神奈川県

★日本列島横断山行に関わる(御殿場〜乙女峠〜金時山〜塔の峰〜小田原)山行は除外しています。

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   神奈川県の山で最初に登ったのは大山である。大山は、神奈川県伊勢原市秦野市厚木市境にある標高1,252m   ので、丹沢山などの丹沢の山々とともに丹沢大山国定公園に属し、神奈川県有数の観光地の一つで、富士山のような三角形の美しい山容から、古くから庶民の山岳信仰の対象とされた。信仰登山は宝暦年間(1751年)から行われ、大山と呼ばれた。各地から通じる道は「大山道」と呼ばれた。この名は現在の国道246号の別称「大山街道」などとして残っている。江戸の庶民にとっては、大山詣でと江ノ島詣のセットで娯楽の一つでもあった。山頂に阿夫利神社本社、中腹に阿夫利神社下社、大山寺が建っている。大山は別名を「阿夫利(あふり)山」、「雨降(あふ)り山」ともいい、農耕民にとっては大山及びび阿夫利神社雨乞いの神として信仰を集めた。 第10代崇神天皇の頃(紀元前97年頃)の創建と伝えられ、山頂に本社、標高700メートルの中腹に下社があります。「大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)」「大雷神(おおいかずちのかみ)」「高おかみ神(たかおかみのかみ)」を主祭神とし、大山山頂に立つ本社に祀られております。源頼朝をはじめ、多くの武将に厚い崇敬を受け、江戸時代には庶民の信仰を集め大山参りが盛んになりました。大山は昔から信仰の山として栄えたことはいうまでもい。

日本三百名山関東百名山の一つでもある。高校2年の春の遠足で初めて大山に登った。遠足なので男子生徒は、当時、ケーブルカーがなかったので下から登山マラソンのように競争し、女子生徒はのんびりと標準タイムを守りながら登山して山頂でクラス別に落ち合ったことが今でも鮮明に蘇ってくる。二回目は、4歳の長男を連れて職場の山岳部主催の登山に参加し、一番楽なコースのヤビツ峠からだましだまし登り、帰りはおんぶして下山した思い出も遠い昔のことである。三回目は、妻と長男が登ったコースを辿った。それだけに私にとっても思い出多き懐かしい山でもあり、新宿から小田原まで小田急線に乗って行くと、見えてくるのは大山であり、それに続いて丹沢山塊へと続く風景に心が癒される。






★大山1
    
       昭和32年5月7日

阿夫利神社下社


大山からの眺め


古屋君が一番で山頂に着いた
      箱根駅伝の夢も諦めた70歳の古屋君 半世紀ぶりに池田君にも会いました(H22.10.13同窓会)

★大山2
    
       昭和48年11月23日





★大山3
    
     平成13年10月27日












彩の国から見える大山と丹沢山塊

★紅葉して車だらけの峠道

 

★息子との思い出辿る秋山路

 

★紅葉狩り妻を支える登山杖

 

★杖突く妻の歩みや蔦紅葉

 

★草花に目を奪われる秋の山

 

★心地よき秋風や尾根細まりぬ

 

★空青し紅葉に染まる谷深し

 

★山地用や東西南北天高し

 

★山神に御礼参りや秋深む

 

★萩の咲く山路半ばの休憩台

 




★冠ガ岳〜神山・箱根駒ケ岳1

     昭和35年8月6日〜8日



芦ノ湖と箱根駒ケ岳




神山




はキャンプに参加した仲間

★箱根駒ケ岳2

      平成5年9月15日


★箱根駒ケ岳3

      平成8年8月16日

★山頂の涼しさ下界までもたず
★涼風に妻も喜ぶ駒ケ岳
★涼風や山は離れて見るものよ
★夏の湖船行く後の浪白き
★日傘さす老姉妹いる展望台
★蜂蜜を受け止めている野菊かな
★熱弁の神主の汗や夏衣
★夏山の見上げる空に鷲の舞う
★山頂や子がケルン積む夏休み
★ロープウェイ下界に戻る暑さかな


★箱根駒ケ岳4

      平成9年10月26日




★秋晴れ百人乗りのロープウェイ

 

★突然の雲に戸惑う紅葉山

 

★秋風に帽子押さえし駒ケ岳

 

★先輩の足取りたしか秋の山

 

★山神にお願いばかり秋の雲

 

★秋風の中なる記念写真かな

 

★十月や富士に雪なく湖暮れぬ

 

★山腹の芝枯れ近きゴルフ場

 

★秋の湯に昔の仲間揃いたる

 

★語らいの秋夜楽しき山仲間

丹沢山塊及び道志山脈の踏み跡





★塔ヶ岳1

      昭和40年9月7日

大倉尾根を行く



★塔ヶ岳2〜丹沢山〜蛭ヶ岳〜桧洞丸〜石棚山〜箒沢
      
      昭和41年4月16日
17日

大倉尾根上部から見える塔ヶ岳山頂


塔ヶ岳から見る丹沢山と蛭ヶ岳方面
     
縦走路から見る蛭ヶ岳(左)と丹沢山(右)

左が蛭ヶ岳



桧洞丸と富士山(蛭ヶ岳より)

★塔ヶ岳3
     
      昭和42年8月6日

塔ヶ岳 山頂と尊仏山荘

★焼山〜原小屋〜蛭ヶ岳2〜丹沢山2〜塔ヶ岳4

      昭和42年8月6日

港区選挙管理委員会事務局の同僚


蛭ヶ岳


 


★ヤビツ峠〜二の塔〜三の塔〜塔ヶ岳5

      昭和43年6月16日

ヤビツ峠

登山口

二ノ塔

三ノ塔

表尾根から塔ヶ岳を望む
烏尾山
鳥尾山

行者ヶ岳

鎖場

新大日小屋

塔ヶ岳は目の前

相模湾が望めます

★大倉尾根〜塔ヶ岳6

      平成5年2月25日

大倉バス停
登山口
登山口
分岐
分岐点
大倉高原山の家 見晴茶屋 堀山の家
花立
花立からの展望
花立山荘 金冷シ
花立小屋 馬の背 金冷シ








★塔ヶ岳7〜鍋割山

      平成6年7月3日

塔ヶ岳が目の前に見えてきました

山頂に着きました

鍋割山山荘

 

★ブナ木立揚羽も蝉も生きにけり

 

★山道や日干しのミミズ哀れなる

 

★ブナ木立人は我のみ落葉踏む

 

★木漏れ日や涼風を生む沢の音

 

★我を知り蝉の声止む山路かな

 

★酸性雨に樹木立ち枯れ山寂し

 

★奥山の涼しきものに滝の音

 

★杉木立手入れされたる夏の空

 

★大木に己を晒す蝉一匹

 

★よく見れば青き木の葉に青き虫



★塔ヶ岳8

     平成7年1月15日








★朝寒し澄みたる空の遠嶺かな
★雪富士赤く明けて来ぬ朝日射す
★山麓に登窯ありき冬眠中
★丹沢や冬日きらめく相模湾
★粉々と踏みに踏まれし落葉かな
★冬日射す見晴らし茶屋煙立つ
★登山者の目も輝けり初登山
★寒風や枝の草鞋に夏の跡
★登山小屋ベテランの声高し
★薪を割り炉の火絶やさぬ小屋の主



★桧洞丸〜大室山〜畦ガ丸

       平成7年4月15日〜16日

大室山

加入道山

畦ガ丸










犬越路

★沢音や山桜咲く登山口
★遭難碑今は桜の季節なるぞ
★走り根を踏んで掴んで春山路
★ブナの苗紙囲いして春立ちぬ
★春雨や山小屋の土間黴臭き
★春泥にぬかる山靴ままならず
★錫の音にキツネ慌てて逃げにけり
★「害獣」と鹿を思えば寒かりき
★先人の峠路廃れ山笑う
★霧深し見えざる山の高さかな



★畦ガ丸〜菰釣山〜御正体山
 
   平成7年12月9日〜10日

御正体山(みしょうたいやま)は、山梨県都留市南都留郡道志村の境にある山。標高は1,682mで、道志山塊最高峰である。日本二百名山山梨百名山の一つに数えられている。古くは養蚕の神の山として敬われた。江戸時代後期の文化10年(1813年)に美濃の僧妙心が入山し、人々の信仰を集めた。文化14年(1817年)、妙心は山中で入定する。妙心のおひしゃり(ミイラ)は山内の上人堂に祀られていたが、明治廃仏毀釈によって山からおろされてしまった。京都の博覧会などに展示されるなどした後、故郷である岐阜県揖斐川町横蔵寺に祀られている。山頂には御正体権現が祀られ、都留市小野に里宮である若宮神社がある。「正体」という言葉は本来、「日本のカミガミは仮の姿であり、その正体はインドの仏である」と主張する本地垂迹説に由来する仏教用語であり、他方「権現」は、同じく仏教用語で、インドの仏が仮の姿で、つまり日本のカミとして現れたものを意味する。従って、「正体」と「権現」は相互に相容れない概念であると考えられ、山頂に祀られた「御正体権現」に仏教もしくは神道教理上いかなる位置づけが与えられているのかは明らかでない。山頂付近は原生林が広がり展望は良くない。都留市二十一秀峰に選定されている。



菰釣山


御正体山



畦ガ丸


菰釣山避難小屋


菰釣山から富士山と山中湖を望む


菰釣山から富士山と山中湖を望む

菰釣山から御正体山を望む

菰釣山から愛鷹連峰を望む

山伏峠から富士山を望む


★水枯れて沢石に水跡ありぬ
★溜まり水落葉の色も染まりけり
★縦走路凍てつく風に出会いけり
★落葉踏み霜柱踏み山暮れぬ
★山小屋に手配書ありし年の暮
★雪富士やカメラを据えて日の出待つ
★雪富士やシャッターの音確かなる
★富士を見て明るく歩く師走かな
★凍て空も澄んで遠嶺の白き帯
★落葉降り積もる山道急降下