S40.4.24 千寿が原〜美女平〜弥陀ヶ原〜弘法〜地獄谷に入山
|
S40.4.26 別山
|
S46.4.29黒部ダムより入山 .30一の越 |
別山乗越より大日岳を望む |
S46.4.30雄山 |
H2.7.26 黒部ダムより入山 大汝山 |
|
17年ぶりに扇沢から立山に向かう。どの乗り物も観光客で満員。信州側は晴れ間が見えていたが、富山
側は曇り空で時折り小雨がパラツク。冬と春の立山しか知らない私は、夏の立山の人の多さには戸惑いを感
じてしまう。三千mの雄山は観光客で賑わっているが、それから先へ行く人は僅かしかいない。霧雨の中、
大汝山で記念写真を撮ってから稜線を足早に歩いて剣沢小屋に着いた。ここのテント場は大勢の人で賑わっ
ている。このような状況から真砂沢キャンプ場へ若手を先行させてた。案の定、テント場は満員であった。
今宵はロッヂで買ったビールで乾杯して明日の登山のために早く寝袋に入ったが、沢音が耳障りでなかなか
寝付けなかった。
二日目、剣岳や八ツ峰まで雪渓と岩峰を登り、標高1300m稼ぐことを考えて6時半に出発。長次郎谷出合
いから用心のためにアイゼンをつける。右に八ッ峰の岩峰を左に源次郎尾根を見ながらの登りは、見飽きる
ことなく「その昔、熊がいたことから名前が付いた熊ノ岩」まですんなりと稼げた。八ッ峰は鋸歯のような
岩峰が連なり、ヨーロッパアルプスを思わせるような素晴らしい山岳風景を醸し出している。その風景を眺
めながら池ノ谷乗越までやってきた。ここは三ノ窓へのアプローチとして利用されている。足の竦むような
ガレ場である。我々も用心のためザイルして長次郎の頭へ向けて岩稜に取り付いた。西側は悪く歩む度に神
経を使う。一箇所ルート確認に時間がかかったが、明治40年柴崎測量官が宇治長次郎と登り詰めた長次郎谷
左俣のコルへ正午についた。同じコースなら時間も短縮できただろうが、剣岳は目の前、池ノ谷乗越を登っ
たことで、八ツ峰全体、剣尾根、三ノ窓方面を眺めることができた。コルから30分で剣岳に立てた。遮るも
のなし、言葉は要らない。柴崎測量官が初登頂と思っていたら既に先人が登っていたことを確認した時の胸
中は複雑な思いだったことだろう。帰路は一般ルート思っていたが、霧につつまれだしたので長次郎谷左俣
を下ることにした。コルから急傾斜の雪渓をアイゼンをつけて一歩一歩慎重に下る。熊ノ岩をトラバースす
ると八ツ峰で楽しんだクライマーが続々と下山してくる。私も疲れ果てたが、夕食時のミーティングでは、
みんな今日の登山には満足したとかたっていた。
三日目、今日は阿曽原小屋まで下山するのでゆっくりとキャンプ場を後にする。二股まで剣沢の左岸を進
むが、高巻くやヘツリがあつたりしてスリルのある山路だ。二股からの三ノ窓雪渓と裏剣の眺めは最高!ヨ
ーロッパアルプスを眺めているような気分だ。仙人新道に取り付くも標高500mの登りは日影になる樹林もな
く、風もなく、太陽の照りつけから頭がガンガンしてくる。その苦しさを少し和らげてくれるのが、三ノ窓
雪渓と裏剣の景色である。やっとの思いで仙人池小屋に着いた。小屋の前の仙人池に映る裏剣の雄姿は素晴
らしい。何枚も写真におさめてる。暫らくすると霧が剣を包んでしまった。これが山の天気なのだ。小屋主
が「若い二人を連れて余裕だね。秋に泊まりに来て写真を撮ったら」と誘いをかけてくれた。阿曽原まで3
時間の下りというので、たしたことはないと思っていたら急なガレ状の道、崩壊地の不安な下り、今にも落
ちそうな雪渓の横断や高巻きやらで意外に時間がかかってしまつた。仙人湯小屋では温泉をバックに記念写
真を撮っただけで通過して、遅れた時間を挽回した。阿曽原小屋に着くや、まずはビールを持って露天風呂
に入りに行く。沢音を聞きながら飲むビールは最高に美味く涼味満点。近くには吉村昭の「高熱隧道」で有
名になつたトンネルがあり、そこから露天風呂まで湯を引いている。
四日目、3時半に起床。今日歩く旧日電歩道は、黒部川第三発電所を建設するため、大正7年に調査班が
地元の猟師の案内で黒部渓谷上流に踏み入れたのが最初で、それを基に測量の通路として、改修を重ねて現
在に至っているという。歩道と言っても阿曽原谷から蜆坂まで切り立った岩壁をコの字型に刻み込んだ所が
多く、幅も70cmそこそこで谷川は300mに近い絶壁をなし黒部渓谷に落ち込んでいる。4時半小屋を後に
する。歩道は狭いもののしっかりしており、危険な所にはワイヤーも取り付けてあるので、ゆっくりと着実
に歩けば事故を起こすようなことはない。折尾谷出合いの堰堤内の隧道や志合谷の半円状に曲がる隧道の通
過では先人達の苦労をうかがい知ることができた。一番怖かったのは岩壁が谷川にせり出している所の通過
である。前方を遮るものなく、遥か下の谷底が見えるので神経を使った。神経を使いながらの5時間の水平
道の旅は終わったが、その昔、ボッカ達がダム建設資材を背負って何回も往復したとはいえ、転落事故も多
く、初年度では18人が犠牲になっている。仙人ダムから欅平までの間の軌道隧道及び水路隧道を建設する
ための犠牲者は300人を超えたという。特に志合谷で起きた「泡雪崩」はコンクリートの建物を対岸まで
吹き飛ばし、80名余が犠牲になっている。「我々の山行も常に先人達の血の滲むような努力の結晶を利用
させてもらっている」ことを忘れてはいけないのだ。先人達に感謝しつつ今回の山行を終えた。
日本列島横断山行関連登山
●S40・4・24〜29
千寿ヶ原〜美女平〜弥陀ヶ原〜弘法〜地獄谷に入山・春スキー(雄山、別山登頂)スキー編参照
●S40・11・16〜19
千寿ヶ原〜美女平〜弥陀ヶ原〜弘法〜地獄谷に入山・初スキー(別山乗越、剣沢)スキー編参照
●S46・4・29〜5・2
黒部ダム〜室堂〜地獄谷に入山・春スキー(雄山登頂、別山乗越)スキー編参照
●H20・10・15
黒部ダム〜室堂〜千寿ヶ原・ハイキング
●H3.7.25〜29
黒部ダム〜室堂〜浄土平〜獅子岳〜ザラ峠〜五色が原〜越中沢岳〜スゴノ頭〜スゴ乗越〜
スゴキャンプ場〜北薬師岳〜薬師岳〜愛知大ケルン〜薬師峠〜太郎小屋〜折立〜千寿が原駅
〜美女平〜室堂〜黒部ダム〜扇沢
天気図で明日を占う夏登山
梅雨明けず心も曇る夏嶺かな
梅雨雲が北アルプスを飲み込みぬ
雷鳥の仲良き親子梅雨の中
雷鳴に急ぎ足なる山男
梅雨明けの雷雨とならず縦走路
流れ雲薄きところの夏の青
夏山の湧き立つ雲の早さかな
愛大のケルンも梅雨に霞けり
賑わいのテント場襲う梅雨の雷
|
獅子岳 |
五色が原から薬師岳を望む |
今回の山行は、扇沢〜黒部ダム〜立山〜薬師岳〜太郎兵衛平〜高天原〜赤牛岳〜黒部ダム〜扇沢と一周し
て来る予定で室堂を出発したものの、毎日、雨と雷鳴に明け暮れていたので思っていたように歩けず、ま
た、天候の回復も見込めないので、残念ながら当初予定の山行を変更せざるえなかった。
初日、前日の夜、扇沢にテントを張って一泊し、黒部ダムサイトに行けば、猛烈な雨で山は全て雲の中。
これでは登山意欲も消えうせてしまう。室堂平から稜線に出るとホワイトアウト。鬼岳直下の雪渓のトラバ
ースはロープが張られているものの緊張を強いられた。獅子岳は最初の登頂ピークとはいえ、ただ雲の中の
通過点となってしまった。約400m降下のザラ峠に着いた。この峠はその昔、1584年豊臣軍に三方を包囲さ
れ、窮地に追い込まれた佐々成政が決死の覚悟でザラ峠、針の木峠を越えて、信州、諏訪を経て浜松城の徳
川家康のもとに救援を求めたことは有名な話である。峠の富山県側の湯川谷沿いは崩壊が激しくザラザラし
ている。そのあたりからザラ峠の名前が付けられたのだろうか。霧雨野中、五色ケ原に着いた。ここは高嶺
の湿地帯とあってお花畑が広がっている。真夜中に雷鳴と激しい雨に見舞われテントも浸水するのではと思
うほど降り続く。
二日目、雨の中、起きてみれば、テントの床は我々の重みで水浸し。とにかく沈みがちになる気持ちで縦
走路に取り付く。五色が原小屋の揚水ポンプの音が不気味に霧雨の中こだましてくる。鳶山も何のアクセン
トも通過。越中沢岳つ立てども霧雨では何も見えず、山頂標識を入れて記念写真を撮ってから早々に下る
も、スゴ乗越までは急坂で滑りやすく痩せた長い下りなので神経を使ったためね意外と通過には時間が掛か
ってしまつた。悪天候の中では小刻みに進む以外ないのでスゴ乗越テント場で沈没することにして、若手を
先行させてテント場の確保させた。森林の中の狭いテント場は、後から来た人たちは張る余地が無いほどの
ラッシュだった。
三日目、今日は薬師越えの日だ。雲が流れその隙間から朝焼けがのぞき素晴らしい。それでも天候は回復
することなく雲は稜線を掠め流れていく。5時過ぎにテント場を後にして、薬師岳への長い登りが始まっ
た。間山を過ぎてから黒部側薬師岳、北薬師岳が望め、雲の掛からないうちにとシャッターわ何回も押す。
間もなくして山は雲に沈んでしまった。這い松と岩石を縫って進む稜線は、強い雨風に煽られて山を鑑賞す
る余裕などはなく、ひたすら滑り易い岩場での足元の確保に全神経を使った。北薬師岳に立った時は、本峰
が近いこともあってホッとした。休むことなくカール上縁のボロボロに風化した岩稜を一気に登り詰めた。
濃霧の中に薬師如来を祀る祠が見えたときは嬉しかったが、山頂では何の感動も湧かなかった。写真を撮っ
て早々に下る。途中、1963年1月15日東南稜で遭難した愛知大学生13名の慰霊ケルンに立ち寄った。私と同
じ年代の人たちで、本人にとってもさぞかし無念だったに違いない。薬師平には池塘が点在し、数多の高嶺
草が咲いているが、雷鳴の襲来とあっては逃げる以外なく、テント場に急いだ。テント場も満杯状態である
が、何とか確保してテントの中で濡れたものを乾かすことも出来ず、そのまま寝込んでしまった。今宵も雷
雨の襲来で散々な夜となつてしまった。
四日目、今日も濃霧で天候は回復せず。折立ら二番バスに間に合うように太郎兵衛平へ下った。小屋には
田部重治さんの書いた「太郎平小屋」の表札がかかっており、小屋の歴史を物語っているように見えた。こ
こから一気に下ったので一番バスに間に合った。バスで小見駅に出て富山電鉄で千寿が原に向かったが、小
見駅でに掲げられている牛田てる子さんの遭難死の息子さんへの追悼短歌が脳裏に焼き付いた。
◎遭難死の我が子思いて冬山の姿もとめて来ぬ小見駅
◎遭難を知るよしもなく山に入る子をとむるすべなかりし悲しさや
◎遭難死して一年の過ぎし今吾子と見間違う山男たち
今日は室堂〜黒部ダム〜扇沢を経て青木湖でキャンプした。
五日目、青木湖〜鬼無里村〜戸隠〜長野〜須坂〜菅平〜鳥居峠〜北軽井沢〜榛名山麓〜関越道〜帰京
午前中久しぶりに青空が見えた。鬼無里村に向かう途中の峠から後ろ立山連峰の景色は素晴らしかった。午
後から雨が降り出した。関越道に入って雨とお別れした。何と一週間降られっぱなしの山旅であった。
●H5.9.23〜26
折立〜室堂〜太郎平兵衛平〜太郎小屋〜薬師沢小屋〜雲の平〜祖父岳〜三俣蓮華岳〜双六岳〜
双六小屋〜槍ヶ岳〜大喰岳〜中岳〜南岳〜大キレット〜北穂高岳〜涸沢岳〜奥穂高岳〜前穂高岳
〜岳沢ヒュッテ〜上高地
渓紅葉魚影を見る薬師沢
雲の平末枯れ深む花野かな
山小屋のロマンチックなる星月夜
天高し深呼吸して槍攀じる
秋風や笑顔も消ゆる難所越え
恐々とキレットを越ゆる秋の風
秋目刺焼く山小屋のテラスかな
日の出撮る岳人みな防寒着
秋冷や岩の鎖に手が縮む
空澄んで若き日想う奥穂高
黒部五郎岳 |
雲の平から薬師岳を望む |
|
鷲羽岳
黒部源流 |
大キレット鎖場
長谷川ピークの通過⇒
|
|
涸沢岳
八木沢さんと奥穂高岳登山口⇒
下は奥穂高岳山頂 |
|
初日、前夜、安房峠を越えて神岡から林道を走り大多和峠に着く。朝6時のゲートオープンまで仮眠して
折立に入った。中沢君は黒部五岳に登って車で引き返し、私に金坂君と中村君が上高地まで同行するため折
立を出発。体調が良かったこともあって太郎兵衛平まで3時間で着いた。前回、ここは霧一色で何も見えな
かったが、眼下に有峰湖、北に剣岳や薬師岳等が望める景勝地だ。ここで中沢君と別れて薬師沢に向かう。
途中から黒部五郎岳の眺めもよくなる。黒部川と薬師沢の出合いに薬師沢小屋があり、1時半前に着いたの
でのんびり昼寝をすることが出来た。起きてから川原を散歩すれば、紅葉よし、岩魚がを見るやらで楽しい
一時を過ごせた。夕食には岩魚のテンプラが出たので嬉しくなってしまった。
二日目、小屋の前を流れる黒部川の吊り橋を渡り雲の平に向かう。急登の山路が終われば、木道となり雲
の平小屋近くまで続く。末枯れの花を感じさせるが、山岳景色よし、のんびりしたい所だ。祖父岳に立て
ば、360度の展望に大満足。そこから一気に黒部源流に下る。源流の水の豊かさに驚く。昼食後、ガレ道
を詰めて三俣蓮華岳に立った。山頂には先達者もいたが、みなさん、ここからの山岳風景を楽しんでいた。
三國境の山頂に別れを告げ、稜線を辿り双六岳に向かう。槍ヶ岳から穂高岳の稜線を見ながら1時間もの稜
線漫歩は実に楽しい。双六岳からの展望も素晴らしく言葉は要らない。双六小屋は混雑していたが、一人一
畳とゆったりしていたので快適でよかった。夕食もよかったが、中村君が体調不良で残してしまった。
三日目、5時過ぎに満天の星空をいただきながら出発。外気は零下で素手では手も凍える。樅沢岳に登れ
ば槍ヶ岳が一気に迫り感動する。硫黄沢乗越に立つと左側に見える赤岳の地獄如くガレて赤い地肌を曝け出
している様は不気味だった。千丈沢乗越を過ぎれば槍の肩は目の前。槍へは登山者の混雑も考えて一気に登
ってしまった。天高き360度の展望に言葉は要らない。写真を撮り、これから進むべき稜線を確認し、山
神にあれこれとお願いして山頂を後にした。今日は北穂高岳小屋泊まり難所も控えていることもあって先を
急ぐことにした。途中で日野市の八木沢さんが同行したいというので一緒に上高地まで行くことにした。南
岳小屋から鎖や鉄梯子を利用して大キレットに急降下し、岩場を右左に越えていく。難路なので緊張の連続
で息が抜けない。特に「飛騨泣き」の剣や長谷川ピークは緊張させられた。北穂高岳の登りは垂直的なガリ
状を行くので苦しい登りだった。やっとの思いで3時45分小屋に着いた。小屋のテラスで目刺を焼き、ビ
ール乾杯。夜は皆で色々なことをテーマに話し合った。煎餅布団一枚では寒くて寝つけなかった。
四日目、昨夜は満天の星空で今日も日の出を拝めて言うことなし。洗面所の水はバリバリに凍っている。
北穂高岳には2分とかからずに立つ。太陽に周辺の山々は輝き言葉では言い尽くせないほどの光景で、登っ
てよかったとはこのことだと実感する。涸沢岳のコルまではたいしたこともなかったが、乗越から山頂まで
は悪場で、岩が脆く北穂高岳の登りと同じように垂直的なガリ状緊張感を強いられた。穂高小屋はガレ場を
下ってすぐ下にある。小屋は新しく30年前の面影はどこにもない。奥ほだかへは岳は、小屋から見える梯
子を登って取り付く。山頂は大勢の人で賑わっている。記念写真も順番待ちである。ジャンダルムから西穂
高岳までの稜線が手に取るように望める。前穂高岳へは、登り返しはないが急峻な山だけあって、足元は急
傾斜で落ち込んでいるのい気が抜けない山路だ。山頂手前の紀美子平では大勢の人が休んでいる。我々もこ
こにザックを置いて山頂までピストンする。登りも厳しいが山頂はケルンが沢山有り、屏風岩へ延びる北尾
根や奥又白方面をはしめ360度の大展望だ。あとは岳沢まで一気に下り、八木澤さんと別れて上高地へ走
り下った。今回は、前穂高岳を登頂したことで3000m峰全部登り、日本列島横断山行は終えた記念山行
となった。協力いただいた仲間に感謝あるのみ。
日本列島横断山行関連登山
●S35・7・1〜3
上高地〜徳沢園〜穂高小屋〜奥穂高岳〜徳沢園〜上高地
北アルプスの第一歩の踏み跡として簡単に紹介している巻頭文の思い出の写真です。
●S38・6・2〜7
夏季登山合宿(上高地〜涸沢でベースキャンプ・梅雨と台風で4日間沈殿)
残雪多き涸沢 |
北穂沢・この沢を詰めて北穂東稜を登る予定でしたが時間切れで中止 |
屏風岩 |
●S42・8・25〜29
上高地〜横尾〜蝶が岳〜常念法〜大天井岳〜槍ヶ岳〜上高地
|
左は常念小屋を背にした私
|
初日、夏山シーズンも終わりなのに夜の新宿駅は登山客で溢れている。それが上高地まで続いたので驚く
ばかり。今会期中学時代のクラスメートの小川君を案内してのことだが、彼がナップザックで来たのには驚
いた。天気は悪く何とか蝶が岳まで持ってくれればと思ったが、途中で降られてしまった。
ニ日目、物凄い雨で。小降りになったので出発したものの横殴りの雨と霧で視界0なので常念小屋に逃げ
込んだ。それでも夕方一瞬雲が切れたので穂高連峰や槍ヶ岳が見えたので嬉しかった。
三日目、視界はきくものの、今にも降りそうな天気なので友の足も考えて餓鬼岳方面にに変更しようと提
案したら考えていたら、友が50円玉で決めようというので大天荘の前で50円玉を投げたら裏側が出たの
で槍ヶ岳に行くことになった。常念小屋から谷向こうに見えていた西岳小屋まで意外にも5時間も費やして
しまった。水俣乗越にかけては、梯子やクサリがあって神経を使った。東鎌尾根の登りは風が強く難儀した
が、何とか無事に槍ヶ岳山荘に着いた。空身で霧につつまれた槍ヶ岳に登ったが、霧一色で何の感動も無か
った。
四日目、風雨が強く、霧で視界も利かないので友の歩みを考えて穂高までの縦走は中止して下山すること
にした。途中で大阪の独行者と知り合い「ずぶ濡れ」を着替えるため松本の信州温泉で一時をすごして山旅
は終わったが、雨に始まり雨で終わった山行だった。
●S61・10・ 2〜3
新穂高〜ロープウェイ山頂駅〜西穂高岳〜中尾峠〜上高地
日も射さず精彩を欠く山紅葉
霧深し下山を急ぐ老夫婦
テント場にテント一張り秋の山
霧一色コーヒー楽しむ登山小屋
良夜にて他人と山を語り合う
霧深くして痩せ尾根に怖さなし
秋嶽や他人に頼む記念写真
秋寂や花束のある岩場かな
登り来し山振り返る紅葉かな
焼岳の噴煙立ちぬ秋の空
高山市で開かれる都市問題会議に上司の代理で出席し、会議も途中で抜け出して西穂高岳へ向かう。新穂
高からロープウェイに乗り霧につつまれた山頂駅に向かうが、ここは昭和49年3月にこのロープウェイを
使って山頂駅から始発駅まで何回も滑り下った思い出の地である。山頂駅までは満員だったが、西穂高小屋
う人は一人もいない。時々、霧の間から西穂高岳が顔を出す。それに励まされながら小屋に着いた。小屋周
辺の紅葉は見事だが山は霧につつまれ何も見えない。西穂高岳へは明日に登ることにした。
一夜明けて5時にヘッドランプを友にして出発。山荘の犬が途中の這い松地帯まで付いてきたので心強か
った。次第に東の空が明け出し最初のクサリ場を過ぎた所がドッ独標で、小さな祠があったので家族のこと
を祈願した。ここから先が本格的な岩稜の痩せ尾根となり、緊張の連続が始まった。何回もアップダウンを
繰り返してピラミッドに立つ。残念ながら写真のフイルムがここで切れてしまった。ここからさらに幾つか
のピークを越して一枚岩のクサリ場を越えたら「西穂高岳」である。一番最初に立ったので二番目に立つ人
に記念写真をお願いしようと待っていたら、6人組の人が来たのでお願いしたら気持ちよく引受けてくれ
た。何と大宮市の人だったのでお互いにビックリした。帰りに標識を見落とし迷ったこともあったが、往復
5時間で小屋に戻れた。フイルムを補給して中尾峠に向かう。峠までは樹林の中を歩くので真っ盛りの紅葉
が目に入ったり、木間越しに見える西穂高岳や焼岳の素晴らしい景色には何回も足を止めた。割谷山付近か
らの六百山や霞沢岳は圧巻だった。焼岳小屋で昼食とするが小屋番が無愛想なのですぐ上高地に向かった。
煙を吐く焼岳を右手に見ながら草滑りを下ったり、長い梯子が2箇所あったり、50度近い痩せ尾根の急斜
面には神経を使ったりしたので、平坦な道に着いたら草臥れてのんびり歩いたために、最終バスにやっと間
に合った。
●H15・8・1〜4
新穂高〜双六岳〜三俣蓮華岳〜笠ヶ岳〜上高地
遠去る沢音や夏雲高し
雪田を走る涼風続けだま
炎天や岩場のペンキ道しるべ
疲れ身に涼風染みる高嶺かな
夏雲や稜線漫歩至福なる
日焼顔洗う水場の木陰かな
登山して野点楽しむ夏の昼
雲湧いて名山隠す夏の朝
八月や憧れの峰近づきぬ
明け易し日の出の近き槍ヶ岳
★職場の山岳部で新穂高から笠ヶ岳に行くので連れて行ってもらうことにした。また、一日前にスキー仲間
の井口ご夫婦が笠ヶ岳〜黒部五郎岳を経て薬師岳まで縦走中なので会えるかと思っていたが会えずしまいだ
た。双六キャンプ場にテント張り、各人が鷲羽岳や黒部五郎岳に別れて登ることになった。私は茂呂君、中
田君と双六岳と三俣蓮華岳にのぼることになった。10年前に中村君、金坂君と私で雲ノ平からの縦走で登
っている。今回は逆コースで登り返してみると意外にも双六小屋〜山頂への登りはきつかった。二度目なの
で三俣蓮華岳までの稜線漫歩は楽しいものであった。帰りは雪田とお花畑のある巻き道を歩いたが、道草し
ながら山の自然に触れて本当に楽しかった。テント場にはそれぞれ戻ってきた。中村君が抹茶を立ててくれ
たので、山でお茶を楽しめるなんて夢のようだった。その夜は盛り上がったことは言うまでもない。
★一夜明けると天気も良く、大勢の登山者がヘッドランプを灯してそれぞれの縦走路へ取り付いている。我
々も6時に出発するも、若手において行かれてしまう。鏡平との分岐点に直ぐに着く。ここは笠ヶ岳か双六
岳に行くかの分かれ道である。長い稜線をマイペースで行く。一番奥に鎮座しているのが笠ヶ岳である。私
はひたすらそこへ向けて後輩達の後を追う。抜戸岳の笠新道の分岐点に着くと、標識に笠ヶ岳まで70分と
書かれているのを見た時はほっとした。稜線の所々に雪田があるのでその度に立ち寄ってハンケチに雪を詰
めて、それを左に持ち冷えの感触を楽しみながら歩いた。稜線で行き交う人たちが中高年者の多いのには驚
くとともにみんなの足取りがしっかりしているのにもめを見張った。私も何とか抜戸の二つ割れの岩の隙間
を通過して笠ヶ岳のキャンプ場に着いた。ここでも中村君が抹茶を立ててくれた。それからみんなと入れ替
わって炎天のだだっ広い山頂に立ったが、全てが霞んでいる。信仰の山とあって立派な祠が祭られている。
夕暮れに霧も切れ始めたので槍・穂高の稜線がすっきりしだしたのでカメラで待ち構えるが思うようにはな
らなかった。
★翌日は新穂高へ笠新道を下ったが酷い道で難儀することこの上なし。若手にはどんどんと置いて行かれてしまったが、彼らあっての笠ヶ岳登頂なの感謝あるのみ。
●H17・8・10〜14
新穂高〜双六小屋〜三俣小屋〜鷲羽岳〜水晶岳〜野口五郎岳〜烏帽子小屋〜七倉温泉
山脈に雷雲垂れて重苦し
茶褐色なる激流や夏の川
沢音や木立の中の登山小屋
涼風にわが身を晒す谷間かな
苦しきを騙し騙しの夏の山
花野なる黒部源流懐かしき
解けきれぬ雪渓二つ沢の音
痩せ尾根の厳しさを増す夏の雨
高みより山小屋見えて道遠し
短夜をつなぎ山旅最終日
百名山を目指しているスキー仲間と高瀬ダムから烏帽子岳に登り新穂高まで縦走する積りで、新幹線で長
野に行きバスで大町に入り、タクシーで七倉温泉まで来たら、昨夜の雨で川が増水して通行止めと云うの
で、直ぐにタクシーで引きかえして松本に行き、バスで新穂高に入るという慌しさ。そのために計画を最初
から練り直しとなった。
初日はワサビ平小屋に泊まった。翌日は鏡平小屋を経てきつい登りを何とか頑張って双六小屋までやって
きた。天気は悪くなる一方なので三俣小屋まで入ることにして、双六岳と三俣蓮華岳はキャンセルして巻き
道を通って3時過ぎに、12年ぶりの三俣小屋到着とあいなった。天気は悪くなるばかり、小屋は満員で一
人一畳なしというところだ。夕方から雷鳴の轟く天気で、テレビの天気予報にはみなさん釘付け。我々も明
日の天気は明日になれば判ると腹をくくって眠りに入った。
二日目、一夜明ければ、ジャンジャン降りの雨。これでは前進するかしないか迷いどころで皆さん出発に
躊躇していたが、我々はもう一泊することにして、今日は黒部源流まで遊びに行くことにした。小雨になっ
た頃を見計らって出たもののずうっと雨。黒部源流のお花畑が少しは慰めにもなったが、それも切り上げて
小屋に戻ってきた。しかし、天気は一向に良くならないが、明日はガスで雨はあまり降りそうもない予報な
ので、明日は前進することにした。
三日目、小雨降る天気だがとにかく小屋を出て、鷲羽岳に取り付くが霧で何も見えず道を追って高みへと
進むのみ。山頂に着いたとて何も見えず感動も何もない。次にガスにつつまれた道を左手に進み水晶小屋に
着いたので、ここにザックを置いて空身で水晶岳を往復するが何も見えず。本当に残念なことよ。晴れてい
たらと思うがそれを許さないのが今日の天気だ。痩せ尾根を下り野口五郎岳に向かう。ここの登山口まで来
れば山も大きくなだらかなので楽勝であるが、ガスで何も見えず登頂記念の写真を撮ってから小屋に行く。
野口五郎岳小屋で烏帽子小屋の予約を入れてもらった。ここからが見えているのに長いくだりには疲れ身な
ので閉口した。ここも混んではいたが、狭いながらも3人一部屋を確保できたのでよかった。
四日目、雨は相変らず、小屋の周辺は雲垂れているので早々に山を下ることにした。私の登山靴も三俣小
屋で修理したもののもう限界にきている前が剥がれてしまっている。ブナ立て尾根の下りは谷底へ落ちてい
くような凄いものがある。とにかく細心の注意を払いながら登山口まで下った。沢の渡渉が激しくて飛び石
を選ばないと渡れない。私は途中まで良かったが靴が滑って渡りきる手前で転びすりむいてしまった。七倉
温泉に寄って一風呂浴びてから帰途についた。
●H21・10・14〜15
松本〜上高地〜松本・ハイキング
河童橋 |
シニアユニバーシティの仲 |
大正池 |
上高地(河童橋・明神池・大正池・帝国ホテル)を散策
★稜線を日が染めていく寒露かな
★山晴れて紅葉日和の上高地
★秋色の岳澤見せる河童橋
★友偲ぶ岳澤の秋美しき
★晩秋や林の中の散歩道
★秋深み流れの清き梓川
★紅葉して神舟浮かぶ明神池
★大正池の枯れ木さだかに秋の風
★草紅葉して田代池静寂なる
★昼食は帝国ホテル秋の昼
木立の透けた天辺は明るく雲ひとつない空模様だ。六時半に山荘を出て河童橋周辺を散策する。帰ってから私は冷え切った体を湯に沈めてから朝食につく。荷物を預けて河童橋から明神池に向かう。明神池を訪れるのは40年ぶりのことであろうか。この小道から霞沢岳や六百山などの山が望め私の心をワクワクさせてくれる。明神に大小二つの池を称して明神池があり、穂高神社奥宮が祭られ、池は穂高神社の神域となっている。明神岳を目の前にじっくりと眺めたのは初めてで感動した。次に上高地のバス停まで歩きバスで大正池に行く。晴れ渡り池を入れて広がる素晴らしき景色に言葉はいらない。焼岳、穂高を穏やかな湖面に美しく映し出す晴天の顔、彩色を失った風景の中、立ち枯れの木々の黒い影と藍色の湖面にうっとりする。ここでゆっくりと穂高連峰を望むのも初めてのことで感動した。大正4年6月6日、焼岳の大爆発による膨大な土砂流で梓川がせき止められたのが大正池の始まり。今日の晴れ渡るロケーションに大勢の人が楽しんでいた。大方の人はここから田代池・河童橋へと足を延ばす。最後は仲間の女性の提案で、帝国ホテルで昼食とすることにして立ち寄った。雰囲気は最高!私も一度は入りたいと思っていたので、話のタネに実現してよかった。かくして我々六班4回目の班活動は終わった。
●H1.9.22〜23
上高地〜白骨温泉〜鈴蘭〜乗鞍岳〜子の原高原〜上ヶ洞
秋風やさざ波の立つ大正池
隧道や暗き中にも虫の声
山あいの紅葉映して湖青し
対岸の露天湯見ゆる紅葉渓
岳人と昔を語る良夜かな
秋晴れや乗鞍岳に雲ひとつ
若き日の思い出尽きぬ秋の山
秋天に槍・穂高岳並び立つ
地蔵様立つ冷ややかな山路かな
我が声に獣驚き秋深む
位ヶ原小屋前の山の斜面を踏み固めてゲレンデを造り練習した若き日の懐かしい一コマです
|
|
正月休みの冷泉小屋スキー合宿生活も終わり下山前の記念写真 |
冷泉小屋スキー合宿生活(後ろの左から二人目中垣さん、三人目奥田和子さん)
H5.10.16 昭和38年当時のスキー仲間と乗鞍岳に登頂 |
|
●H1.9.22〜23上高地〜白骨温泉〜鈴蘭〜乗鞍岳〜子の原高原〜上ヶ洞
|
初日、上高地から乗鞍高原を繋げるため夜行バスで上高地入りする。昨日の雨で土砂崩れがあり、一時ど
うなるかと思ったが、30分待たされただけで済んだ。釜トンネルを通過する際に窓越しにトンネル内をチ
ェックする。通過上の難点は時間帯別の一方通行になっていることだ。上高地は雲が垂れて山は見えない
が、相変らず賑わっている。その賑わいに別れを告げ釜トンネルへと歩きだす。トンネル内はヘッドランプ
をつけて歩きだすも出口近くで一方通行が変ってしまい慌てたが、ライトを振ったことで対向車の運転手が
気がついて減速してくれ助かった。白骨温泉入口に着くまで9つのトンネルを抜けてきた。白骨温泉から鈴
蘭までは、有料道路だけあって整備されている。蛭間トンネルを抜ければ、眼下に見える20年ぶりの乗鞍
高原の第一印象は「のぞかな佇まい」そのものである。しかしながら鈴蘭に入ってびっくりしたのは、軽井
沢並みの賑わいに変っていたことである。今宵の宿は冷泉小屋の仲間「植松和子さん」が経営している
民宿「吉野屋」である。偶然にも冷泉小屋スキー合宿時代に数年間小屋で共に生活した中垣淑子さん
とお会いできた。三人で旧交を暖め12時過ぎまで話しが弾んだ。本当に素晴らしい一夜となった。
二日目、一番バスに乗ろうと思って待っていたら、タクシーが来て相乗りで乗鞍岳まで行かないかと誘い
掛けてくれた。OKすると直ぐ相手を探し6人でいくことになった。。運転手がサービス精神旺盛で景色の
よい所や希望する所で車を止めてくれる。私の青春の原点である「冷泉小屋」で止めてもらった。我々の時
代の小屋は焼しまい、現在の小屋に建替えられている。我々がゲレンデにした小さい斜面も、邪魔だった
「一本杉」も昔のままである。そのことを相乗りの名古屋市の保母さんに話したら感激していた。のんびり
と穂高連峰を眺めながら畳平まで登ってきた。皆と別れて1時間ちょっとで山頂に立つことができた。素晴
らしい山岳景色に言葉はいらない。賑わっている山頂を後に大日岳に登りガレ場を下りだしら霧が瞬く間に
ガスにつつまれてしまった。千町尾根の登山道は信仰の道らしく、所々に地蔵様が置かれている。千町ヶ原
には沢山の池塘が点在し、自然の大庭園をなしている。山路も標識も整備されている。丘陵地である子ノ原
高原リゾート開発に失敗したらしく、スキーリフトの残骸がさらけ出している。ここからは舗装された一本
道で国道まで続いていた。上ヶ洞に着いたものの、バスはなく途方にくれていたら地元の人が高山近くまで
車で送ってくれたので最終の新幹線に間に合った。
平成元年9月22日を境に海外の登山で活躍している中垣淑子さんとの交流が再開し、22年の
長きを経て現在に至っていますが、2年前に腰椎圧迫骨折等で入院し、その後も入院生活を繰返し
登山人生を諦めなければなりませんでした。リハビリ施設に現在も入院中です。これまでの彼女の
友情に感謝し、励ましの気持ちから「長きに渡る彼女との交流の記録」を108頁にまとめて贈り
ました。
|
日本列島横断山行関連登山
●S38・12・28〜39・1・3
乗鞍岳スキー合宿(鈴蘭〜冷泉小屋〜位ヶ原小屋〜乗鞍岳・大沢)スキー編参照
●S39・12・28〜40・1・4
乗鞍岳スキー合宿(鈴蘭〜冷泉小屋〜位ヶ原小屋〜乗鞍岳・鶴ヶ沢)スキー編参照
●S40・12・ 26〜41・1・1
乗鞍岳スキー合宿(鈴蘭〜冷泉小屋〜位ヶ原小屋〜乗鞍岳)スキー編参照
●S42・12・26〜31
乗鞍岳スキー合宿(鈴蘭〜冷泉小屋〜位ヶ原小屋〜乗鞍岳)スキー編参照
●H5・10・16〜17
乗鞍高原〜畳平〜乗鞍岳
●H12・7・22
上高地〜畳平〜乗鞍岳(魔王岳)
●H14・7・21
上高地〜畳平〜乗鞍岳(魔王岳)〜美ヶ原高原
その他の北アルプス山行
●S38・4・ 28〜5・5
春季登山合宿=奥二股(不帰沢コル・小日向山・鑓ケ岳)
|
唐松沢と不帰沢との出合い |
八方尾根スキー場北側に位置する南股入の奥二股付近にベースキャンプを設けて、ここをベースに周辺の
山に山に登りながら雪上訓練やクライミングの練習を行った。春山とは言え、どの山も雪に覆われており、
天候次第では冬山に逆戻りしかねない状況でもあった。何とか、天気も持ち実り多い合宿となった。
振り返ると第一に、夜行列車の乗車率200パーセントには驚いた。
第二に、二股発電所付近では桜が満開あるが、その奥に見える山は冬景色。この取り合わせの景色は素晴ら
しく見応えがあった。
第三に、夜になるとテントの近くの山で「ふくろう」が鳴き、その声が人の声に聞こえどきっとしたこと。
第四に、凍結した垂直に近い南滝を直登できず、苦労して左斜面にルートを開き唐松沢と不帰沢の出合いに
に入ったこと。
第五に、不帰ノ峰下部で発生した雪崩に巻き込まれて重症をおった人の救助のために登山訓練を中止して救
出に協力したこと。
第六に、鑓ヶ岳登頂後、鑓沢を下ったが、相当高い所からスキーシュプールがあるのには驚いたことと、鑓
温泉に立ち寄ったが入れなかった事など、様々な思い出が脳裏に焼きついている。
●S40・3・21〜24
新穂高ロープウェイスキー場(山頂駅〜新穂高)スキー編参照
●H16・8・1〜4
扇沢〜針ノ木岳〜蓮華岳〜北葛岳〜七倉岳〜七倉温泉
月光にわが身を晒すキャンプかな
夢に見た針ノ木岳や明易し
涼風を生む雪渓も縮みをり
疲れ身に励ましの声岩雲雀
短夜の山へ繰り出す熟年者
谷の底より雲の湧く夏嶺かな
やり切れぬ酷暑の山や谷深し
遠山の雪渓鳥の形なり
奥山に真緑色の夏のダム
涼しげな沢音に耳貸しにけり
一日目、天気もよく扇沢から指導標に従って針ノ木自然歩道を気持ちよく歩き出す。荷揚げ用のヘリの音
がうるさく静けさをぶち壊す。大沢小屋を通過すれば、日本三大雪渓の一つ針ノ木雪渓が迫ってくる。何し
ろ残雪が少ないのには驚く。白馬の大雪渓よりも狭く短い。この雪渓を山スキーヤーが紹介しているが、実
際に来て見れば、それ程でもないと実感する。南アルプスの三伏峠に次いで高い2541mの針ノ木峠に無事に
着いた。ここから空身で針ノ木岳に登った。山頂からの後立山連峰、剣岳、薬師岳、槍ヶ岳穂高岳等の山岳
景色は素晴らしく大感激だった。
二日目、針ノ木峠から急な登りの蓮華岳に立つ。ここはコマクサの群生地で知られており、大勢の人が見
に来ている。殆どの人はここで引き返すが、我々は先に進むも蓮華岳の大下りには痩せ尾根で鎖や梯子有り
で足元も悪く、神経を使い仲間にどんどんと遅れていく。北葛岳、七倉岳と何しろ炎天下の縦走で日影もな
いと疲労困憊となり、素晴らしい景色に出合っても感動なし。元船窪小屋でキャンプを張り木陰で過ごす。
三日目、若手は烏帽子岳まで縦走して七倉温泉に下りることになった。私は縦走をキャンセルして天狗の
庭で楽しんでから七倉温泉に下ることにした。天狗の庭からの展望は素晴らしく、高瀬ダムと槍ヶ岳から前
穂高岳までの稜線が望め言うことなし。それが終わるときつい下りであるが、針葉樹帯なので暑さは多少な
りとも和らぐ。何時もの古都ながら沢音を耳にしても下山口に着くまでの距離の長さには閉口する。七倉温
泉に着き温泉に入って、自然の風に触れ沢音を聞きながらビールは最高に美味しかった。
昭和35年7月 |
上高地〜奥穂高岳〜上高地 |
昭和38年4月 |
春季登山合宿(奥二股ベースキャンプ・不帰キレット・鑓ケ岳、小日向山) |
昭和38年6月 |
夏季登山合宿(涸沢ベースキャンプ・4日梅雨と台風のため沈殿) |
昭和38年12月 |
乗鞍岳冬季スキー合宿(乗鞍岳・大沢) |
昭和39年12月 |
乗鞍岳冬季スキー合宿(乗鞍岳・鶴ヶ沢) |
昭和40年4月 |
立山春スキー合宿(雄山・別山・別山乗越) |
昭和40年11月 |
立山秋スキー合宿(別山乗越・剣沢・室堂乗越) |
昭和40年12月 |
乗鞍岳冬季スキー合宿(乗鞍岳) |
昭和42年8月 |
上高地〜蝶ヶ岳〜常念岳〜大天井岳〜槍ヶ岳〜上高地 |
昭和42年12月 |
乗鞍岳冬季スキー合宿(乗鞍岳) |
昭和46年4月 |
立山春スキー合宿(雄山・別山乗越) |
昭和49年3月 |
新穂高ロープウェイスキー場春スキー合宿(山頂駅〜新穂高) |
昭和61年4月 |
栂池高原スキーツアー(栂の森〜天狗ヶ原〜唐松沢) |
昭和61年10月 |
新穂高ロープウェイ(山頂駅〜西穂高小屋〜西穂高岳〜中尾峠〜上高地) |
平成元年7月 |
栂池〜白馬乗鞍岳〜白馬岳〜雪倉岳〜朝日岳〜長栂山〜犬倉岳〜日本海親不知海岸 |
平成元年9月 |
上高地〜白骨温泉〜鈴蘭〜乗鞍岳〜子ノ原高原〜上ヶ洞 |
平成2年7月 |
黒部ダム〜一ノ越〜立山〜剣岳〜阿曽原〜欅平 |
平成2年9月 |
猿倉〜白馬岳〜清水尾根〜祖母〜阿曽原〜欅平 |
平成3年7月 |
黒部ダム〜室堂平〜獅子岳〜五色ヶ原〜薬師岳〜太郎兵衛平〜折立 |
平成5年9月 |
折立〜太郎兵衛平〜薬師沢小屋〜雲ノ平〜双六岳〜槍ヶ岳〜奥穂高岳〜岳沢〜上高地 |
平成5年10月 |
畳平〜乗鞍岳〜畳平 |
平成12年7月 |
畳平〜乗鞍岳(魔王岳)〜畳平 |
平成14年7月 |
畳平〜乗鞍岳(魔王岳)〜畳平 |
平成14年9月 |
猿倉〜白馬岳〜杓子岳〜鑓ヶ岳〜猿倉 |
平成15年8月 |
新穂高〜双六岳〜三俣蓮華岳〜抜戸岳〜笠ヶ岳〜新穂高 |
平成16年8月 |
扇沢〜針ノ木岳〜蓮華岳〜北葛岳〜七倉岳〜七倉温泉 |
平成17年8月 |
新穂高〜双六小屋〜三俣小屋〜鷲羽岳〜水晶岳〜野口五郎岳〜高瀬ダム |
平成20年10月 |
黒部ダム〜室堂〜千寿ヶ原 |
平成21年10月 |
松本〜上高地 |
H22.7.11現在 |
29回 |
|