私が尊敬する日本の登山家 ★加藤文太郎
★松濤 明
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★植村直巳 (1941―1984?) ●登山家、冒険家。兵庫県出身。明治大学在学中、山岳部に属し、1965年(昭和40)明大隊隊員としてヒマラヤの未踏峰ゴジュンバ・カン登頂。1966年アルプスのモンブラン、アフリカのキリマンジャロ登頂、1968年南米のアコンカグア登頂後、ペルーのユリマグアス(イキトス市の上流)より河口まで60日間をかけてアマゾン川を筏(いかだ)で下った。1970年エベレストと北米のマッキンリーに登り、世界五大陸の最高峰に登頂、しかもエベレスト以外は単独登山であった。さらに1971年アルプスの難壁グランド・ジョラス北壁登攀(とうはん)後、エベレスト南壁国際登山隊に参加。1974年から1976年にかけてグリーンランドからアラスカまで北極海を単独犬ぞりで踏破、さらに1978年北極点に単独犬ぞりで到達。1980年アコンカグア厳冬期初登頂。1981年冬期エベレストに挑戦したが果たさず、さらに南極の最高峰ビンソン・マッシフに登る準備をしていたが国際情勢から断念。1984年2月北米マッキンリーの冬期単独登攀に成功、下山途中消息を絶った。 人間の可能性への飽くなき挑戦を、周到な準備と卓抜な精神力と技術で実行した世界的な登山・冒険家である。著書に『青春を山に賭(か)けて』『北極園12000粁(キロ)』『極北にかける』などがある。1978年菊池寛賞、1979年バーラー賞、アカデミー・オブ・アメリカ賞、1984年4月国民栄誉賞を受けた。 ●日本初めてのエベレスト登山隊に参加するも参加自己負担金を用意できなかったため荷揚げ、ルート工作要員としての参加であったが、抜群の体力等が認められ松浦輝夫とともに第1次アタック隊に選ばれ、1970年5月11日、エベレスト南東稜から登頂に成功する。しかしこの経験で、大量の隊員を荷物運びとして使いながらほんの一握りの者しか登頂できない極地法による高所登山に疑問を持った。同年8月、エベレスト登頂の勢いを借りて再びマッキンリーに挑戦し単独登頂を成功させ、この時点で世界初の五大陸最高峰登頂者となった。
★加藤保男 |
1947年12月8日神奈川県愛甲郡愛甲町半原に生まれる。63年、�日本コロン ビアに入社。神奈川県立神奈川工業高校卒業。 15歳から登山を始める。69年から新潟県の明星山の岩壁に4本の新ルートを 開拓したのをはじめ、冬期登攣をつぎつぎに行い実力を養う。71年退社後、 �日本アルパインガイド協会公認のガイドとして活動をはじめる。 73年、第2次RCC主催のエベレスト登山隊隊員として初の海外登山を経験し、 標高8300mに到達。 75年、谷川岳一ノ倉沢に残された最後の冬期未踏ルート・滝沢第2スラブの 初登攣を単独で行う。 アルパインガイドとして四季を通じて活動しながら、77年から79年にかけ てヨーロッパアルプス3大北壁の冬期単独登攣を世界で初めて達成。 81年、南米大陸最高峰のアコンカグア南壁の冬期単独登攣に成功。そめ後チョ モランマをはじめとするヒマラヤでの困難な登撃に挑みつづける。 91年10月10日パキスタン・ウルタル�峰登山中、雪崩により遭難。享年43歳。
登山年譜 1973年ネパール・エベレスト(8848m) 1977年マッターホルン北壁シュミットルート冬期単独登撃 1978年アイガー北壁冬期単独登攣 1979年グランドジョラス北壁ウォーカー稜冬期単独登攣 1980年アンデス・アコンカグア北面ノーマルルート冬期単独初登頂 1981年アンデス・アコンカグア南壁フランスルート冬期単独初登攣 1982年バタゴニア・フィツロイ北東壁新ルート試登 1983年ネパール・ダウラギリ�峰(8167m)北東稜(ポストモンスーン) 1984年パキスタン・ナンガパルバット(8125m)南東稜(プレモンスーン)、 パキスタン・ナンガパルバット中央側稜単独(ポストモンスーン) 1985年中国・チョモランマ(8848m)北東稜(ポストモンスーン) 1987〜88年 中国・チョモランマ北東クーロワール(冬期) 1988年中国・チョモランマ北東クーロワール(冬期) 1990年パキスタン・ウルタル�峰南西壁 1991年パキスタン・ウルタル�峰南西壁
右が長谷川恒男氏が遭難した山
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