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青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。 ★70歳に手が届く年齢になった今、これまでの時間を振り返ってみると、私が生まれてまもなく太平洋戦争が始まり、何もかも国の為と言って国民に大きな犠牲が強いられた時代であった。戦争開始して疎開するまで新宿区にいた時のことは、小さかったために断片的に蘇るのみで、今日いたっても何の繋がりのない記憶となっている。しかし、母の故郷「身延」に疎開した時からのことは、記憶の中では連続的に繋がって蘇ってくる。終戦後の日本国の悲惨な状況は我々の世代ならば誰しも知るところであり、生き伸びるのに必死だった。両親が働けども我が家も貧しく、その背中を見ては早く働いて両親に楽をさせたいと一心で、小学校6年からアルバイトをしながら大学まで通った。 ★この頃になると我が家もゆとりが出てきて両親も度々旅行に出かけるようになった。そんな折りに大学に入学して大勢の仲間に出会い、サミュエル・ウルマンの青春とはという心地よい言葉に出会ったのは確かなことである。当時は安保条約反対闘争が血気盛んな時で、大勢の仲間と共に私もその渦中に呑みこまれたものの、この運動に参加した多くの若もたちは「青春とは何か」を考えて自分の行く道を語る仲間が多かった。働きながら自分の好きな登山やスキーを長く続けられる職場という単純な願望を持って、それならばそれが実現可能な職場は公務員に限るということで都庁に就職した。偶然に配属された職場に都庁山岳部スキー部の先輩がいたことから、私も機会ある度に誘っていただき、趣味としてのライフワーク「登山・スキー」が始動し、積み重ねて今日に至ったことは紛れもない事実である。 ★そのために自分なりの「踏み跡」を残すべく努力をて、登山・スキー記録集や登山・スキー句集をまとめてきた。また、日本列島横断山行と南アルプス一周縦走も記録として残すことができた。それは自分の生きた証しでもある。まとめるにあたって、最初は手書きで思うようにことが進まなかったが、ワープロの出現で大きく前進し、さらに65歳になってからさいたま市シニアユニバーシティ大宮校六期校友会パソコンクラブに入ってパソコンを覚えたことで、いろいろと面白く工夫しながらまとめることが出来るようになって、パソコンも趣味の一つとなり、その自信がさらに各方面に私の世界がさらに広がったことは言うまでもない。特に昨年は「点の記 劒岳」の映画を見て我が登頂を省みた。このように長く続けてきた私の趣味は「我が青春」そのものである。
番目の訪問をしていただきありがとうございます HP更新日2024/11/23 私が編集・管理しているサイトを紹介します All right reserved by okamura |