富士山・他

 

ホーム
上へ
北アルプス
中央アルプス
南アルプス
富士山・他

  
      富士山〜箱根外輪山
太平洋

 富士山に「浅間大神」を祀って浅間大社が建立されたのは平安時代のことです。遥か昔から富士山を

崇める富士山信仰があました。江戸時代にはいると富士山信仰とレジャーが合体して富士山登山が盛ん

になったといわれています。当時は吉田口から登山し、須走口に下山するのが一般ルートとなっていた

ようです。それ程日本人の心に焼き付いている山であり、日本一の高さを誇る実に美しい名山です。そ

の富士山を眺める風光明媚の観光地も多いことから、日本人なら誰しも登らなくても、一度は見たいと

願って旅をした人も多いのではないでしょうか。

 私の母は、身延の出身で若い頃に日蓮宗久遠寺の「身延山守護神七面大明神(七面天女)」を祀っ

ている七面山に登って富士山を見ていることもあって、一度でいいから富士山に登って見たいと言うの

が口癖でした。病弱なこともあってその願いは叶わないませんでしたが、富士山の景勝地を何回と無く

旅して富士山を眺めてきました。晩年の母は入院することも多くなりましたが、必ず富士山の方向を向

いて私が訪れると、「富士山の方向はこちらかね」と聞くのが常でした。また、私の妻も富士山大好き

人間で、富士山を見たさに四季折々に何回も旅して富士山を見てきたことはいうまでもありません。
 
 その富士山に私が登ったのは、昭和39年7月に登山した一回のみです。富士山は登るよりも眺める

山であることに軸足を置いて写真を撮り続けています。富士山御殿場口から歩いて箱根外輪山の乙女峠

に取り付き稜線を東上して小田原の御幸ケ浜海岸へ日本列島横断山行の踏み跡を繋げました。

▲下部駅〜毛無山〜本栖湖〜富士山五合目口〜富

 士山〜御殿場口〜乙女峠〜金時山〜明星ヶ岳〜

 塔ノ峰〜太平洋


●H3.4.26〜27

  
  下部駅〜毛無山〜本栖湖

 山脈や若葉の萌ゆる下部町

 山峡の風を泳ぎぬ鯉幟

 山吹の大歓迎や登山口

 故郷の身延山地は目覚めをり

 残雪や南アルプス連なれり

 金鉱の昔を偲ぶ春の山

 パノラマの冨士をもてなす春嶺かな

 五月冨士霞めて流る流れ雲

 山道や若葉の中の不動滝

 春風やパラグラの舞う毛無山


  南アルプスと富士山を繋げるには富士川を渡らねばならない。冨士川の西側を南アルプスの山域として、

東側を富士山の山域として整理している。今日は富士山山域の下部温泉から毛無山へ登り本栖湖まで

足をのばすことにして、前日、身延の親戚に泊まった。身延発甲府行きの一番列車に乗りむ。電車は

私が通っていた小学校跡地の脇を通過し、幾つかのトンネルを抜けて常葉川鉄橋を渡ると下部駅に着

く。駅の手前の常葉川沿いに美しい松林がある。今は観光ホテルの庭になっているが、小学校一年生

の遠足で歩いて峠を越えここまで来たことがある。通る度に当時のことが蘇って来る。

  下部駅から人けのもない温泉場へ向かう。下部温泉には母方の遠い親戚がある。その旅館の前で

45年ぶりに立ち止る。小学校に入る前に家族で遊びに来て悲しい事故に出くわした時のことがよみ

がえってきた。都会から疎開してきた若夫婦のの子供が、2階の階段から落ち、母親が子供を抱きか

かえ繰る狂わんばかりに泣きながら駅の方へ走っていった姿が強烈に脳裏に焼きついている。その

後、その人達がどうなったか知らないが、私にとってはショッキングな出来事だった。

  ここから舗装された林道登ること30分程で明治後期まで採掘された金山近くの部落に着く。標

高900m位まで登って登山口に取り付いた。山吹の色が目に染みるほど美しい。熊よけの鈴を付けて登

りだす。高みへ登るに連れて後方に身延山や七面山が丸見えで、その奥に残雪をいただく南アルプス

が望め言うことなし。標高1500m付近の金鉱跡入口周辺には、大名屋敷、女郎屋敷等の標識が立ってい

る。特に危なっかしい崖の上にある女郎屋敷は悲惨だ。こんな所で役人や鉱夫に春を売らねば生きて

いけない彼女達の事を思うと胸が痛む。屋敷の近くの木立の中で綺麗な声で鶯が鳴いているのが印象

的だった。ここから暫らく行くと山梨県と静岡県の県境「地蔵峠」に着く。ここからの富士山の眺め

は抜群で何回もシャッターおした。

 山頂に着けば、富士山は流れ雲に包まれていた。無線を楽しんでいる独りの若者と挨拶を交わし、

一枚記念写真を撮ってもらい、山頂を後にした。急峻な岩だらけの道はシンドク歩きにくいが、なん

とか「不動の滝展望台」着てみれば、不動の滝は二段落差約70mで実に圧巻だ。谷間に広がる雲の中

へ入ったり、出たりしているパラクラも見受けられるが天候が鉛色では絵にならない無事に登山口に

着くことができた。そこから気を引き締めて東海自然歩道を北上し目的地の本栖湖についた。


S63.9.23〜24

  富士山五合目〜船津登山口〜本栖湖


 秋冷や雨雲つつむ富士裾野

 秋雨の山路をバイク登り来る

 夕暮れて山路を急ぐ秋の人

 秋桜咲く民宿は町はずれ

 頼み入る今宵の宿や雨月かな

 秋雨やひたすら歩む旅路かな

 雨雲の垂れる樹海や秋寒し

 冷ややかに青木ケ原を抜けにけり

 雨振りて秋の本栖湖人けなし

 雨富士や土産に甲斐のぶどう買う

  南アルプスと富士山を結ぶには、これまで登っている富士山と本栖湖まで歩いて、それから先をど

う結ぶか考えることにして、今回、実施したものの、中央高速のトンネル事故でバスが富士山五合目に

着いたのは4時間遅れとなってしまい、行動予定が狂ってしまった。天候も思わしくないので、とにか

く国道139号まで下ることにして出発。途中で雨も降り出したが、何とか夕闇迫る船津口に出た。今

宵の宿も決めていないので国道沿いの民宿に飛び込みテニス民宿にOKをいただきほっとした。急いで

五合目から下ってきたこともあって足はマメだらけで歩くのもおぼつかない状態だが、明日は何が何で

も本栖湖までは歩くことにして眠りについた。

  一夜明ければ、土砂降りの雨。国道を歩くので心配はないので足にテーピングして出発する。何し

ろ車には自分存在を相手方に知らせることに注意を払った。約4時間弱で本栖湖に着くと安堵感から

か、急に足の痛みが激しくなった。馬鹿げていると自分でも思うこともあるが、生きることの挑戦だと

思って必死になっている自分を誇りに思っている。



●S39.7.28

  富士山五合目〜富士山〜御殿場登山口

 暗闇に灯列続く夏の富士

 夏富士の夜の冷え込み頬を刺す

 夏富士や頭痛も起こる高さかな

 富士登山して手を合わす御来光

 御来迎見たさに登る富士の峰

 浮雲も避けて流るる夏の湖

 夏富士の釜の中に残り雪

 夏富士や金剛杖に寄りかかる

 夏富士の砂走り下る楽しさよ

 下山して仰ぐ夏富士雲流る


  夜行日帰りの山行は睡眠不足となるのであまり好きではない。今回の富士登山はさいたるものであ

る。真夜中の最終バスで五合目富士登山口に着くき、みんなヘッドランプを友に、そのまま暗闇の山路

を登っていくが、それが山の高みまで続くのだから壮観だ。下から見ていると点滅する一本の縄のよう

に見える。眠いめを擦りながら我々もその中に加わり、山頂で御来光を見るべく歩みだしたものの、睡

魔には勝てずに8合目の小屋で休んだところ、寝過ごしてしまい小屋から御来光を見るはめになった。

  この太陽があるからこそ今日の我々があるので、古代の人が太陽を崇める気持ちと同じである。日

本一山頂に立ったときの感動は言葉に代えがたいものだった。下界は雲海のでその隙間から河口湖が望

める素晴らしい光景だ。夢中でシャッターを押し続けた。この感動を生涯忘れることはないだろう。

  下りは御殿場口ルートをとり、途中の砂走りでは仲間と手を繋ぎ横一列で砂ほこりを上げながら走

り下りたのは楽しかった。「かかとが脳を刺激するので頭が痛くなることがある」と看板が出ていた

が、本当にその症状が出てしまった。下山して振り返る富士山に雲がかかり始めていた。



●S63.7.2

  御殿場登山口御殿場駅

 富士五合目梅雨雲煙る寒さかな

 梅雨雲へ消え行く人や富士登山

 梅天や砂地も湿る山路かな

 梅天の蝶なめまわす花の蜜

 BOACの慰霊碑霞む梅雨曇り

 我に近づき四十雀鳴きにけり

 名も知らぬ草花に蜂とまりけり

 我を見て山路を逃げるキツネかな

 振り向けば梅雨霧深く視界ゼロ

 梅雨富士や霧の中よりラッパの音

  御殿場口まで夏季のみ営業されている。営業二日目の二番バスに乗り込んだのは私を含めて6人だ

けである。広大な自衛隊の演習場を横切って五合目に着けば、霧につつまれ視界はなく24年前の面影

など何も見当たらない。動いていないことには肌寒さが身にしみてくる。一気に御殿場を目指してスタ

ートする。表冨士周遊道路にでる手前の太郎坊には22年前に墜落したBOACの遭難碑が設置されて

いる。この遭難は職場の同僚の引越しを手伝っている時にテレビで知り驚いた。というのはそれから続

けざま全日空の千葉沖、カナダ航空の羽田沖への墜落があり、日本中をびっくりさせた事故だったので

当時の人は覚えていることだろう。

  表富士山周遊道路は両を緑豊かな林に囲まれ、小鳥が囀り、路肩には数々の花が咲き乱れ、蜂や蝶

が乱舞し、車の往来も余りないのぞかな山道である。自然を満喫しながら歩いていたら霧が発生し、視

界が50m位で車はライトなしには走れなくなってしまった。自衛隊演習場の区域に入った時に、一匹

のキツネに出くわした。私を見たと途端に一目散に演習場の中へ逃げ込んで行った。しばらくして霧の

中から突然ラッパが鳴り響き、何事かと思ってしまった。どうやら業務終了のラッパだったようだ。登

山バスとすれ違うと、私が乗った時の運転手さんが手を振ってくれ、市内に到着寸前に抜かれた時も手

を振ってくれた。今日はこの運転手さんにどんなに励まされたことか。



S63.4.10

  金時山〜乙女峠〜御殿場駅

 雪振りて4月始まる箱根かな

 思わざる春雪に山凍えをり

 登山隊来て雪山路踏み固む

 親子立つ金時山は雪景色

 親子連れ雪景色見て感激す

 春雪や馴染み客来る山の茶屋

 昨日の雪に戸惑うハイカーかな

 期待せし雪富士見えぬ乙女峠

 香りよき峠の茶屋のコーヒー飲む

 雪を踏み乙女峠を下りけり


  職場の旅行の帰りに金時山から御殿場まで歩くことにして、熱海の旅館を早や立ちして小田原から

バスで仙石原にやってきてビックリしたのは箱根外輪山が雪につつまれていたことだ。スーパーで水を

確保してから登山道に取り付く。日曜日なので何人も既に登っているらしく、雪道の踏み跡も途切れる

ことなく続いている。頂上手前で老母と息子のパーティを追い越して山頂に立った。天気が悪くて展望

は無いが、それでも30人近い人で賑わっている。2月に来た時に金時茶屋の小宮山妙子さんに会っ

て、港区立学校一覧表を頼まれたので送ったところ、今日は御礼にと缶ビールとオデンを出してくれ

た。その内に彼女の友達もきて、みんなで小宮山さんの「食用鼠に蜂蜜をつけて食べる話や、生きてい

る豚の知り肉を切り取って食べる話」を面白おかしく拝聴した。
  
  みんなと別れ一路、乙女峠に向かう。雪が深くトレースも30cm位沈んでいる。長尾山で老母と

息子のパーティに追いついた。老母は70歳を越えているが、孝行息子が山を案内してくれるのを楽し

みにしているとか。いつまでも幸せにと心で呟いて乙女峠へと急いだ。峠から登ってくるグループとで

あったが雪の深さに難儀していた。峠の茶屋で昼食とするも天気は回復せず、富士山も望めないので国

道まで下り、国道も雪があるので車に注意しながら御殿場駅まで必死になってあるいた。



S63.2.20
  
  金時山〜明神ケ岳〜明星ケ岳〜塔の峰〜箱根湯本


 寒風や富士を間近に山の茶屋

 金時娘五十路となりぬ雪の華

 山の娘と雪富士背に写真撮る

 尾根一面芝生のごとき枯れカヤト

 霜柱砕けて白き山路かな

 春山路思わぬ友と出会いけり

 近づきて雉の飛び立つ春の尾根

 稜線にバイクの跡や春の風

 春立つやいにしえ偲ぶ山の城

 竹林や春日届かぬ暗さかな



          太平洋・相模湾が眼下に望めます⇒ 
          早川港・御幸ヶ浜まで歩きました。 ⇒                  

  日本列島横断山行の一環として初めて金時山に登ることになった。初めて登る山は誰にとっても不

安がつきまとう。誰もいない金時神社にお参りしてから金時山を目指す。明神ケ岳分岐点までは急登が

続き息切れしてしまう。ここから左に進路をとり一踏ん張りで金時山に着いた。眺めの良いことに言葉

は要らないほどだ。仙石原が箱庭のように見え、右手奥に愛鷹連峰、富士山、茶屋の裏手には丹沢山塊

が一望できる。金時娘の茶屋に入ると、今日一番の客だからとサービスしてくれた。話しているうちに

港区の小学生も利用しているとか。そこで私が港区職員であることを話したら区立学校の一覧表が欲し

いというので送ることを約束をした。帰りに富士山を背に記念に一緒に写真におさまっていただいた。

  明神ケ岳に向かう頃には霜柱も解け始め山路の泥濘は酷くなり、足が重くなる。振り返ると金時山

は別名猪鼻山と言われているように、猪の鼻によく似ていることを再確認する。尾根の途中でカヤトの

中で「うおー、うおー」と獣の鳴き声が聞こえるので、「熊」かと思いしや雉の雄がバタバタと飛び出

していった。明神ケ岳の山頂はなだらかで展望よし。奇遇にもここで都庁時代の庄子稔さんと出会っ

た。彼より先に明星ケ岳に向かうも途中で追いつかれ山頂で別れた。ここから塔の峰に行く人はほとん

どなく寂しい山路となる。この稜線にはマンテンバイクの跡もありビックリする。塔の峰はその昔、北

条氏の出城があったところで史跡となっている。ここから阿弥陀寺を経て閑静な住宅街を通って箱根湯

本駅に着いた。箱根湯本駅で明神ケ岳から塔の峰まで抜きつ抜かれつの人と出会い、お話をしたら「大

宮市小深作の田代です」と名乗られ、お互いに家が近くなのにはびっくりした山行だった。

日本列島横断山行関連登山

金時山  計6回

●H7/11/18



●H8/2


●H13/6 /11

●H16/6 /14


S63.2.13

  箱根湯本駅〜早川港

 厚着して荷物の軽き旅路かな

 丹沢の雪の稜線連なれり

 水涸れて流れも細き冬の川

 寂しさの漂う冬の河川敷

 見るからに雪の残れる箱根山

 冬は湯の旅一番と老夫婦

 早や川の釣り懐かしき二月かな

 川沿いに吹き来る山の春の風

 浜辺にて凧揚げをする子らの声

 冬の海波の泡立つ浜辺かな

  3ケ年計画で日本海から太平洋への山旅が始まったが、山を歩くのはいいが、平地を歩くのは苦手

だ。今日は短い距離なので助かった。箱根湯本駅から早川沿いの国道をひたすら早川港に向かってスタ

ートする。国道は観光客の車で数珠繋ぎとあってノロノロ運転なので、私の歩行を何かとジロジロト見

る人も多く気分の良いものではない。こちらは昔の東海道を行き交った人たちのことわ偲びながら早川

港まで歩いた。春が近づいているのか暖かな潮風が吹き、寄せては返す波の音、プーんと漂う汐の香

り、手に触れると生暖かい海水、釣り舟がぼんぼんと音を立てながら帰ってく風景、これら全てが私の

こころを和ませてくれる。この感触を日本海まで誓った。

富士山・他 山行年表
昭和39年7月 富士山五合目小屋〜富士山〜御殿場登山口
昭和63年2月      箱根湯本駅〜早川港
昭和63年2月 仙石〜金時山〜明神ヶ岳〜明星ヶ岳〜塔の峰〜箱根湯本駅
昭和63年4月 仙石〜金時山〜乙女峠〜御殿場駅
昭和63年9月 富士山五合目小屋〜本栖湖
昭和63年12月 本栖湖〜下部駅
平成3年4月 下部駅〜毛無山〜本栖湖
平成7年11月 金時山
平成8年2月 金時山
平成13年6月 金時山
平成16年6月 金時山
H22.7.10  現在 11回

トップページヘ