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私が四国の山を訪れる切っ掛けとなったのは、昭和36年8月に北海道を旅した時に知りあった 、岡山市の川崎病院看護学生グループ が翌年卒業して、それぞれが故郷に帰るので、その前に三田市の丸尾さんと新居浜市の飯尾さん が大阪まで出て来るので会いたいという。そこで私も奄美大島へ向かう途中、大阪駅で下りた。三人で記念に六甲山に 登った。その時に飯尾さんから四国にも遊びに来て下さいとのことで、夏休みに四国一周の旅を実現させ、四国の名山「剣山・石鎚山」に登った。石鎚山で知りあった「坊ちゃん鉄道」に勤務していた山本さんとは、それ以来、今日まで交流が続いている。
●六甲山 昭和37年3月25日 ★看護婦となりたる友の卒業式 ★友に会うときめく春や大阪駅 ★友と来て山桜咲く六甲山 ★海よりの風に桜も開くなり ★海風に六甲も温き春日かな ★春深む神戸の景に見つめいる ★日脚伸ぶ六甲山に雲一つなし ★初めての六甲に登る弥生かな ★六甲の山桜見て憩いけり ★六甲よ明日は鹿児島春の旅
ピークは摩耶山。
●剣 山 昭和37年7月21日 ★キャンプして明日を占う山の空 ★涼風に身を晒しけり沢の音 ★夏山路ヘビ出る度に身もすくむ ★夏山へヘビに出会いて急ぎ足 ★予期もせぬ前線通過夏の山 ★夏山に子らが立ち親子万歳 ★踏み跡を残す夏山今盛り ★登山バス出た後の山暮れにけり ★キャンプしてせせらぎを聞く流れかな ★二度と来ぬ山に一礼蝉時雨
●石鎚山 昭和37年7月27日 ★炎天や山より高き天守閣 ★渓谷の涼しさ誘う白き底 ★林道の路肩にマムシとぐろ巻く ★登山小屋四国の人と語り合う ★夏山へ昨夜の人と登りけり ★涼しさや木陰に届く沢の音 ★山清水汲む水筒の重さかな ★炎天や鎖を攀じる石鎚山 ★夏雲の湧く稜線の縦走者 ★岩峰の我が若き日や夏の山
★また来たし 青葉の茂る 面河渓 石鎚越えて 友を訪ねん
●大山 昭和59年10月5日 ★遠く来て大山仰ぐ秋の暮 ★秋天や我が青春は山にあり ★蜂の飛ぶ山路こわごわ通りけり ★霧の奥より遠足のこのはしゃぎ声 ★木道を踏む音続く秋峰かな ★濃霧にて鐘打ち鳴らす登山小屋 ★山神に吾子のことのみ秋の山 ★山寺の鐘響きけり紅葉山 ★霧深き日なり山麓静まりぬ ★秋寒しコタツ入れたる山の宿
中国地方の随一の名山「大山」にはいつか登りたいと思っていたが、今までチャンスはなかった。ましてや昭和51年の椎間板ヘルニヤでは1年近くの通院生活でザックを背負うのもままならない身となり、自然と山から足が遠のいたのも止む得なかった。それに加えてマイホームを建てたこともあって、お金がなくスキーもままならず年一度に落ち込んでしまった。また、健康面や諸々の事情も自分のむ生き方を見直さざるを得 なかった。残された時間は若き日よりライフワークとして考えていた「登山・スキー」の本格的な再開を考えた。そんな折りに仕事で松江に行く機会があったので、その帰りに休暇をとって大山に登ることにした。 米子からバスで大山に向かう。最後の乗客となったので心細いのこともあって運転手さんに話しかけると、バス停近くの仁王茶屋紹介してくれ、宿の人に登山口まで案内してくれるように頼んでくれた。お蔭で順調に山に取り付くことができた。中部電力保養所で水筒に水を補給して、山頂に向けて一歩を踏み出す。10分位で一合目を通過。五合目まで人に会うこともなく美しいぶな林のの中を登りつめる。その原生林に大山寺の鐘の音が「ごーん、ごーん」と何回も響き渡り、私の心の中まで染み込んでくる。五合目を過ぎたらがやがやと高校生が200人近くが下山してくるのには驚いた。彼らには山では「登り優先の原則」など通用しないので、こちらから声をかけて登り続けた。高度が高くなるに連れて汗で背中はびっしょり、動悸が激しく、後頭部がズキンズキンし始める。何としてでも山に立てねばと必死になって登った。 山腹は霧に包まれ視界は利かず、会う人はみな霧に濡れている。七合目上部からは日本海側が垂直に落ち込んでいるのでロープが張られていたり、木道が設置されていたりしている。霧で谷底が見えないので緊張感はないが、晴れていたら嫌なところだろう。九合目を通過してキャラボクの純林を縫っていくと、霧の中から子ども達の声が聞こえ出した。そこが山頂小屋なのだ。小屋に入らない子ども達はガタガタ震えながら昼食を食べていた。山頂(1710m)に立ったのは2時37分で霧に包まれホワイトアウトで何も見えず。東に向かって山神に向かって体調のことや吾子のことなど祈願をした。 混雑していた小屋も3時を過ぎるともぬけのからのように静まり返り、九から来た中年の人と私だけになってしまった。山について話し合ったところ、お互いに「人生とは山登りのようなもので、苦しいことが多いが、その中の1%が苦しみを打ち消してくれる」ということで意見が一致した。「我が人生の再出発の山」に別れを告げ、足元に注意しながら約1時間15分で下山した。帰りにぶな林にこだまする鐘を突きに大山寺に行く。山頂で祈願したことを繰り返して3回ほど鐘を突いた。鐘の音は山全体にこだまして消えていった。山荘で子ども達の土産物を買って、仁王茶屋に電話して迎えに来てもらった。 泊まり客は私一人で寂しかったが、夜になってからバスの運転手の伊藤さんが白バイスタイルで遊びに来てくれた。人情の厚さにはびっくりしてしまう。また、コタツで宿のおじいちゃんの苦労話を聞く。戦後入植してこの地で竹を育てることに挑戦し、雪が降るたびに竹を揺すって雪を振り払いを何年も続けてきた話は面白かった。この大山はいつまでも心の中に残る山であった。みなさんに感謝!
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