植木、野菜などが楽しめる。実際に野菜や果実の収穫体験や木工工作、料理教室も随時開催している。特に春は華やかに広場の100本近い桜が咲き乱れる風景は素晴らしいと宣伝している。農林公園に着いてびっくりしたのは、休館日でゲートは閉まっているではないか。青空の下、桜は満開なのに休館日はないだろうと思うのは私だけでもあるまい。本当にお役所所仕事だと思わざるを得ない。桜を見に来る人たちは、ゲートが閉まっているので殆どの人が引返して行く。私は秋に来ているので公園内の様子が判っているので、お弁当を持って横手のゲート脇から入って桜の咲く広場のベンチに座って桜狩を楽しみ楽しんだ。目の前に広がる桜並木を妻と2人だけで楽しむなんて夢にも思わなかったのでご満悦なり。昼食後、少し散策していたら造園業者が我々を見て休館日なので出て下さいと、注意しに来たので素直に受けて農林公園の桜狩は終わった。                                    ●農林公園だけの桜狩はもったいないので、都幾川の桜堤を見に行くことにしたが道を間違えてしまった。そこで小川町にある県立伝統工藝館の近くにある仙元山に登ることにして引返してきた。仙元山北斜面にカタクリの群生地がある。すでにカタクリの花は終わりに近いがカメラマンの数もそれなりに見受けられる。帰りに寄ることにして桜並木の続く見晴らしの丘へと車を走らせる。桜の咲き乱れる丘には見晴台もあるように、眼下の小川町を一望できる。妻は「グー」と感激していた。眼下の小川町のどこに桜が咲いているか望め、一帯をなしているところは何処だろうと思いを巡らせた。子供や大人まで楽しめる安全な山の滑り台もあり、「きゃきゃ」声を出しながら楽しんでいる。また、我々が何時も登っている堂平山、笠山、大霧山、秩父高原牧場、登谷山も望め言うことなし。双眼鏡で近くに引き寄せて見る風景も格別だ。ここは穴場だと思った。帰りにカタクリの写真を撮り、近くの西光寺に立ち寄った。 西光寺の山門は、室町時代の創建とされる曹洞宗のお寺。「大寺」の通称がある。とりわけ鐘楼を上部に配した特徴的な山門が有名だ。また境内のシダレザクラや、裏山のカタクリの群生でも知られている。最近建てなおしたのであろうが、これを檀家の人たちの負担となると大変なことだと思いつつ後にした。


▲笠山峠〜堂平山

   (H23.3.28)

●1ヶ月に1度は小川町の笠山に山清水を汲みに行くのが我が家の定例行事だが、今回は3月11日の東日本大震災の津波事故や福島原発の事故の影響でパニックに陥り、特に原発事故での放射能で浄水場の水の放射能の濃度が基準値を超えたことで幼児には飲ませるなと云う政府の要請から、関東各地で販売用水が買いだめされて何処もかしこも品物不足になってしまった。どこのスーパーの棚から商品が消え、極端な品不足となり母子手帳のある人以外には販売しない措置を取るまでになってしまった。そのうちにスーパーから水、お茶などは何もなくなってしまった。我が家は山清水があるのでそんな心配はしなかったが、2リットルペトポトル6本入り1ケース(12リットル)を2日で使うので残り2ケースになった時は心細くなってきた。             ●原発事故に関する埼玉県での放射線量について、埼玉県HPに掲載されているのでチエックすると、基準値以下なので山の水も汚染されている訳でないが、大勢の人が笠山の山清水を汲みに来るのではないかと推測して、日曜日を外して汲みに行くことにした。行けば一日がかりのハイキングに等しい。途中で嵐山町農協の農協販売所に寄って、惣菜、野菜とお弁当を買ってから山清水を汲みに行き、その後は近くの山に登って景色を眺めながらお弁当を楽しむのが常である。今日は素晴らしい天気なので期待して出掛けた。春霞で富士山は見えなかったが、荒川の土手に咲く菜の花が素晴らしく目を楽しませてくれたことは云うまでもない。川島町、東松山市、嵐山町の田園風景を楽しみながら嵐山町農協販売所へと急ぐ。定番どおりの買い物をするが、野菜等については原発事故で福島、茨城地方の野菜が放射能汚染で出荷停止になったこともあってか、嵐山町農協でも値段が上がっている。買い物を終えてからガソリンの値段を見ながら小川町の笠山へ車を走らせる。                ●里に入ると梅、桃などの花が咲き乱れ、近くの小川はサラサラと音を立てて流れている風景は我が故郷「身延」を思い出させてくれる。山の集落は春の花が咲き乱れているのに人の気配を感じない静けさである。行き交う車もないので水汲みにきている人は少ないと推測する。水場に着けば2組いたが、ホースの水を汲む人たちで、我々が汲む水場が空いている。我々が汲むところは湧水が剥き出しなので敬遠しているのだ。気分的な問題なのである。二本の蛇口から二人で126リットルも30分程で汲めた。ここから笠山峠を越えは、滑り止め車のみ可となっているが凍結なしと笠山峠に車を走らせた。眼下の長閑な風景は見飽きることはない。     ●笠山峠から久しぶりに堂平山を目指す。入口から新しい登山道が出来ているので登ってみるが、霜が解け出しているので旧道に入り山頂まで登り詰めた。パラグライダーゲレンデの芝生から見る、白き遠浅間、信越・上越の国境を形成する山並みは真っ白で今年の寒さを垣間見ることができる。また、秩父連山も雪が染めている。目の前の分武甲山も何本の横筋は雪に縁どられている。美の山は春を待つべく色が明るく変り始めている。山頂には独りの若者がいたので挨拶を交わす。のんびりと昼食をしながら風景を楽しんだ。帰りは秩父高原牧場により、先月よったヘリリポート行く。3/11の事故で計画停電の影響でビジターセンターも休館でこんな所まで影響が出ていることを思い知った。一日だった。


▲秩父高原牧場〜愛宕山

   (H23.3.5)


●1ヶ月に1度は小川町の笠山に山清水を汲みに行くのが我が家の定例行事になっている。2月は雪も降ったことから林道の凍結を考えて先延ばしにしてしまった。行けば一日がかりのハイキングに等しい。途中で嵐山町農協の農協販売所に寄って、惣菜、野菜とお弁当を買ってから山清水を汲みに行き、その後は近くの山に登って景色を眺めながらお弁当を楽しむのが常である。今日は素晴らしい天気なので期待して出掛けた。なんと言っても富士山大好き人間の妻が喜んだのは、荒川を渡る開閉橋から真っ白に染まった富士山が望めたことである。先月末に富士山を見に行ってきたが、その時以上に白さが増え裾野まで染まっていることが見える。また、川堤からは一際雪染まった遠浅間が見えるほど見渡す限り奥多摩や奥武蔵の山々、奥秩父連峰が望める。川堤を走り抜けて川島町に入れば、田園風景が広がり一層近くの山並みがはっきりと見えてくる。 農家の庭先には梅や桃の花が咲き春を告げている。こんな風景を楽しみながら嵐山町農協販売所へと急ぐ。                                      ●定番どおりの買い物を終えて小川町の最高峰である笠山へ車を走らせる。里の林道は路肩に以前の残雪があるものの、道路は乾燥していて危険なところなし。山の集落は梅も咲き日だまりとなっている家も多く布団を干してあるのが印象的だった。山間部に入るや山陰の道路は凍てているところもあり、慎重に運転する。水場に着けば何人も待っているにも関わらず、我々が汲む水場が空いている。どうやら待っている人は、我々が汲むところは湧水が剥き出しなので敬遠しているとのことだ。二本の蛇口から二人で126リットルも30程で汲めた。湧水の温度は一定なので冬は意外と温く感じる。後から来た人で我々の蛇口で汲む人はプロらしく大きなポリタンクを10本近く持って来ていた。ここから笠山峠を越えようと思っていたが、林道凍結により通行止めとなっているので、下山して東秩父村農協販売所で買い物する。久しぶりにここで食べた「味噌おでん」は美味しかった。一路、秩父高原牧場へ車を走らせるが、途中で風に乗る杉花粉の白く飛ぶ様をはじめて見た妻は驚きの声を発していた。                                                                                          ●秩父高原牧場で一番景色のよいヘリリポートで昼食とした。目の前に桜で有名な美の山、左手に武甲山とその奥には秩父連山が広がり、西に目を向ければ、両神山が荒々しく望め、その右手には私が登った城峰山、その奥には東・西御荷鉾山や雨降山が望める。その奥には真っ白な浅間山と右手には万座スキー場もはっきりと見え感激する。このような素晴らしい景色を楽しみながら車の中で昼食を摂る。私にとっては贅沢な一日である。双眼鏡でそれぞれの山を引き寄せてみる。登った昔が懐かしく蘇って来る。また、大霧山から下りてくる人たちも何人通りすぎ行った。昼食後、ビジターセンターによって牛乳などを買ってから登山する愛宕山へと車を走らせる。二本木キャンプ場に車を止めて愛宕山の登山道に取り付く。ここは簡単に登れるのがいい。今は落葉が地面を覆いつくすほどであるが、周囲の木立は手入れらさている。山頂には愛宕神社の石碑があり願掛けをする。北側の木立が透けているので上越の国境なる真っ白な谷川連峰が望める。ここで独りの登山者に会う。大霧山は大勢登っていたとか。今日は小春日より素晴らしいハイキングを楽しめたことに感謝


▲笠山峠〜笠山

   (H23.1.14)


1ヶ月に1度は小川町の笠山に山清水を汲みに行くのが我が家の定例行事になっている。行けば一日がかりのハイキングに等しい。途中で嵐山町農協はじめ幾つかの農協販売所に寄って野菜や米を買ったり、ガソリンが安い小川町農協ガソリンスタンドで給油したりする。その上、山清水を汲んだ後は、農協で買ったお弁当をもって近くの山に登るのが常である。こんなことを10年以上も続けている。1月に入ってから汲み置きの清水も少なくなったので、天気のよい日にと思って今日で掛けることにした。妻は寒いので家にいるというので、農協で買ってくるものをメモしてもらい買ってくることになった。農協は土日前とあって嵐山農協も閑散としており、お客の数も少ないところを見ると、野菜の数も調整しているのか少なめだ。頼まれた物を買い、昼飯を買って小川町へ向かう。ガソリンスタンドのガソリン価格もチェックしながら走ると、小川町農協ガソリンスタンドがリットル125円と一番安いので帰りに入れることにして水汲み場へ急いだ。                  ●山の集落へ繋がる林道は、アスファルトの凍結もなく快調に走れた。昨年は雪道で苦労したことが蘇って来る。水汲み場には1組しかいないので直ぐに蛇口を確保することが出来た。垂れ流しなので汲む台からこぼれた水は凍りついているが、水そのものは温さがあり冷たさを感じないのは外気がそれ以上に冷え込んでいるからでもある。一人中腰で120リットルも汲むと腰が痛くなる。汲み終わってから記念にと凍り付いている水場を撮ってから笠山峠へと車を進める。高度を上げるが、今日は小春日よりで温く道路も乾燥している。               ●笠山峠に車を駐車させてから、土砂崩れで通行禁止となっている林道を歩いて笠山への登山口に取り付く。この林道も5年以上も前に工事を終えているのにこの体たらく、なぜ必要なのか、無駄使いとしか言いようがない。このような林道が日本各地にあるのであろう。本当に必要なものだけを作ればよいのにと思ってしまう。風もない小春日よりの山道は暖かくて背中はうっすらと汗をかくほどだ。山道の端の方は土が柔らかいので霜柱も立っている。踏んでみても崩れることはないほど太いのには驚く。これも解けては冷え込み次第に大きくなっていったのであろう。登山口から40分位で着いた。山頂は誰もいないし静けさそのもので北側に広がる景色を独り占めしながら昼食を取ったり、俳句を詠んだり、双眼鏡で国境となっている真っ白な谷川連峰眺めたりして過ごす。そこへ60歳代の人が私を視界に入れずに通り過ぎようとしたので「こんにちは」と声を掛けると、彼は「うわっ」と驚いていた。そこからの景色も見ずに笠山神社へ向かった。私も整理してから笠山神社へ初祈願するためにあとを追った。神社で彼と言葉を交わした。彼は下の集落へ下って行ったので祈願してから、南側に開ける空間から笹山や堂平山の写真を撮ったりしてから西峰に戻った。大型カメラを持った中年のご夫婦とすれ違った。のんびりと観察しながら下り、笠山峠に着くと、昼寝をしたくなるほど温さのある陽射しがあるので車の中で30分ほど寝てしまった。陽射しが山陰に入ったら急に冷え込みだしたので山を下った。

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