南アルプス

 

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         南アルプス足跡の第一歩 

 私の家族は、太平洋戦争が始まってまもなく母の故郷「身延」疎開して小学校2年生までの約8年間

を過ごしました。家から程近い富士川の対岸には身延山が
聳え、右手に目をやれば、南アルプスの峰々

が望めます。毎日そんな風景に接していたことから大人になって登山好きになったのも自然の
成り行き

す。しかし、私が南アルプスに初めて足跡を残したのは26歳の時で昭和41年7月の日記を紐解

くと、「職場の山仲間と松本行きの夜行列車で出発したものの、途中で頭がズキンズキンしだし、頭の

上に軽石がのっているような状態になってしまった。つい最近、友達が24歳で亡くなったものだか

ら、
それが頭から離れず心配して甲府駅で医者を紹介してもらい診察を受けたら「血圧が高いので山に

登らないで帰宅して静養したほうがいいですよ」と言われてしまった。たいしたことはなさそうなので

登山を続けることにした。


 今年から運行された広河原行の一番バスに乗り込んだ。夜叉神峠から先の悪路には閉口したが、車窓

からの野呂川や北岳の景色は素晴らしかった。
登りだせば体調の悪さも忘れてしまう。何と言っても大

樺沢の長い雪渓を詰めて八本歯のコルまでの登りは
厳しかった。北岳〜塩見岳までの三千米の連なる稜

線は危険な所もなく、また、天候にも恵まれ楽しい縦走だった。強いて苦労をあげれば、間ノ岳から農

鳥岳までピストンした時、マラソン登山がたたり友が西農鳥岳で具合が悪くなってしまったことであ

る。塩見岳ではガレ場で足が届かず友の肩を借りたこともあった。三伏峠に着いたら、めまいと頭痛が

しだした。これはいけないと思って急いで下山した。帰京後、大学病院で診察してもらっうと「若年性

高血圧症」と診断され、暫らく降圧剤の御世話になった。」
記されています。


 
駒ヶ根駅〜女坂峠〜戸台口北沢峠仙丈ヶ 

 岳
甲斐駒ケ岳〜鳳凰三山〜夜叉神峠〜広

 河原〜白峰三山〜広河内岳〜笹山〜転付峠

 〜二軒小屋〜蝙蝠岳〜塩見
〜荒川三山

 赤石
岳〜聖岳光岳池口岳〜中ノ尾根山

 〜不動岳〜丸盆岳〜黒法師岳〜蕎麦粒山〜

 沢口山〜朝日岳〜大無間山〜山伏〜八紘嶺

 〜七面山〜下部駅



S63.10.22〜24

  
沢峠〜仙丈ヶ岳戸台口〜女坂峠〜駒ヶ根駅

久々にスキーヤー集う秋の山

★山小屋で昔を語る夜長かな

★しんみりと甲斐駒眺む良夜かな

★朝寒や静かに小屋を発ちにけり

★登山して秋日の影を踏んでをり

★仙丈ヶ岳に立ちてみな秋惜しみけり

★秋嶽のひととき我を忘れをり

★山陰の初雪残る
長し

★枯れススキ揺れて甲斐駒遠ざかる

★秋晴れの寂しき峠越えにけり

 都庁山岳部の安田先輩から旧友を誘い10月22日に南アルプス・仙丈ヶ岳登山を計画してくれないかとの依

頼があった。安田先輩には私の結婚式に出席していただいていることや、スキー登山では御世話になっている

ことなどから、退職してまもない先輩の願いに応えられるように企画して、昔のスキー仲間によびかけたところ、

7名がさんかしてくれることになった。丁度、その日は私の職場の旅行であったが、「友の結婚式に出席する」と

云うことで断っての参加である。

  新宿のバスターミナルで15年ぶりに旧友と会う。どの顔も昔の面影そのもので生き生きしている。言葉なくし

ても、心が通じるほど、若き頃、一緒にスキーに励んだ仲間達である。甲府駅に着くや大量のお酒を買い入れ

てタクシーで広河原まで入る。全山紅葉の素晴らしい景色と出会い感激するばかり。芦安村営マイクロバスに

乗り換えて北沢峠に向かう。25年ぶりの北沢峠は登山客と観光客で賑わっており、昔の静かな面影などどこに

もない。開発され大勢の人が自然の素晴らしさにふれることは良いことだが、どこかで歯止めを掛けないと正し

く自然破壊に繋がってしまう。泊まりの大平小屋に1時過ぎに着き、そこから回りの紅葉と山岳風景を堪能しな

がら4時間にわたる宴が始まり、日暮れまでつづき、ストーブを囲み夕食後も12時ちかくまで昔の話に花を咲

かせた。

  二日目は、夜明け前に小屋を発ち、ヘッドランプの灯りを友に仙丈ヶ岳を目指す。やがて夜明けとなり、我々

の背後に朝日に眩く甲斐駒ケ岳や鋸山が浮き上がってくる。頂上付近にくるとは先日に降った初雪が残ってい

て所々アイスバーン化しているが、9時過ぎに山頂に立つことができた。360度の展望に言葉は要らない。ビー

ルで乾杯となった。帰りの小仙丈ヶ岳までの下りは、山陰道で初雪が残っており、神経を使った。

北沢峠でみなさんにお別れして、私一人戸台口へ林道を下っていく。右手に見える甲斐駒ケ岳や鋸山も紅葉

に映えて素晴らしい。しかし、林道あるくこと3時間で足はマメに占領されてしまい辛いあゆみとなっ

てしまつた。今日の泊まりを当てにしていた国民宿舎で断られてしまい、暗闇の中1時間ほど歩いてや

っと黒川の民宿に泊まることができホッとした。宿で靴を脱ぐや足のマメは潰れてしまい歩くのも辛く

なってしまうほどだった。

  三日目、マメだらけの足の痛みは昨夜より酷くなってしまった。靴下の上からテーピングして南ア

ルプスと中央アルプスが見られる女坂峠に向かうも、砂利道で歩きにくく足には堪える。峠からの展望

は素晴らしいが中部電力の鉄塔が風景を二分して台無しにしている。嬉しかったのはこれ以上登りが無

いことである。ついにびっこ引くような歩行になってしまった。二越峠に着けば、中央アルプスの眺め

は素晴らしく足の痛みも一時忘れるほどだった。こんな山奥にゴルフ場があるのにも驚いた。天竜川を

渡り駒ヶ根駅までの1時間の登りは辛かった。20年ぶりに駒ヶ根駅に着くも、仙丈ヶ岳から歩いて来

たことの充実感も無く、自分の歩く姿は痛々しく見る影もなかった。



S38.7.23〜25

  竹宇駒ケ岳神社〜甲斐駒ケ岳〜北沢峠〜仙丈ヶ岳
仙水峠〜鳳凰三山〜夜叉神峠

山神に安全祈願夏登山

 

重き荷を背負うボッカの登山杖

 

涼風や刃渡りもある黒戸尾根

 

焼き茄子に疲れもすっ飛ぶ山の夕

一日で立てぬ甲斐駒夏深む

憧れの甲斐駒に立ち大暑かな

峠路は風の道なり夏の山

山小屋も活気に満ちたる夏休み

炎昼や尾根の左右の谷深き

 

目の前の北岳霞む炎天下

仙水峠から甲斐駒ヶ岳を望む
甲斐駒での唯一の写真

              薬師岳

                       地蔵岳
                                       観音岳

 初日、甲斐駒への道程は遠く一日では山頂に立つことはできない。その頂を目指して友と歩み始めると

が、お互いに体調が悪く、何人にも抜かれていく。それでも前屏風ノ頭辺りからは、痩せ尾根になり「刃渡

り」や「クサリ場」などの危険地帯で緊張を強いられたため体調の悪さなど忘れてしまう。

そのうちにボッカの人に追いつかれてしまった。七丈小屋までゆくというので彼の後について歩く。さすが

にプロのリズムで歩くと疲れを感じさないから不思議だ。それでも小屋に着いた時はヘトヘトに疲れた。夕

食はパンと飲み物を流し込んで済ませたが、隣は焼き茄子で周囲の人を羨ましがらせた。

 二日目の朝、甲斐駒に立てども霧で何も見えず。友はここから引き返すので別れて、私は北沢峠から仙丈

ヶ岳に登るも霧で見えず引き返し仙水峠小屋で沈殿する。

 三日目、早川尾根の縦走は天気に恵まれ、雷鳥の親子に出会うやら、北岳の眺めが素晴らしいやらで最高

の登山日和だった。ただ一つ難点を言えば、登り下りが激しいことだ。夜叉神峠は白根三峰の展望台とし

て、この縦走のフィナーレを飾るにふさわしい景観だった。反省はカメラを忘れてしまい、写真が取れなか

ったこと。甲斐駒山頂での記念写真は見知らぬ人に撮って送ってもらった。

 



S63.6.5


  広河原夜叉神峠
芦安

★五月晴れ深山へと林道続く

★目の前に雪置く甲斐の高嶺かな

★新緑や谷深き林道を行く

★隧道の
薄気味悪き滴かな

★渓を背にして慰霊碑の夏日影

★残雪は鳥の形や農鳥岳

★雪残る白根三山美しき

★五月晴れ峠の茶屋も賑わいぬ

★家族連れ目立つ峠の薄暑かな

★薫風や昼寝を誘う夜叉神
 
20数年前の記憶を再確認するかのように広河原にきたものの、まず驚いたのは開発によって地形が一変

するような整備され、マイカーで入る人の多さである。大樺沢も砂防ダムが幾つも作られていて昔の面影は

ない。夜叉神峠に向けて林道を歩き出す。来る時のバスで
歩かねばならない隧道をチェックしてきたとこ

ろ、人と車がすれ違いができる幅があるので安心して歩けると確認したとおり、実際に隧道に入ってみれ

ば、天井からの地下水の滴が落ちてくる所も多く、車の音も反響して轟音となってしまう。しかし、暗い中

で自動車に会うと逆にほっとする。幽霊のことやお化けのこと等も頭の中を過ぎることもあるが、早く抜け

出るように必死に歩いた。広河原では林道と野呂川は同じレベルの位置にあったが、東上するに連れて林道

は高度を上げていき、池山尾根取り付き点の鷲住山入れ口では、野呂川への下りは急降下で300m近く下

るのだから驚く。その近くに林道を作るために殉死した人たちの慰霊碑が
峰三山を背に建てられている。

 そこから暫らく進むと、天皇も立ち寄られた「御野立所」があり、ここからの白峰三山と渓谷美の景色は

素晴らしくい
渓を覗けば足の眩むような高さである。やがて林道に別れを告げ夜叉神峠西登山口から登り

だす。
峠までは静かな山旅を楽しめた。峠に着けば大勢の人で賑わっているのにはビックリした。ここから

の白峰三山の眺めは素晴らしく言葉は要らない程だ。マイカーを止められる東登山口から1時間弱で着くの

で家族連れが多いのも納得する。帰りは東登山口に下りてバスを待っていたら、車で通りかかった渓流釣り

の人が韮崎まで送ってくれるというので同乗させてもらつた。感謝
感謝


S63.7.31〜8.3


  
広河原〜白根御池小屋〜北岳〜間ノ岳〜農鳥岳〜奈良田

★涼風や北岳仰ぎ父想う

★沢音も遠ざかり行く大暑かな

★亡き友の声聞く尾根の高嶺草

★友と来て北岳草を探しけり

★父語る「夏の北岳」我立ちぬ

★北岳の空の高きをイヌワシ舞う

★炎天下尾根行く人の赤き顔

★短夜の眠りの浅き山の旅

★登山小屋出るに出られぬ悪天候

★夏山の匂い我が家に持ち帰る


 初日、梅雨明けが遅れて不安定な天気だが、予定通り出発。高速バスを使って甲府に入るも、途中の渋滞に

巻き込まれてバスに乗り遅れてタクシーの相乗りを利用する。野呂川の吊橋を渡り、大樺沢のせせらぎを聞きな

がら樹林帯の中の登山道に入る。大変涼しく急登で高度を稼げる。私の父もこの道を何回と無く登っているが、

どんな思いで登っていたのだろうか。3時間10分で今宵の宿白根御池小屋に着く。岩の上に昭和34年に遭難

した名城大の学生の石碑がある。それを見た途端に昭和40年の冬に同じバットレスで遭難した都庁山岳部の先

輩鈴木勝也さんのことを思い出してしまった。割り当てられた寝床は一畳に3人にはびっくりもする。

二日目、3時半に起床して出発準備に取り掛かる。星はキラメキ今日の天気を暗示している。朝露に濡れなが

ら急峻な山路に登って行く。この道こそが父がいも話題にしていた「草滑り」である。高度差500mとか。学生パ

ーティと抜きつ抜かれつを繰り返して小太郎尾根の稜線に出る。目の前に甲斐駒ケ岳、早川尾根、仙丈ヶ岳が広

がるも、次第にガスがかかり始める。とにかく肩の小屋を目指して岩稜を行けば、父が来るたびに泊まっていた

肩の小屋に着く。記念写真を撮って早々に山頂に目指すも、登り一辺倒できつかった。かくして北岳山頂に立つ

ことができた。霧で何も見えないが、父はよくもこんな高い山に何回も登ったものだと感心してしまった。北岳

山荘まで出の痩せ尾根道は注意しながら下る。北岳山荘のホテル並みの立派さには隔世の感ありで、時代の流れ

を痛感する。ここでアマチア無線を交流したら富士山5合目と白馬岳の無線局と繋がったが、霧につつまれたの

で先を急いだ。途中でサブザック一つのオバタリアンに追い越されたが、間ノ岳の頂上で一緒になつた。何とそ

の人たちは山頂でビールで乾杯しているのには驚いた。雲間から一瞬、北岳や農鳥岳が顔を出したので夢中でシ

ャッターを切った。農鳥小屋への下りは尾根が広いのでペンキ印を広いながら下っていく。岩屑の墓場を思わせ

るようなガレ場には恐怖心さえ覚えさせる。若き日は間ノ岳〜農鳥岳までピストンしたのだが、今では信じられ

ないような話だ。農鳥小屋には一番最後に着いたので予備の小屋を使わせてもらえた。しかし、水場の遠さには

参ったが、明日の水を確保する。疲れ果て夕食も進まないが何とか食べて寝袋に入った。小便に起きた時は星の

煌いていた。昭和43年9月7日に北岳に登頂した父を紹介します。

 三日目、昨夜の星空は幻だったのか。朝から土砂降りで小屋を出るに出られず。これから二、三日天気は良

くなる気配はないらしい。とにかく2時間遅れで強風雨の中へ一歩を踏み出す。友は体調が悪く、西農鳥岳直下

で風雨に晒されながら雉を撃つ。西・東農鳥岳も標識にタッチして通過するのみ。全身ずぶ濡れで意気消沈す

る。広河内岳への分岐点で転付峠に向かうのは中止して、奈良田へ直接下ることに決定。大勢の人で賑わってい

る大門沢小屋に着くが、雨では立ち寄るって休む気にもなれずに一気に下る。その道中も何本も沢を渡り、その

度に吊橋を渡り難儀する。やっと車道にでると奈良田部落の旅館の客引き合戦が凄い。我々は「大家旅館」に御

世話になる。まずは二軒小屋に電話入れて山岳部後輩達に「中止」のメッセージを頼んだ。今宵は檜風呂に入っ

てビールで乾杯した。振り返れば、何よりも父と同じコースを歩けたことが何よりも嬉しかった。また、大阪の

井上さん親子との出会いも思い出深い山旅であった。

 四日目、今回ね転付峠までの縦走を中止したので、その代わりと奈良田から田代発電所のある新倉まで歩き

日本列島横断山行を繋げることにした。宅急便で登山用具は送り、サブザック一つで歩き出した。早川渓谷に沿

って下り、西山温泉通って新倉に向かうが、ここは平賀文男の「早川」に出てくる温泉情話「湯島のお琴と登山

家辻村次助」との悲恋物語の現場でもある。南アルプス街道沿いに「琴路の碑」があったが実話なので写真に撮

る気にもなれなかった。この街道沿いには幾つもの遭難碑が建っていることからしても厳しい山道であることは

間違いない。新倉に着けば、田代発電所への吊り橋も昔とは大違いで立派なものに架け替えられていた。所期の

目的を達成できてよかった。


S41.7.16〜20

  
広河原〜北岳〜間ノ岳〜農鳥岳〜三峰岳〜塩見岳〜三伏峠〜塩川土場

★雪渓の行き着くところバットレス

★雪渓にあえぎあえぎの靴の跡

★夏霧に北岳隠る高さかな

★炎天にわが身を晒す縦走路

★岩に道しるべのペンキ夏の山

★炎昼や水かぶりたき縦走路

★静寂なる山小屋照らす月涼し

★山に来て見る高嶺草名を知らず

★夏山のアブつきまとう樹林帯

★涼風や峠に憩う老夫婦


              広河原・野呂川林道                        
大樺沢
                 八ヶ岳                  北岳

塩見岳山頂の私

塩見岳から北岳方面を望む

★初めての南アルプス縦走なので張り切って、前夜たちで友と松本行きの最終列車で出発したものの、途中で
頭がズキンズキンしだし、頭の上に軽石がのっているような状態になってしまった。友達が脳腫瘍で亡くなっているので、それが頭から離れず心配して甲府駅で病院を紹介してもらい診察を受けたところ、「血圧が高いので山に登らず帰宅して静養したほうがいいですよ」と言われてしまった。たいしたことはなさそうなので登山を続けることにした。                                             ★今年から運行されることになった広河原行の一番バスに乗り込んだ。夜叉神峠から先の悪路には閉口したが、車窓から見える野呂川や北岳の眺めは素晴らしかった。しかし、登りだせば体調の悪さも忘れてしまう。何と言っても大樺沢の長い雪渓を登り詰めての八本歯のコルに至るまでの登りは厳しかった。コルに着けば一面のガスで北岳は姿を消してしまった。北岳から塩見岳までの三千米峰の連なる稜線は危険な所もなく、また、天気にも恵まれ楽しい縦走だった。強いて苦労を上げれば、間ノ岳から農鳥岳までピストンした時、マラソン登山がたたり友が西農鳥で具合が悪くなり、私一人で東農鳥まで往復してきた。熊ノ平小屋は数人の泊りで月を見ながらあれこれと山を語り合った。そこへ農鳥小屋から犬をつれた管理人がきてお金を徴収に来たのには驚いた。専用の近道があるので雨以外は来ているようだ。                               ★塩見岳は見るからに穏やかな高峰に見えるが登るにつれて荒々しい岩道で、山頂から下る時、ガレ場で足が届かず友の肩を借りたこともあった。塩見小屋は無人で簡単に筵を貼り付けた小屋でみすぼらしかった。三伏小屋で泊まった夜、トイレに起きたらメマイや頭痛がしだした。帰京後、大学病院で診察を受けたところ、「高血圧症」と診断され、しばらく降圧剤の御世話になった。


H9.8.15〜19
  沢峠〜仙丈ヶ岳三峯岳〜間ノ岳〜西農鳥岳〜東農鳥岳〜広河内岳〜大籠岳〜白河内岳〜笹山〜白

  剥山〜奈良田越〜転付峠〜新倉

 ★山遥か一歩踏むごとに汗かきぬ

 ★夕焼けや寡黙になりし山男

 ★登頂を喜ぶ友に夏射し

 ★岩雲雀暑さも忘る難所越え

 ★岩稜を用心深く登山杖

 ★青き嶺踏み跡微か獣見ず

 ★原生林の夜涼楽しむ月明かり

 ★振り向けば夏雲立てり今朝の山

 ★遠き日を偲ぶ峠も秋めきぬ

 ★滝音や瀞の岩魚を

仙丈ヶ岳直下カールから甲斐駒を望む 高嶺草咲くカールより仙丈ヶ岳を望む
北岳から間ノ岳の稜線へ取り付くため私達は仙塩尾根を歩きました
朝日に輝く農鳥岳を農鳥小屋から撮る
         仙丈ヶ岳            
           間ノ岳          北岳

第一日、甲府を出る時は小雨であったが、北沢峠は曇り空でほっとする。9年ぶりに訪れた峠は観光客で賑わっている。大平山荘前を通って登山道に取り付けば人も少なく静かな山路となる。途中の滝のところに仙丈カールの湧き水は大腸菌に冒されているのでここで水を汲むように掲示板が立っている。我々もここで汲んでカールの避難小屋はを目指す。道中は見飽きないほど高嶺草が咲き乱れている。馬の背ヒュッテには大勢の登山客で賑わっている。我々はカールの避難小屋へと足を伸ばす。カールにはテントも数多張られているが、避難小屋を覗けば、先着組が親子連れを含め2組いたが、我々が泊まるスペースもあるので利用することにした。夕食後、雲も切れ始め、夕焼け空となる。雲海に浮かぶ八ヶ岳や甲斐駒ケ岳の光景に言葉は要らない。親子連れは寝袋も持参していないのにはあきれてしまった。昨日の寝不足が祟ってなのか、高山病なのかわからないが、頭痛が始まったのでバッファリンを飲んで早寝した。2時過ぎに、小便に起きて見上げる空は満天の星空で綺麗だった。                                     第二日、5時過ぎに仙丈ヶ岳山頂付近も朝日に赤く輝き始める。我々も気合を入れて山頂を目指しカールを後にする。5時40分山頂に立つ。360度遮るものなく各方面の山々が一望できて言うことなし。西にブロッケン現象に見られ、仙丈ヶ岳の細長い影と丸い虹にしばらく見惚れていた。9年前の安田さん達との登頂が思い出される。大仙丈ヶ岳へは這い松と岩礫の道を下るので緊張を強いられるも、北岳や間ノ岳を横目に眺めながらの稜線漫歩は最高安全地帯のお花畑で一服した後は、仙塩尾根の樹林帯を南下して野呂川越で昼食と摂る。両俣小屋へ向かうご夫婦から水2リットルの提供を受け大助かりだった。ここから700mアップの三峰岳まではアップダウンの繰り返しで倒木あり、岩稜ありで神経を使い、山頂に着いた時は力尽きた感あり。今宵の泊まりを予定している農鳥小屋は見えていて遠しで気が滅入る。やがて霧につつまれた岩稜を1時間登って間ノ岳に立つも5時を過ぎてしまった。寒さに震えながら一本立てて、農鳥小屋に下るが体力が尽きてガラ場をゆっくりと下る小屋に着いたのは、7時前と遅れてしまった。小屋主に明日は白峰南嶺を南下して転付峠に行くと伝えたら、別室を割り当ててくれたり、小屋の水を使わせてくれたり、サービスしてくれた。今日は長丁場だったので疲れ身には食物を受け入れる能力も失われ、全て嘔吐してしまう。それでも無理やり水羊羹を食べて寝袋に入った。                                               第三日、天気が素晴らしいので小屋の外ではカメラを構えている人が多い。我々もその中に紛れ込んで撮影する。登山客は早朝からそれぞれの山を目指して出発していく。最後の我々も6時前に小屋を後にする。西農鳥岳に着けば、360度の展望に大満足。ここで北岳や間ノ岳を狙っているカメラマンも何人もいた。私も一枚撮ってから東に向かう。東農鳥岳立てば、雲海に抜き出る富士山の眺めにしばらく見惚れる。大門沢下降点までは一般登山道を行くので何人かに追い越されていくが、広河内岳に向かう人は皆無。山頂までは岩にペンキで道案内しているので簡単に山頂に立てた。南アルプス主脈の眺望もよく、大石さんと無言で見入っていた。 さて、今宵の幕営を予定している笹山までの県界尾根の長さと、踏み跡探しを考えると気も引締まる。白河内岳までは岩礫帯と這い松の入り組んだ広い尾根となり、一山越せば、又、その先に山。それの繰り返しにエネルギーの消耗が激しく、目を皿にしてのケルンや踏み跡を探しながらの歩みには疲労感が滲む。高度計と地図を使って山を確認していくが、三角点の見落としなどで間違えて先の山に進んでいた時は嬉しくもなる。白河内岳から下りで道を失いルートファイデングに苦労したが事なきを得た。そこから先は潅木帯となり、踏み跡やナタ目を探しながらであるが迷うことなく笹山に3時前に着いた。行けるところまで先に進むことにして5時に原生林の中でテントを張り行動を停止した。夕食は昨夜と同じように嘔吐して食べられなかったが、少しづつビスケットとコーヒーを流し込んだ。真夜中の月の明るさには驚く。木々はそれぞれが自分の影を持ち、月光の当たる幹の部分を白く浮き立たせ、夜の自己主張するが如く輝き、静寂の支配する原生林をなしている。私はしばらくの間、そんな木々の光景に見惚れていた。南部の山では鹿の声も聞こえようが、ここで耳にしたのはそよ風の音のみだった。

第四日、今朝の天気も晴天。6時前に出発。下り一辺倒なので楽だが、コースサインを見落とさないように神経を使う。これまでも大石さんとは、南アルプスの山を中心に二人で踏み跡探しをやってきたのでほとんど間違うことなく切り抜けてきた。今回も無事に最後の山である白剥山に7時前に着くことができた。ここを下り奈良田越に出れば、長い長い県界尾根道が終わる。ここから転付峠までは荒れにまかせている林道が南下している。途中の展望台の広場からは悪沢岳の眺めは最高。西別当代山からは塩見、荒川三山、赤石、聖岳等も見えてくる。これも来た人でなければ楽しめない景色なのだ。10時前に30年ぶりに転付峠に着く。昔の面影は一かけらもなし。それでも懐かしさは込み上げてくる。来年はまたこの峠に立って南下する予定である。整備された田代への山路を下る。途中、沢の瀞に沢山の岩魚が泳いでいる光景に出会い感動する。かくして今回の山旅は終わった。お付き合いいただいた大石さんに感謝あるのみ。 


H11.8.13〜17
  鹿塩温泉〜鳥倉林道〜三伏峠〜塩見岳〜蝙蝠岳〜二軒小屋

★老鶯や嵐の後の空青き

★トリカブト咲く峠路の道しるべ

★登山小屋誰彼となく山談義

★短夜の雨は岳人眠らせず

★久々に日の出眩しき夏の山

★夏霧や名山を踏む我五十路

★黙々と登山して汗滲み出す

★雷鳥やこれより先は獣道

★誰一人会わぬ山路や岩清水

★白樺は雨の木々なり登山小屋



北俣岳から蝙蝠岳を望む
  北俣岳をトラバースして広い尾根に
蝙蝠岳
蝙蝠岳から見た塩見岳

 

第一日、5月の八幡平スキー以来の本格的登山であるが、7月26日伊豆山の保養所で食べた刺身が悪く、腸炎ビブリオにかかってからしばらく体調がすぐれなかった。出発前前日まで薬を飲んで必死に体力の温存するように努めて来た。それを見て妻は「好きなことになるとなりふり構わずに精神力を集中するんだから」と苦笑していた。今回は小屋どまりなので荷物も軽いので気楽に出掛けて行った。ところが中央線で人身事故が発生して大幅に遅れたことで予定が狂ってしまった。飯田線伊那大島駅で大石さんと待合わせしている時間に何とか間に合った。しかし、そこには大石さんの姿はなく、最終バスの時間まで待っても来ないので連絡すると明日思っていたという。仕方ないので明日会うことにして私は最終バスで鹿塩温泉に向かった。しかし、現地で旅館を探したがどこも泊めてくれない。偶然に大島駅で声を掛けてくれたタクシーの運転手と出会い、相談したところ、断られた山景館と話をつけてくれやっと泊まることができた。温泉もあり言うことなし。大石さんに連絡して、明日はここまで来て貰うようにした。                                第二日、朝から雨はじゃんじゃん降り。これでは登山どころではない。テレビは「丹沢湖に流れ込む玄倉川が雨で増水し、中洲にキャンプしていた19人が流されて行方不明」とニュースを放映しっぱなし。私にとって人生の中で一番贅沢な一日になりそう。朝風呂に入って雨で増水する塩川の流れを眺め、風呂上りの頭のすっきりしたところで、来年退職記念に発刊を予定している句集「踏み跡」の500句の原稿を読み直して手をいれたりして一日を過ごした。友が来るまで5回ほど温泉に入ってしまった。夕方、友もタクシーでやってきた。定期バスが無いので相乗りできたとか。登山する前にリラックスしてしまったので明日が思いやられる。

第三日、これまで御世話になったタクシーの伊藤さんが6時に迎えに来てくれたので鳥倉林道を走って登山口に向かう。昔は塩川土場がメインの登山口だったが、現在は1時間早く三伏峠に着く、鳥倉林道の登山口でメインでとなっているとか。今日も50名以上の百名山愛好者が入山しているらしい。登山口から三伏峠まではカラマツ林の中を直登気味に登って行く。風が爽やかで気持ちが良い。しかし、行き交う中高年の百名山愛好者はリーダー任せの登山で自己責任を感じていないことに危惧する。三伏峠に10時前に着いた。昭和41年7月の記念写真に出ている峠の看板は古びているが健在だった。次第に天気も崩れだし雨とた。塩見小屋は予約制とかで断られるところだったが、テント小屋ならばということで確保した。畳一枚に二人という混み方なので動くのに苦労する。しかし、ここでは見知らぬ人との山談義が楽しかった。

第四日、真夜中、小便に起きて空を見上げると雲が流れてたり、降ったり変化が激しいことから今日の天気も思いやられる。朝食後、雉を撃つが小屋で渡された大便用の袋に入れて風呂桶に入れて蓋をする。それをヘリで下ろして処分するという。そこに環境汚染防止の願いが込められていることを忘れてはいけない。33年前の風化しそうな記憶をたよりに、7時前に霧につつまれた塩見岳に着く。早々に蝙蝠岳への分岐点へ下る。蝙蝠岳は33年前から一度登りたいと思っていた久恋の山である。分岐点から暫らくは岩稜の痩せ尾根で雨の時などはショッパイところだ。北俣岳の山頂は通らず左の岩場を通過して、這い松と砂礫の広い尾根に出ると遮るものなしだが霧では展望なし。蝙蝠岳の山頂も同じで天気を呪いたくもなってしまう。二軒小屋まで6時間の標識に従って、地獄の急降下が始まる。ザレ場の赤ペンキを探し、ふみ跡の確認の連続で神経を使う。原生林に入った時はほっとした。切り開かれた道の赤ペンキや木の切り口を確認するだけなので楽だが、展望は無く、日も当たらないので落ち葉が腐った匂いがする湿った山路は滑りやすく足元には注意が必要。途中で雨が降り出し、フィクスロープの懸かっている岩場が何箇所かあり、緊張を強いられた。塩見小屋を出てから11時間半かかってホテル風の二軒小屋に着いた。檜風呂で山の汗を流し、風呂上りに食べたアイスクリームは美味しかった。夕食時には宿泊の人たちとビールを酌み交わし、夜遅くまで交流を図ったことも今回の山行の良い思いでとなった。


S42.7.14〜20

  新倉〜転付峠二軒小屋〜万斧ノ沢頭〜千枚岳〜東岳〜中岳〜前岳〜小赤石岳〜赤石岳〜百間平〜

  大沢岳〜中盛丸山〜兎岳〜聖岳〜上河内岳〜茶臼岳〜易老岳〜光岳〜易老岳〜茶臼岳〜畑薙ダム

山恋いて梅雨明け待たず登りけり

★夏山へ吊橋ゆれる怖さかな

★峠越え谷間の暑き夜を寝ねず

★高嶺へと登り一筋汗拭う

★癒されし岩稜に咲く高嶺草

★ネズミいて眠れぬ夜や登山小屋

★熊がいて「知らぬが仏」夏の山

★雷雨来て我逃げ惑う縦走路

★夏山に来て水切れの苦しさよ

★縦走や花野満開忘れがたき

★光岳へとナタ目追う夏の雲

★もてなしはドラム缶風呂登山小屋

転付峠への入口となる吊橋(新倉) 転付峠の私

二軒小屋

悪沢岳の私
           荒川前岳     中岳   悪沢岳(東岳)
赤石岳       大聖寺平                   中岳
       聖岳                            小兎岳       兎岳
聖岳    兎岳避難小屋 上河内岳 茶臼岳 易老岳       光岳
聖岳(正面の岩場に清水が湧き出している)
上河内岳と茶臼岳の間にある花畑の亀甲状土もう一度訪れたい所です
光岳
茶臼岳小屋 茶臼岳登山口畑薙ダム大吊橋

第一日、昨年に続き、南アルプス縦走を考えていたが、資金が乏しく給料日まで出発を延期してしまった。前夜立ちせず、我が故郷「身延の親戚」に泊まって一番バスで登山口の新倉に入る。梅雨明け宣言は出ていないが、天気は上々。しかし、蒸し暑いことや転付峠まで登り一辺倒の急登も手伝って、標準時間の倍を費やしてしまった。二軒小屋での泊まりは背中の火照りが酷く寝付けず睡眠不足は否めない。 

第二日、夜明け前に出発したものの、45キロを背負って万斧ノ沢頭までの高度差1600mの急登は本当に泣きたくなるほど厳しかった。その苦労も千枚岳の花野や景色の素晴らしさで吹っ飛んでしまった。荒川岳を通過する頃から霧が発生し、ガレ場が酷く塩見岳の下り以上に神経を使った。時にはガレの下りで友の肩を借りることもあった。荒川小屋は小野番がいるもののネズミが棲みついているため、暗くなると騒々しさに安心して眠れぬ一夜となった。                                      第三日、朝から素晴らしい天気で言うことなし。赤石岳に向かうために大聖寺平で休んでいたら、小赤石岳の稜線から「オーイ」と何回も登山者が叫んでいる。別に気にもしていなかったが、暫らくしてから山で彼らに会ったので、話を聞くと「我々が休んでいる近くに熊がいた」という。びっくりもするが「知らぬが仏」とはこのことだと思った。もし熊に気がついていたらどんなに慌てたことか。午後、兎岳では雷雨に見舞われ、身一つで這い松の中へ避難した。驚くなかれ小鳥達も避難しているではないか。友が「落雷で俺だけやられるのは嫌だよ」と私の足を掴んで離さなのには恐れ入った。稲光が横に走るのは本当に怖かった。雷雨が去った後の夕焼けは実に美しく、何時までも見惚れていた。それに引き換え、兎岳避難小屋の中はゴミだらけで臭くて寝袋をどこに敷くか苦労した。                                        第四日、一夜明ければ、朝日に輝く聖岳の眺めは素晴らしく見ごたえがある。気合を入れて山頂を目指す。残り少ない水を節約してきたが、ついに山頂で水切れとなつてしまった。「どうなることか」思いしや、下りの岩場で湧き水にありつけてことなきを得た。聖平の東海パルプ小屋では、小屋番のおばさんに親切にしていただいたので、お菓子を沢山あげたら喜んでくれた。南アルプスは倒木も多く苦労するが、上河内岳周辺には亀甲状土が見られ、そこの花畑は素晴ら見事だった。今年の茶臼岳小屋の管理人は、大井川町長渋谷さんの娘さんが管理人として入っており、我々にドラム缶風呂を沸かして入れてくれた。小屋周辺水場と花畑に恵まれた景勝地で私も気に入ってしまった。                                    第五日、天気も何とか持ちそうなので、光岳まで空身でピストンすることにして、早く小屋を出発したが、倒木が多く、踏み跡も消えたりでナタ目を追う所もあったりしたが、何とか光岳に立つことができた。山頂は展望のない森林の中で苦労した割には味気なかった。茶臼岳小屋に戻り、下山を始めたが、途中で大学のパーティに会ったが、新人のシゴキニの酷さにはびっくりした。また、1m近いマムシにと出会った時は肝を冷やした。最後の難関は「畑薙ダムの大吊橋」で、30cm幅の渡り板が全長100m以上あり、真下は青々したダム湖。渡り始めて真ん中くらいに差し掛かると吊橋が傾くのには肝を冷やした。帰りは材木満載のトラックに赤石温泉まで乗せてもらったが、振り落とされないように材木に腹這いになってしがみついていた。温泉から見える上河内岳は素晴らしく、しばらく見惚れていた。


H12.8.11〜13
  鳥倉林道〜三伏峠〜烏帽子岳〜前小河内岳〜小河内岳〜板屋岳〜荒川前岳〜大聖寺平〜小赤石岳〜赤

  石岳〜富士見平〜赤石小屋〜

★夏山へ深夜急行懐かしき

★涼風や杖突くたびに鈴なりぬ

★峠越えして涼風に身を晒す

★声弾むお花畑の老夫婦

★炎天や稜線の小屋見えて遠し

★山清水岳人の足引き止めぬ

★炎天へジクザクを切る登山道

★岩峰は聳え裾野にお花畑

★痩せ尾根を行く涼しさと怖さかな

★雲海に富士山浮かぶ駿河かな


三伏山から塩見岳を望む
松虫草
塩見岳

第一日、平成元年秋より、南アルプスの山行を共にしてきた静岡市の大石さんが昨年の秋にガンに倒れたので、今年の南アルプス山行は独りで行くことになった。日程が合うといって山岳部の後輩の中村君と金坂君がお供してくれることになった。新宿駅前夜立ちの深夜急行に乗り、辰野駅で飯田線に乗り換えて伊那大島駅に降りたのは10人。昨年の夏、御世話になったアルプスタクシーの伊藤さんに交渉して塩見岳を目指す老夫婦と相乗りで鳥倉林道の登山口まで入った。9時前に三伏峠を目指して登山開始。昼前に三伏峠に着いた。昼食後、峠を南下して木立を抜ければ、展望が開け、お花畑も広がり、塩見岳がどっかりと見える景勝地である。炎天下のガレ場の続く縦走路を登り烏帽子岳に着く。360度の展望に言葉は要らない。昨年オープンしたばかりの小河内岳の避難小屋も望める。前小河内岳のコルに一気に下り、また、登り返して山頂に着いた。山頂を下ったところで登山スタイルでないご夫婦を追い越した。どうも様子が変なので自殺志願者ではないかと注意しながら登っていった。途中で出会った雷鳥親子は人に慣れきっているのには驚く。今日は小河内岳に登らず避難小屋へ直行した。小屋番に変な人に出会ったことを伝えると、彼の親戚の人で心配して待っているところだったという。一件落着。この避難小屋は360度展望のきく景勝地にあるが、まもなく霧につつまれ何も見えなくなってしまった。いつものように私は嘔吐に襲われて静かに眠るのみで辛い夜となった。血圧の関係でどうしょうもない。

第二日、雲海に浮かぶ富士山と、そこへ射し込む御来光の神々しさは、泊り客を喜ばせた。小屋から直ぐの小河内岳に立ち、蝙蝠岳の肩に昇るご来光を拝んだ。朝露に濡れた這い松地帯の登り下りを繰り返し樹林帯の板屋岳に着くころはズボンはびしょ濡れ。樹林の中の高山裏避難小屋いたが、ここの小屋番の横柄な態度には非常識極まりない。井戸沢ノ頭をトラバースする途中に最後のみずばがある。水筒を満たして高度差700mのガレ場の道に取り付く。天気は台風が来ていることもあって今にも降りそうな気配。稜線まで辛い登りであるが、下る大学の2パーティとすれ違い、これからよ頑張ってと励まされてしまう。登りきって崩壊進む岩稜に出るが霧につつまれて何もみえないので高度感や緊張感もない。岩稜がつきた所が荒川前岳である。記念写真を撮って早々に下る。中岳と荒川小屋分岐点に付いたが、雨が降り出しそうで中岳もガスにつつまれているので、小屋へ直行することにしてガレ状の急な山路をくだるも、途中で嘔吐に見舞われてしまった。2時過ぎに新しい荒川小屋についた。中村君は古い小屋で我々を3時間も待っていたという。会わないので心配したが落ち合えてよかった。帰りのバスのこともあるので一泊二食つきの泊まりとした。カレーライスは食欲が進み嘔吐もなくホッとして一夜を迎えることができた。台風が近づいているので雨も降り出した。                 第三日、嘔吐の気配もなく一夜を乗り切ったての目覚めは朝の4時。外は霧雨、朝食の豆腐と葱入りの味噌汁が美味しく2杯もお代わりするほどだった。天気も下り坂なので行けるところまで行くことにして5出発。大聖寺平まで来ると昔の面影も残っている。また、流れ雲の間に青空も見え始める。高度差400mを登りきって三千米の稜線の一角に立つ。うれしや西側にモルゲンロートがかかりその中心に我が影あり。小赤石岳に立つも霧で展望聞かず写真を撮って後にする。中村君と金坂君は赤石小屋と赤石岳の分岐点にザックを置き赤石岳にピストンしてくる。赤石小屋への道は物凄い急降下でお花畑も見られるが、足元から目がをはなせない。冬場は危険地帯で下ったことのある金坂君も苦労したという。10時半に赤石小屋に着いた。小屋番が飛ばせば2時のバスに間に合うというので、荷物を分散してもらい樹林帯の中の道を飛ばした。なかなか大井川が見えこないので焦りもしたが、3時間半の行程を2時間に縮めたので風呂に入って汗の匂いを落として、清々しい気分で帰京の途についた。お供してくれた金坂君と中村君に感謝あるのみ。これで南アルプス一周縦走は終わった。            


H5.7.10〜12

  畑薙ダム〜茶臼岳〜仁田岳〜易老岳〜イザルガ岳〜光岳〜百俣沢ノ頭〜柴沢橋〜寸又峡

★梅雨深み感動のなき山の旅

★無人なる梅雨明け前の登山小屋

★隙間風寝袋寒き登山小屋

★起き抜けに一杯のコーヒー夏の山

★雷雨にて出るに出られぬ登山小屋

★黒百合も雷雨に揺れて耐えぬきぬ

★奥山の樵小屋も茂りの中

★山下り来て初蝉を聞きにけり

★林道やカーブミラー写す青嶺かな

★梅雨深し深山の沢の濁り水



              横窪小屋



仁田岳から大無間山が目の前

易老岳
イザルガ岳より光岳を望む
 
百俣沢ノ頭 柴沢橋

第一日、23年ぶりの茶臼岳登山とあって足取りも軽い。今回は静岡市の大石さんを案内する。畑薙ダムの大吊橋は昔の面影もないほど改善され怖くなかった。ヤレヤレ峠を過ぎたあたりから雨が降り出したので先を急ぐ。横窪小屋は昨年の国体があったので新しく建て直しされているが開放されていない。何しろ登り一辺倒にうんざりもするが、稜線に近づくにつれてお花畑も見られるようになり、小屋も直ぐだった。小屋番が花畑の近くで山の天気の情報を無線で交信している。夕方から雲も切れて、一期一会の夕日の美しさに見惚れてしまった。ランプなき山小屋に暗くなってから6人が到着して賑やかな夜となった。しかし、梅雨寒で寝袋に入ってもガタガタ震えなかなか眠りにつけなかった。                              第二日、素晴らしい日の出となったものの、暫らくすると天気も崩れだし雨が降り出した。小屋から稜線に向かう途中に、ヤレヤレ峠同様に遭難碑があり、自分達も気を引き締める。23年ぶりに茶臼岳に立つも雨では何の感動もなし。今回は前回登り残した仁田岳に登ってみる。山頂までの稜線は這い松地帯で風が強い。目の前に大無間山が見える。晴れていたらと思うと残念なのことだ。雨脚も強くなったので易老岳に向かう。山頂は原生林の囲われており、展望はない。縦走路は倒木も多くなり苦労するが、センジガ原に取り付く地点から岩の道になり、急登が続くが歩き易くなる。センジガ原は水も豊富で花畑も広がり山の楽園である。まずはイザルガ岳に登るも天気が悪く感動なしだが、天気がよかったら昼寝したい所だ。無人の光岳小屋に荷物を置いて光岳に登った。昔とは違って展望をよくするために樹林が伐採されており、近くに自然保護林の案内板も設置されている。岩の上に座っているとポカポカしてきて昼寝したくなる気分。青空も見え出したので急いで小屋に戻りイザルガ岳に遊びに行く。素晴らしい景色に感動する。しかし、またしても雨が降り出したので、急いで小屋に引き返す。その内に強い風雨になる。小屋の前に咲いている黒百合が風雨に揺れながら耐えている姿はいじらしく見えた。冷え込むので小屋の小屋に置いてあった枯れ木等を炉で燃やすが煙が酷く涙目には参った。最後は燃やすものもなく捨てる雑誌まで燃やしてしまった。夜は小屋の隙間風で寒くて寝付けなかった。         

第三日、朝3時頃から猛烈な雷雨となる。屋根を打つ雨音の凄まじいこと。屋根の煙突から雨が吹き込むほど凄まじい。これでは動けず暫らく沈殿して様子を見る。11時まで様子を見たが止む気配がないので縦走を打ち切ることにして柴沢橋経由で寸又峡に出ることにした。百俣沢の頭で来年のための大無間山縦走コースを確認することができたことが収穫だった。2時間で柴沢橋に着いた。ここから右手に行けば千頭山登山口である。ここから8時間行程の林道歩きの始まりである。昔は森林軌道、トラック輸送と変化し、今は廃道に近いものとなっているが、今でも営林署が使うところは補修しているようだ。大根沢付近で補修していた帰りにトラックに乗せてもらえるかも知れないという期待を持って歩いていたら、5時過ぎにご厚意で事務所まで乗せてくれた。事務所から1時間近く雨降る中を歩いて7時に寸又峡に着いた。


H7.7.31〜8.3

  田代〜大無間山〜大根沢山〜1874m峰〜沢山百俣沢ノ頭〜光岳〜加々森山〜池口岳北峰〜池

  口集落

★水筒を満たす清水や山高き

★山静か盆の近づく遭難碑

★星涼し高嶺にテント張りにけり

★涼風に胸をはだけり縦走路

★育ちゆく遠嶺の空の雲の峰

★山旅の男の眠れる天の川

★山蛭に身の毛もよだつ藪山中

★倒木に苔咲いて山澄みにけり

★涼風に耳を澄ませば沢の音

★岳友と語り尽して明け易し

★光岳懐かしきかな黒百合に会う

★原生林の静けさにあり苔の花

★青き嶺地図と磁石で確かむる

★雲の峰ほつれて闇に消えるかな

★踏み跡も消え行く藪の茂りかな

★登山日記涼風のこと書きにけり

南アルプス深南部の山々


1874m峰
  藪漕ぎとルートファイデングしながら池口岳(目の前)を目指す
     加加森山               光岳                                      

第一日、5年前にも登っているので大無間山までは心配もしていなかったが、登山口の田代から長丁場の原生林を行く山旅なので5リットルの水を含めて30キロを担いで急登一辺倒には厳しいものがあった。中部電力の小無間小屋まで倍の4時間もかかってしまい小無間山に着いたのは4時過ぎと大幅遅れだった。何しろ頑張って稜線の木間をかき分けて行くと、見覚えの遭難碑の前に出たので山頂も近いことに気がつき休まずに登った。7時過ぎに広い山頂に着いた。何と12時間もかかってしまったが、前の経験もあってそれ程心配しはしていなかった。5年前の迅雷を思い出する夜となった。                                                第二日、木間越しに富士山やご来光が望める素晴らしい朝を迎えた。今日も長丁場なので20分ほど渓を下って水を補給してから山頂を後にし、相当下って三隅池に出る。 水があれば最高の窪地だが涸れきっている。右へルートを取り、大根沢山へ向かうが天気に恵まれているので踏み跡や赤テープを確実に拾えばよいのでルート工作は楽だった。アザミ沢の源頭の水は稜線から5分の所にあり最高の水場だった。倒木の多さには息切れもするが木陰の静寂には心地よい。昼過ぎに原生林の中の大根沢山に着く。進路を北西にとり急な下りにかかったが道を失う場面もあったが、二人で探してルートを開いた。この時に独りの若者に出会い、びっくりする。彼は道に迷い、水も使い果たして困っているというので水場を教えて判れた。大根沢山の最低鞍部手前に8m近くの岩場があったが手ごろなホールドがあったので難なく乗り越えた。5時半に1874m峰に着いたので、今宵はここでキャンプすることにして行動を停止した。                           第三日、珍しく小鳥の声で目覚める。見上げる空は青一色で暑さを感じさせるが、稜線なので涼風が吹きぬけていく。光岳まで水場がないので手持ちの水を節約しながら使うことにする。何しろアップダウンの繰り返しと藪漕ぎの連続で疲れてしまうが、踏み跡と赤テープをしっかり追えばルートを外すことはないが、ピークに標識がないので高度計を使って確認しながら進む。2時45分に着いた百俣沢の頭までアップダウンしながら高度を上げていくのは登山者にとっては辛い道程である。3時まで光岳小屋に入れば50歳以上には食事つき宿泊を認めてくれるので、休まず小屋を目指し3時過ぎについて食事つきをお願いした。管理人の原田さんご夫婦は感じよい人で、我々が縦走する山のことを色々と教えてくれた。ここの管理人を引受けて15年と云うから驚く。奥さんも看護婦さんなのか大宮の双愛病院にいたことがあるという。感じよい管理人なので友も喜んでいた。夕食までの間にセンジガ原まで水を汲みに行く。夜は6人の先客と夕食を共にしながら山の話を楽しんだ。                                     第四日、夜半から凄い風雨で窓側に寝ていたので冷え込みも厳しかつた。朝方からガスと風だけになったが、雨具をキコンで6時に小屋を出る。光岳山頂は展望なし。いよいよ西下していくがガスにつつまれていて、何回か友とルートファイデングしてルート開き、9時半に加加森山に着くも、展望はなく原生林の山旅は続く。そこから大倒木地帯となり、ルートを探しながら倒木を跨いだり、潜ったり、エネルギーの消耗が激しく呼吸を整えるのに大忙し。ガレ場に出ると展望も開けほっとする。しかし、両脇がガレている痩せ尾根の通過には神経を使う。テープを探しながら何とか池口岳へ取り付いたが、荷を背負っての急登には参った。登りきって右は池口部落へ、左は池口岳の分岐点についた。1時13分に池口岳北峰に着いた。今日の泊まりを「笹の平」と決め込んでいたが、明日以降の行動を考えると池口部落に下りた方が無難なので予定を変更して、再度、北峰に立ち、池口部落を目指した。ルートはしっかりしているがテープを追うことやアップダウンの繰り返しにうんざりする。途中のサラナギ平には水場もありキャンプ地には最適地だ。黒薙から池口岳の雄姿も見ごたえがある。長い下りで足の指を痛めるのが常で、今回も回避できなかった。日が落ちて暗くなった原生林の山道を下り7時半に遠山さんの家に着きタクシーを呼んでもらい山旅を終えた。

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H7.10.5〜8

  白倉川権現橋〜登山口営林署小屋〜中ノ尾根山〜三又山〜鶏冠山〜池口岳南峰〜北峰〜池口集落

★山アザミ頭を垂れて何想う

★山小屋の主役になりし窓の月

★渾身の登山に藪の茂りかな

★登頂の息整えて秋高し

★秋晴れの山に踏み跡残しけり

★月光や原生林の影怖き

★目の前に山幾重かな秋深む

★登山杖片手におんな秋の中

★岳樺葉を落とし空広がりぬ

★林道や揚羽も秋を惜しみけり

中ノ尾根山
南アルプス深南部の山々
  梶ヶ岳
鶏冠山
池口岳北・南峰

第一日、水窪からタクシーで白倉川権現橋まで入る。昨年の林道の崩壊も修復されており、高みの巻き道を通らずに済んだ。泊まりを予定していた営林署小屋よりも更に高みに新しいむ小屋があるのでそこに泊まることに下。登山口や水場偵察し、水を確保してから小屋に入るや雨が降り出した。次第に風雨も強くなり1525mにある小屋は一気に冷え込む。というのは山側以外は全てガラス窓なので隙間風が凄いのだ。真夜中は雨も上がり月光が差し込み結構明るく、蝋燭も用無し。私は夏用の寝袋だったので寒くて眠れず何回も小便起きてしまう。                                     第二日、秋晴れの登山日和になったので大石さんも私も入れ込んで小屋を後にする。北・南の縦走路の分岐点の2214m峰まで一般道なみら整備され刈り込まれていた。我々は北に進路を取り、目の前に広がる笹の多き中ノ尾根山に向かう。二人ともご機嫌で開放感が広がる。原生林に入り、赤テープを追いながら山頂に着いた。展望は望めないが、静寂が我々を優しくつつんでくれる。白逢の頭(2221m)へはガレの縁を急登していくので神経を使い着いた時は草臥れてしまった。三又山には難なく着く。山頂には標識が賑わうように展望が素晴らしい。鶏冠山南峰直下の岩場ではちょっと迷ったが、無事に山頂に(2348m)に立てた。鶏冠岩も言われているほどの難所ではなかった。北峰への下りはの岩場は急降下で緊張を強いられた。北峰から笹の平へ赤テープが見当たらず獣道や踏み跡を辿り一気に下る。ここでの発見は倒木に生える苔が日に当たると水蒸気を発していることだ。テント場がわからないので、行けるところまで行くことにして、池口岳南峰に取り付く。「沼津カモシカ山岳会」の赤布に導かれて水場で水を補給し、近くの原生林の中でテントを張る。真夜中は哀調を帯びた鹿の声を久しぶりに聞く。小便に起きて月を見上げれば、木立の影が恐ろしくなるほどの静けさを醸し出している。                                                                                    第三日、天気報だと白馬や乗鞍に初雪が降ったらしいが、ここは秋晴れで登山日和だ。池口岳を目指して、テント場から少し登り、岩を左右に巻いて急登したので思っていたより短時間で池口岳の南峰のコルに立つことができた。展望は素晴らしい一言に尽きる。8月に歩いた山並みも目の前に広がり、感無量なり。二人とも興奮してフイルムが足りなくなってしまった。南峰の山頂は樹木で展望はなかったが、立てたことの喜びは大きかった。北峰へは小ピークの登り下りで、左にガレがあるため神経を使う。最後の急坂をゆっくりと登り詰めて2ヶ月ぶりに北峰(2392m)に立った。まずは大石さんと握手して登頂を喜びあった。池口集落までは道程が遠いので今回は時間もあることから、楽しんで歩くことにした。サラナギ平で登山者と初めて出会った。それから光岳まで縦走するという女性3人に会った。格好からして本格的な山屋さん見受けした。つばめ飛び交う黒薙で昼食を楽しみ、ガレの縁より中ノ尾根山〜池口岳までの稜線を撮る。大石さんが踏み跡を残してきた山々に向かって「ヤッホー」と叫べど、その越えは秋天に吸い込まれてしまうばかりで、すぐ静寂が戻ってくる。池口岳に雲がかかりだしたので下山を急いだが、途中に三井物産所有林の看板ありで驚く。登山口に着くまでに5人の登山者と出会う。遠山宅について山旅は終わった。


H8.8.3〜5

  白倉川権現橋〜登山口営林署小屋〜中ノ尾根山分岐点〜2214m峰〜2066m峰〜2095m峰〜2062m峰〜黒

  沢山〜シャウゾ山〜奥布山〜自然クラブ

★涼風に身を晒して渓深し

★岩清水詰められて水筒の闇

★月光に青黒く夏峰聳えけり

★伊那の谷眠れる山の星涼し

★山アブや我らも獣藪深き

★熊ノ逃げ去る夏山の恐怖かな

★山靴の歩み止め足る蝮かな

★目つぶれば悔やむルートミス青き嶺

★銀河なし原生林の闇深し

★炎天やくねくねと山路幾曲がり

黒沢山
  黒沢山
自然クラブ 水窪駅

第一日、水窪駅に下りれば必ず駅前の喫茶店で昼食を摂ってから、タクシーで目的地の林道へ入る。前回と同様に白倉川権現橋まで送ってもらった。昨年の運転手なので天気や山の情報を教えてくれる。今日も山の雨雲には注意したほうが良い」と教えてくれた。営林署のゲートが閉まっているために、そこから昨年、泊まった小屋まで歩かねばと思うとうんざりもする。途中、釣り師に会ったが、白倉川は魚がいないとぼやいていた。日帰りで中ノ尾根山に登ってきたというハイカーとも会う。林道も次第に渓と離れて高みへと登って行く。最後の水場で10リットル君で背負えばザックは重くなる。3時過ぎに昨年の小屋にを使わせてもらうことにした。しばらく回りの景色を楽しんでいたら、夕立が激しく小屋の屋根を叩きだした。本降りから2時間近く経てから小止みになれば、雲も流れ出し青空も覗き喜ばせる。真夜中の近くの山中から物悲しい鹿のラブコールが聞こえ出した。                             第二日、天気は快晴。山の冷たい空気は何回も深呼吸してしまうほど美味しい。みずを補給してから5時半に小屋を後にする。今日はオリンピックのサッカーの決勝戦なのでラジオをつけっぱなしにする。日本が負けたナイジェリアがアルゼンチンに逆転優勝。お蔭で知らぬ間に中ノ尾根山の分岐点に着いてしまった。ここから南下して黒沢山を目指す。ここからは背丈もある笹の密集地帯なので踏み跡は藪に隠れなんとか判る程度だが、赤布を追いながら西がを巻くようにして笹の中を平泳ぎするような格好で掻き分けて進む。時には笹の跳ね返りもあって目や顔を打つことしばしば。日が高くなるにつれて笹の露も消え、蒸し暑さだけが増幅しやりきれない。深い笹と倒木の連続で苦しい登降が2062mまで続く。しかし、藪山は獣道を岳人が利用しているとしか思えない踏み跡が笹の中を貫いているのだから面白い。ガイドブックの鹿のヌタ場に出た時はホッとした。この山の領域は我々が出す音以外は何も聞こえない静寂の世界である。これがあるから藪山の旅は止められないのだ。1時に展望のない黒沢山に着いた。                                       ★ここで地図と磁石で確認することを怠ったことで赤布に誘われて南西尾根に入ってしまった。友も私もおかしいと思いつつも相当下ってしまった。途中で熊か思って頭が痺れたり、蝮にであったりししながら藪を漕いで着いたところが「シャウゾ山」である。どうやら黒沢山への猟師道に紛れ込んでしまったらしい。もう4時も過ぎているので来年の宿題にして下山することに決定。これから先はハイキングコースとなっているので整備されている。日暮れ近くまで下って奥布山の平坦地でキャンプと相成った。                                     第三日、静かなる原生林の中にいると生きている森の鼓動が聞こえてくるように、朝は小鳥達の美しい囀りで明けはじめる。朝食後、早々に山を下ると30分程度で林道に出た。ここから長い林道歩きが始まる。日が稜線に昇らないうちは涼しくていいが、稜線を越えたら山陰になる所しか日影がないので暑くてたまらない。途中でオートバイの春日部ナンバーを拾う。こんな山奥までツーリングして来る人がいるのかと感心してしまう。4時間近く歩いて、標高850mにある水窪町の運動施設「自然クラブ」に着いた。緑につつまれた景勝地にあるので眺めがよい。ここでプールのシャワーを使わせてもらったり、タクシーを呼んで貰ったり御世話になった。今回は不注意からルートミスで予定を途中で打ち切ったが、新しい発見もあったので良しとしょう。


H11.11.6〜8

奈良代山林道〜奈良代山〜奥布山〜シャウゾ山〜黒沢山分岐点〜六呂場山〜鹿ノ平〜不動岳〜鎌崩ノ頭〜

黒法師岳登山口〜中小屋ゲート

★秋寂や山の娘すでに嫁ぎをり

★紅葉散る獣道にも山路にも

★獣道縦横無尽秋深む

★ゴーグルして藪漕ぐ秋の昼最中

★天高し植林前の伐採地

★釣瓶落とし原生林を焦がしけり

★静寂なる原生林の星月夜

★天高し獣道とて山を越ゆ

★木の実食う深山の猿と至近距離

★秋雲や身を没すほど藪深き

★天の川一夜どまりのテントかな

★秋寂の鹿の夜鳴きや獣道

★こだわりの縦走終えて秋暮れぬ

★小屋の隅マムシ哀れや瓶の中

黒沢山
六呂場山  


  
       丸盆岳      鎌崩 黒法師岳       バラの頭
 

第一日親友の大石さんと南アルプス一周縦走に挑戦して十年になる。私のルートミスから黒沢山分岐点から鎌崩の頭までの間が最後まで残ってしまった。2年ぶりに懐かしの水窪駅に下りた。何時も立ち寄る軽食喫茶「アルピナ」に入ると雰囲気が違う。若いママの森岡さんはお嫁に行ったのでお店も代替わりしたとかで中華店になっていた。昼食後、タクシーで奈良代山林道が開通したのでいけるところまで入ってもらう。2年前の自然クラブも閉鎖され建物も跡形もない。周辺の山々の紅葉は見頃で絵になるばかり。タクシーを降りてから30分で展望もなく何の変哲もない奈良代山に着いてしまった。天気も良いのでできるだけ高度を稼いでおこうと、2年前のふみ跡を確かめながら先を急いだ。ルートのしっかりした山道をすすみ奥布山に立てば、目の前にシャウゾ山が望め、笹を漕ぎながら思い出の山頂(1835m)に立つ。周辺は以前よりも自然化している。これより先へスキーゴーグルをつけて入山するも前の藪は全て刈られてしまい拍子抜けしてしまう。黒沢山が目の前に広がり、夕暮れ迫る4時半に黒沢山の分岐点に着いたので、そこにテントを張って一夜を過ごすことにした夕闇迫る原生林の天辺が弱々しく赤く燃える光景は寂しさをひしひしと感じさせる。やがて静寂の闇が広がり、空には星もキラメキと、木間越しに山麓や中腹の集落の灯りが見え始める。灯火は見ているだけで人の温もりを感じさせる。                                              第二日、昨夜の満天の星空はどこへきえてしまったのだろうか。空は怪しいなり青空も失われていく。起き抜けに重装備ので登り詰めるのは辛い。20分で昨年間違えた地点に到達。今回は地図を確認して、ガレ場に近づかないように東南へ藪を掻き分けて獣道を進んだところに赤布を見つけて方向の正しさを確認できてほっとした。これから先は稜線を外さないように進むのみ。何しろ我々は獣道を領させてもらっていると言っても過言ではない。木立のない稜線から南アルプスメジャーの山々と富士山が望め歓喜の声を上げてしまった。六呂場峠の手前で初めて猿の大声を聞く。彼らのテリトリに我々が入ってきたことに腹を立て威嚇しているのだろう。昼食をしている時に、大木に一匹のボス猿が上り我々を監視しているのには驚いた。気味が悪いので早々に切り上げて立去る。1時前に展望のない六呂場山に着く。「耳目は欺かない判断が欺くのだ」の標識が登山者の目を惹く。1799m峰から1時間弱で縦走中、一番の悪場の岩場に着く。確かに両サイドが切れてをり、滑ったら命を落すことは確かだろう。ここに5mほどの古い木橋の残骸である二本の丸太がかかっているが、使えないので右側の木の根に支えに下りて向こう側の尾根に取り付いた。精神的に疲れることこの上なし。ここから咲きも獣道か山道か判らない急登の稜線を登って行くが、体力が限界に達してしまう。既に夕暮れが迫っているのにテント場の「鹿の平」に着かない。途中でテントを張ろうと考えたが、適当な場所なく「鹿の平」まで疲れ身に鞭打って重い足を運んだ。何と10時間もの長丁場の疲労困憊でテントを張るや二人とも寝袋にもぐりこんだ。私はまた嘔吐が始まりどうにもならなかった。その時に「今回の山行で南アルプス一周縦走も終わったのだからテント泊まりの山旅はこれをもって終了しょう。記念にこのテントあげるよ」と68歳の大石さんがぽつりと語った。それを聞いた途端に何故か急に寂しさが込み上げてきて「そうだね」と力なく私も頷いた。この時に、心の中で「二人で上った山々の記録を編集して大石さんに贈ろう」と思った。暗闇のテントの周辺は気圧通過から風が強くなり、笹が並みの如く音を立てて鳴き出す。時々、稲光が一瞬暗闇を明るく映し出す。次第に冷え込みも厳しくなってくる。一晩中、笹の波音と鹿の鳴き声をききながら大石さんとの十数年に渡る山旅を一つ一つ思い出してウトウトするばかりで余り眠れなかった。                              第三日、気圧の谷が通過中で天候は不安定。今朝はじっくりと鹿の平を観察しながら不動岳に向かう。鹿の平は笹と草地の広い原で正に山上の楽園である。天気が良かったらゆっくりと楽しみたいところでもある。7時半に念願の不動岳(2009m)に着いた。ここからの歩いて来た山並みが一望できる。てんきも不安定なので山頂を後にして、鹿の平に戻り、はっきりした登山道にを登り詰めて9時40分に鎌崩の頭(2075m)に着いた。ここが今回の山旅の最後のピークで感無量なり。この先が有名な鎌崩で稜線が左右に崩れ通行不能となっている。我々は鎌崩の頭から下り一辺倒の笹深い山路を注意しながら林道におりた。暫らく歩くと黒法師岳の登山口に着いた。これで南アルプス一周縦走が達成したした。今回の山行ほど藪漕ぎが激しかったことは言うまでもない。「鎌崩の頭」の次の峰「丸盆岳から山犬の段を経て寸又峡までの縦走は平成8年11月に実施している。


H8.11.16〜19

  中小屋ゲート〜黒法師岳登山口〜丸盆岳〜黒法師岳〜バラの頭〜上西平〜房小山〜鋸山〜三ツ合山〜蕎麦

  粒山〜山犬の段〜板取山〜天水〜沢口山〜寸又峡

★林道の紅葉見頃や渓深し

★秋暮れて流れも細き深山沢

★長き夜や山に見飽きぬ星座あり

★這い松や初冠雪の丸盆岳

★恐々とガレの縁行く秋の風

★秋深む記憶の中の黒法師岳

★踏み跡の途絶える藪の秋深む

★藪尾根は静まるばかり空澄みぬ

★月光や目を凝らし山下りけり

★落葉踏む己の前に月の影

★新しき小屋二人だけの夜寒かな

★落葉して唐松林天透かす 

  不動岳     鎌崩ノ頭               丸盆岳
                     黒法師岳               バラの頭
                 房小山
 バラの頭      黒法師岳                 丸盆岳


一番眺望のよい天水
前黒法師岳    大無間山   朝日岳

第一日、水窪駅に下りて、駅前の「アルピナ」に寄って昼食をとり、そこからタクシーで山に向かう。タクシーの運転手も顔見知りなので、狩猟解禁になっているから注意するようにアドバイスしてくれた。中小屋ゲートが閉まっていたので長い林道歩きが始まった。葵沢橋からメインの林道と分かれて、黒法師岳方面への日蔭沢林道に入れば廃道寸前で荒れている。 登山口にある窓ガラスもない営林署小屋に着いた。今日はこの小屋にテントを張り止ることにしていたのでホッとした。そこへ丸盆岳に行ってきたという青年や、不動岳に行ってきたという人がやってきた。丸盆岳の人は下りていったので残りの3人で泊まることになった。炉もあるので焚き火して暖かい夜をむかえることができた。寝るまで山の語らいと満天の星に退屈することはなかった。                                第二日、風が強いが天気よし。6時に小屋を後にする。黒法師岳と丸盆岳を結ぶ稜線までは、風が強く急登で苦しかったが稜線に立てば、以前登った前黒法師岳がよく見え感動する。ここから空身で北にある丸盆岳に向かう。山頂まで背丈の低い笹原で稜線漫歩の道が山頂まで続き、山頂からは360度の眺望とあっては言葉はいらない。デュポ地点まで戻り、黒法師岳へは風に煽られながらガレの縁を通過するため神経を使った。11時過ぎに4年ぶりに山頂に立てば、水窪から日帰りハイキングにきたという6人の先達者がいた。この山頂で驚くのは灰皿用の1mはある土管がしっかりと建てられていることだ。変に煙草をすわれるよりは、ここに捨ててもらった方が山火事防止になるのであろう。天気が崩れだしたのでバラの頭に向かう。取り付き点の水場で水を補給して20分で山頂に着いた。ここから麻生山に向かっては道も刈り込まれているように整備されている。南下する上西平方面は藪で手入れされていない。我々は南下したものの道を間違えに気づき元の稜線に戻って、藪を掻き分けながら稜線のど真ん中進む。しかしながら気圧の谷が通過することからホワイトアウトになったので、そこにテントを張って沈殿する。夜の風雨の強さには閉口した。                        第三日、風雨は8時過ぎまで強かったが、やがて雨もやみ、風のみとなり、青空も見え出したので10時過ぎに南下開始。コースサインもない笹の深い尾根の稜線を外さないように獣道を利用して進む。やがて稜線がせままり、道らしきものもはっきりしだし、古い記録に書かれている残骸物もみられるようになったのでほっとする。山頂を一つ一つ確認しながら歩むも、アップダウンの繰り返しにはエネルギーの消耗は激しいことこの上なし。蕎麦粒山に着いたのは5時過ぎで辺りは薄暗くなり始めており、ヘッドランプを装着する時間をも惜しみ、山道に目を凝らしして急いで下るが、途中から山道を月光が照らしてくれたので転ぶこともなく6時過ぎに山犬段小屋に着いた。小屋は広く建てられたばかりなので檜の香り強く、アルミサッシで風も入ってこないのに、時々、檜の爆ぜる音がして何回も目を覚ましてしまった。                        第四日、天気は快晴。7時過ぎに小屋を後にする。小屋の近くにある治山事業中ヘリコプターで殉職した坂元機長の碑の前を通ってまずは板取山に向かう。北面が切り開かれ深南部の山々が一望できる。さらにそこから1時間ほどで稜線で一番眺めのよい「天水」に着いた。黙ってみているだけでこれまで登ってきた山並みが望め感無量。ここから先はハイキングコースで道も整備されている。沢口岳で初めて一人の老人に会う。彼が教えてくれたのは昨日黒法師岳で遭難騒ぎがあってヘリコプターが飛んだという。どうやら我々が会った島田市役所の3人組らしい。黒法師岳で会ったときは地元のだから何でも知っているという口ぶりだった。この話を聞いて二人して笑ってしまつた。山頂には長居することなく寸又峡を目指して下り一辺倒の落葉道を下った。寸又峡は観光客で溢れかえっていた。かくして長い山旅は終わった。


H4.6.21〜22

  寸又峡〜前黒法師岳登山口〜前黒法師岳〜河西林道〜黒法師岳河西林道前黒法師岳〜寸又峡

★山蛭に我が血吸われし梅雨の山

★囀り寂しき山も賑わり

★山道や疲れも忘るイワカガミ

★梅雨晴れの月明かり入るテントかな

★月出でて青き嶺色争わず

★青き嶺藪掻き分けて我立ちぬ

★登り来て急なる山の菜種梅雨

★梅雨の蝶花から花へ生の旅

★藪山の鹿のムクロや梅雨の空

★振り向けば山すべて梅雨雲の中

黒法師岳 河西林道の私                   丸盆岳
前黒法師岳

 昭和42年7月の南アルプス南部縦走で茶臼岳小屋に泊まった時、管理人をしていたのは静岡県大井川町町長渋谷さんの娘さんで、「黒法師岳は登りがいのある山だから」と薦められた。そのことが頭の隅にあり、いつかは登ってみたいと思っていたことが、この山に登りる切っ掛けとなつた。                                         第一日、梅雨曇なのに寸又峡の朝は早い。6時というのに温泉客は散歩がてら夢の吊橋へと出掛けていく。我々は遊歩道の散り口で別れて長くて高い吊橋「飛竜橋」を渡って登山道に取り付いた。途中、倒木を人為的にそちらは通行止めと解釈して真っ直ぐ進んだら道が途中で消えてしまったので、元に戻って倒木を調査したら自然に倒れたままになっていることが判ったので、それを乗り越えて樵道を進んだ。森林の中はジメジメしている。林道工事をしている山肌に出て、足元を見ると山蛭に血を吸われているのにびっくり仰天。気持ちの悪いことこの上なし。それから先の山道も倒木や腐れ木が多く、樹木の墓場を思わせるほどだ。途中で雨が降り出したが原生林の中なので自分の所まで落ちてこない。そんな道を登って展望には恵まれない前黒法師岳に着いた。幽霊を描いた標識に「これより先道なし」と書かれていたが、昭和58年に完成した川西林道までは道は付いていた。ここでガイドブック掲載の水場を探し、渓へ急降下して補給するも難儀した。黒法師岳への取り付け点は程近いところに目印があるのみ。それから先は背丈もむある笹で道なし。先人がつけた赤布を追うか、稜線の真ん中を藪漕ぎする以外ない。我々も大石さんと声を掛け合ってもくもくと藪を漕ぐ。その中で赤い女性用の帽子を拾う。この人も苦労したのであろう。我々の進んでいる方向が正しいことが判ってほっとする。次第に尾根が狭くなり、ふみ跡もあるので登りも楽になったが、歩くこと12時間、疲れ果て山頂直下でビバークとなった。夜は雲も切れて満天の星空。太平洋沿岸の街の灯のキラメキ、鹿のラブコールを聞きながら静寂を心行くまで楽しんだ。やがて月が出て山も明るく、月明かりがテントの中まで射し込み最高の山の夜となった。             第二日、朝日の輝きで目を覚ます。西に雲が掛かっているものの、東の空は晴れ間が見える。すぐ身支度してカメラをもって山頂を目指す。山頂直下は傾斜が強く熊笹の藪漕ぎの登りで、カメラのキャプを落すやらでしんどかった。2067mの黒法師岳山頂はなだらかで熊笹と木立に囲まれてをり、余り眺望はきかず記念写真のみとなった。今回、丸盆岳まで計画したが、天候や下山時間を考えて往路を引き返すことにした。下りも忠実に赤布、赤ペンキを追い、稜線を外さず、藪漕ぎの苦しい繰り返しだが、登頂していることの気楽さから難なく河西林道に着いた。これから先はルートファイデングしないで済むので緊張感が緩む。白ガレの頭を過ぎて熊笹の中を歩いていたら、立派な角を付けたカモシカのムクロに出くわしてびっくもしたが、これが自然の姿なのである。一礼して下山を急ぎ大間川林道の登山口に着いた。振り向けば、どの山も梅雨雲につつまれ今にも降りそうな気配。本当にしんどい山旅だったが、じんーと胸に響くものがあった。


H8.4.13〜15

  寸又峡〜朝日岳〜1883m峰〜三方嶺〜三隅池大無間山中無間山〜小無間山〜田代

★したたかに水貯めている春のダム

★山桜空の青さへ融けあへる

★蟻出でて落葉を攀じる山路かな

★鈴の音に木から木へテン逃げ惑う

★山靴や凍てつく落葉動かざる

★暗闇に春風ありぬ原生林

★暁紅や残雪の稜線遥か

★藪山に獣道あり日脚伸ぶ

★アイゼンも歯がたたぬ雪山の凍て

★感激の雪富士や山暮れにけり

★雪冷えに眠れぬ山の一夜かな

★痩せ尾根に残雪ありて肝冷やす

大無間山を背に 1805mの尾根の切り開きにて         池口岳を背に
南アルプス深南部の山々
   池口岳              光岳                  上河内岳・ 聖岳


朝日岳
南アルプス深南部の山々

  三千米級の全山を登り繋いで太平洋から日本海までの日本列島山岳横断の旅は、平成6年に一本の線で結んだものの、その後、山行を重ねるごとにルートが変化している。現在もその一環として、また、南アルプス全山縦走を目指して深南部の山々への山行を重ねている。今回は丸盆岳から寸又峡を考えていたが、水窪営林署の残雪が多く林道の崩壊もあちこちあって通行止めの区域もあるので注意するようアドバイスがあったので秋に実施することにして、今回は寸又峡〜大無間山まで縦走することに切り替えた。朝日岳には平成5年4月に登っており、大無間山には2回登山しており、その間の稜線を歩くだけなので藪山に登るよりもゆとりがある。                         第一日、4リットルの水を確保して昼過ぎに寸又峡を出発。尾根に出るまでの樹林帯の中の急坂やガレ場には気を抜かず。尾根に出ると3人のハイカーが下ってきた。山頂は雪があるという。アイゼンを用意しているので驚くこともなかった。春のきた尾根道を観察しながら登っていると、テンの逃げ惑いや蟻のお出ましなど色々な発見があり面白い。5時前に朝日岳に着く。原生林につつまれた山頂は薄暗く、雪が30cmほどカチカチに凍りついている。テントを張って風は避けられるが、地からの冷えにはこたえた。中で火を使えばすぐに水滴が付くし、火を消せば水滴が凍ってしまう。足の裏や腰にホカロンを貼り付けて何とか寒さを凌いだ。朝日岳の回りに山がないため一晩中風が吹きまくっている。空を仰げば、原生林の透き間に星が瞬き、我々を夢の世界へと誘ってくれた。                      第二日、天気はよし。6時過ぎに第無間山に向けて出発。平成5年4月に偵察して藪尾根にとりつくも意外にも踏み跡があり、それほど難儀することもなく進めた。道中にコップや空き缶などが落ちていると人の匂いがしてほっとする。幾つかの峰を越えて1805mの尾根に差し掛かると切り開かれた伐採地となり、作業小屋や便所、簡易なヘリポートまであるのにはびっりした。ここからの展望は素晴らしく、しばらく写真撮影を楽しんだ。1883m峰からは熊笹の深い二重山稜になる。先人の記録とおりに左に進むが獣道が入り乱れ糞の匂いの臭さには参った。藪漕ぎを繰り返して突破し、見覚えのある三方窪にでた。ここからは指導標もしっかりしているので導かれるだけ。三方嶺からは展望も開けシャツターチャンスとなつた。この辺りから残雪も多くなり、原生林の急登はきつい。捻挫した昔の古傷が痛み出したのでペースダウンしたので大石さんに先頭を代わってもらつた。雪面に鹿の踏み跡を見つけるが、彼らもスケーティングのように滑っている跡には驚いた。新発見だ。10時間歩いて大無間山に4時過ぎに着いた。山頂は2mを越える残雪で高くなっているので、木立じゃまされることなく夕富士を拝むことができた。些か草臥れたが一日天気と景色に恵まれた最高の山旅だった。水を使い果たしたので今夜は、雪を溶かして水を作り、料理とお茶に使ったが臭みもなく美味しかった。                         

第三日、今朝は雪空で山も薄暗く沈むばかり。雪上のテンとは冷え込みも厳しく良く眠れず、体調も不良となり食欲もわかないが、無理やりに流し込む。山靴も靴紐も濡れたまま凍りついてバリバリ。靴を履くのに一苦労する。雪が深いのでロングスパツとアイゼンを付けて6時20分に出発。山頂からは先人のトレースが付いているので余計な神経を使わないので気分的に楽だ。雪のため山の様相が夏とは一変し、夏の記憶とは全然違っている。元中部電力小屋に達するまで幾つものピークを下るが、その度に雪も少なくなり、やがてアイゼンは用なしになる。小屋のノートを見ると、みなさん苦労して大無間山に登っていることが記されている。ここから登山口の田代までは2時間の下り一辺倒で膝もおかしくなるほど老体にはこたえる。歩きながら大石さんが「重いザックを背負って去年の夏は、よくこんなシンドイ山道を登ったものだね」と振り返っている。「あの時は執念だったね、自分ながらも驚いている」と私は答えた。やっと田代の諏訪神社に着き山旅は終わった。


H5.4.18

  寸又峡〜朝日岳〜寸又峡

★若葉吹く山四方に満つ寸又峡

★咲き満ちて灯りの如き山桜

★春風の唸りや山の木々も鳴く

★囀りの空や峰まであと二キロ

★残雪に獣の跡や朝日岳

★道もなき尾根を偵察春浅し

★カモシカと鉢合わせして声出しぬ

★木漏れ日射す原生林の残り雪

★露天湯や風吹くたびに桜吹雪

★渓谷の横一列の鯉幟

大無間山

寸又峡

★朝日岳から大無間山までの縦走するための偵察に朝日岳に向かう。寸又峡は山桜が見頃で温泉客が散歩を楽しんでいる。温泉街から離れ吊橋を渡り寸又川左岸にある登山口に取り付く。樹林帯の急坂を登っていたら、突然、役場のスピーカーがダムの放流を知らせる。それが峡谷に反響しあって騒音となる。これでは静かな山旅どころではない。尾根の出合い合地ボッ(1232m)まではガレ状の浮石が多く、足場の不安定な所もあり、一ヶ所はザイルも張られているが足場が崩れているので緊張わ強いられた。それから先は急登するにつれて展望もよくなって素晴らしいが、原生林の山そのものでどこか湿っぽさを感じさせる。山頂に着けば、所々に残雪があり、その上に獣の足跡が残されている。展望は望めないが、樹木間越すに見える大無間山は目の前。偵察に左に進路をとって偵察に入るが、藪が酷く途中で引上げた。下山途中でカモシカと鉢合わせしてお互いに睨みあった。帰りの吊橋で強風に煽られた時は一瞬立往生してしてしまった。歩き出すのにちょつと時間がかかった。寸又峡温泉街の公営温泉に入り、登ってきた山を仰ぎ見るのもいいものだ。何時縦走するかわからないが歩けると確信を得た山行だった。


H2.5.24〜27

  田代〜小無間山中無間山大無間山〜中無間山〜小無間山〜田代

★新緑や急登辛き登山道

★沢の音鎮める山の茂りかな

★遠雷が山に近づく気配して

★夏霧の深き所に遭難碑

★名も知らぬ山に雷雲被さりぬ

★迅雷に脅かされたるテントかな

★迅雷にざわめき止まぬ原生林

★落雷や顔の色んなき山男

★青嵐雪を残して山を去る

★空見えぬほどの深山の茂りかな

マイクロ波反射板  

  昨年の秋、日本列島横断で田代〜山伏岳 〜八紘嶺〜梅が島温泉まで歩く時に、田代の民宿「ふる里」に御世話になった。そんな関係で前夜たちで民宿「ふる里」の駐車場にテントを張らせてもらった。また、相当残雪もあるという情報もいただいたのでアイゼンも準備して寝袋に入った。                             第一日、青空の広がる中、諏訪神社の鳥居を潜って登山道取り付く。マイクロ波反射板までは登り一辺倒の急登だが山路も整備されており、重いザックに難儀しながらもその先の中部電力小屋に着いた。途中から天気は急変し雨雲空となり始めたので休憩も短縮して歩くのみとなった。何しろ小さなピークのアップダウンの繰り返しで疲れ、ガレ場の通過には神経を使いへとへと。やっとの思いで原生林の囲まれ展望のない小無間山に着いた。半分以上登ったので気分的にらくだが、中無間山と大無間山に着かないことには話しにならないので頑張るが、どこからとなく遠雷が聞こえ始め、急に何か不吉な予感に襲われ始めた。大無間山に近づけば、残雪が多く、キックステップの登山なった。おまけにザックが横型なので木々の枝にひっかかることもしばしばで難儀する。途中、「坂本さんの遭難碑」に出会い、故人の無念さを思い、私は山頂まで休まずに頑張ってしまった。山頂には一等三角点櫓がある。ここに登れば360度の展望が開け、南アルプスの主脈が望め、みんな大喜び。テントを張り、食事の支度をしていたら、急に気温が下がり、雹が降り出した。テントに入って降る勢いを面白がって見ていたら、突然、稲光が走ったと同時に「ドカン」と近くに落雷。そんな状況が立て続けに起きたので、みんな真っ青になって身を伏せた。その内に一発がテントの後ろの木に落雷。その電流がテントの下を走り、銀箔ウレタンマット使用の3人が感電して手足が痺れてしまった。私はエアマットのため助かった。テントの真上で3時間近く雷の運動会をやられては、逃げるわけにも行かず、運を天に任せて寝込んでしまった。本当に生きた心地のしなかった一夜であった。                                         第二日、鶯の声で目覚める。テントの外は積雪20cm以上もある銀世界にはびっくりしてしまう。櫓から見渡せば南アルプスの主脈は白く覆われている。昨夜の嵐はそれほど凄まじかつたのだ。周囲の樹林は雪の綿帽子を被っていて、冬のクリスマスツリーを思わせるほどで、本当に自然の織り成す素晴らしい景色に魅せられてしまった。青空の下、山頂に別れを告げて下るが、昨夜の雪が激しく融け始め、枝から雨のようにポタポタ降ってくるので、下着までびしょ濡れ。雪があったのでガレばの危険地帯はトラバースして通過した。中無間山からの雪景色の大無間山は素晴らしく何枚も写真に収めた。雪をもたらした昨夜の嵐は夢だったのか、今日は真夏のように暑く、登下の激しい山路のアルバイトにはうんざりする。マイクロ波反射板からは、昨年、登った山伏岳がよく見渡せる。そこに至るまでの道の遠さを改めて思い知った次第。昼食後、一気に田代まで下って山旅は終わった。(エアマットが落雷に強いことが判り、それ以来、職場の山岳部員は全員エアマット使用するようになった)


H1.10.22〜23

  田代〜牛首峠〜山伏岳〜新窪乗越〜大谷嶺八紘嶺〜梅が島温泉

★台風禍林道塞ぐ土砂崩れ

★紅葉の峠は道路補修中

★紅葉して我をもてなす峠道

★山伏の笹のざわめく秋の風

★秋の雪ほどよき富士の眺めかな

★天高し覗くも怖き大谷崩

★紅葉撮る人に出会いし乗越しかな

★運命の出会いありけり紅葉谷

★深秋の山赤い旗たなびけり

★富士見岩ミカン半分拾いけり

猪の股から富士を望む 猪の股の熊笹原

大谷崩と富士山
大谷嶺山頂の私 八紘嶺と富士山
八紘嶺山頂 八紘嶺から笊ヶ岳を望む
八紘嶺から富士山を望む

★伊東に出張したので帰りに、日本列島横断山行の一環として田代から梅が島温泉まで山旅をと思って田代の民宿「ふ る里」に泊めさせていただいた。ここの主人が狩猟会のメンバーなので山に詳しく、牛首峠までの近道を教えてくれた。翌日、教えられたとおり雨畑林道を遡り車両通行止めのゲートを通過して、途中から造林道に入る。刈払いされていて 歩きやすく助かった。牛首峠に出る前に2ヶ所ほど土砂崩れで道が消滅していた。神経を使いガレ場を渡り切って牛首 峠に着いた。ここも工事中でダンプやショベルカーの音には失望した。峠から猪の段まではなだらかな岳樺の樹林が続 き紅葉が一際美しく燃えている。一気に登り詰めて山伏岳に着く。頂上付近は熊笹に覆われた高原状の拾い台地をなし ている。「富士山の眺めは最高で言葉は要らない」。行く手には大谷嶺の凄まじいガレ場が、北にはラクダのコブを思 わせる笊ヶ岳とその後ろに3000m級の南アルプスの稜線が望める。早い昼食を摂り、新窪乗越へと急ぐ。途中で下見に 高校の先生に会う。                                               ★やがて新窪乗越に着けば、左手に大谷ガレが望め、破壊され赤茶つけた剥き出しの山肌は圧巻そのも のだ。暫らく休んでいたら扇の要方面から一人の老人が登ってきた。挨拶を交わすと自然と山の話が弾み、大谷嶺まで 一緒にのぼることになった。山頂は秋日が行き渡り昼寝でもしたくなる気分。初めて自己紹介して相手は、静岡市の大 石さんと知る。帰り静岡駅まで送ってくれるというのでお願いして別れた。一路、八紘嶺へと急いだ。3時近くに五色の頭に着く。明 治時代に中村清太 郎がこのあたりの風景を「山岳渇仰」に書いていることが蘇って来る。日の暮れないうちに下山せねばと焦るも体が疲れ果ていうことをきかない。やっとの思い出八紘嶺に着いた。ここからの富士山の眺めも素晴らしい。左へ行けば七面山で次回に残して下山を急ぐ。富士山の展望随一の富士見台に着けば、新しいミカンの皮が落ちている ではないか 。ちょっと前まで人が休んでいたのであろう。その中にミカン半分残っていたので拾って食べたが美味しかった。もう山は日が落ちて暗くなりだした。山道はわからないので静寂の林道を下る。 所々に「熊に注意」の看板は目に入り、恐怖もあってか掛けるようにして梅が島温泉に下った。ゲートに着いた時に大石さんも到着したので静岡駅ま で送ってもらった。このことが縁で大石さんとは南アルプスを中心とした山旅が始まったように、記念すべき山旅とな ったことは言うまでもない。大石さんに感謝あるのみ。


H1.12.10〜11

  梅ヶ島温泉八紘嶺〜七面山〜登山口

★吊橋やゆれながら見る冬紅葉

★大滝の飛沫の光る冬紅葉

★紅葉狩り過ぎて寂しき出湯かな

★冬の宿闇を残して早や発ちす

★雲海の小島の如き雪の富士

★赤々と朝日の染める霧氷林

★日が昇り霧氷の散る山路かな

★雪山の重なり合える空の青

★冬晴れの富士を眺めし山の旅

★山道の音色奏でる落葉かな

大石さんの案内で大谷崩を見る  
八紘嶺  
                  布引山        笊ヶ岳
ナナイタ大ガレ 敬慎院山門 表参道登山口

★職場旅行の帰りに10月の山旅の続きである、梅ヶ島温泉から七面山まで歩くことにして、静岡市の大石さんに電話して梅ヶ島温泉まで送ってもらつた。ついでに大石さんは大谷崩や梅ヶ島温泉周辺の滝や、ここで鉄砲水事故でなくなった妹さんの慰霊碑などを案内してくれた。今日は登山口に一番近い自炊の温泉付き民宿に泊まった。           ★翌日は4時に起床してパンを齧りながらヘッドランプに案内されて林の中の急登の山路に取り付く。熊への警告としてラジオを音を大きくして登って行く。安部峠と八紘嶺の分岐点で夜が明ければ、そこは木々に咲かせている霧氷の世界。谷間は雲海で何も見えず。高度を稼ぐにつれて朝日に染まる霧氷が美しく見惚れてしまうばかり。富士見台で見た雲海に浮かぶ富士山に言葉は要らない。写真を撮りまくる。この景色が八紘嶺を有名にしているのだろう。3時間弱で発行嶺に着く。改めて素晴らしい山岳景色を眺める。10月になかった山の標識も新しく設置されていた。          ★ここから北に進路を取り七面山に向かう。熊笹の中へ道は没し1964m峰までは倒木も多くて前進を幾度か阻まれたが、朝露がないのでズボンも濡れずに気持ちよく歩けた。この稜線からは目の前に笊ヶ岳などが広がり魅せられてしまう。その背後の3000m級の山々は雪を被っている。しかし、気温の上昇で次第に霞みだす。稜線漫歩しながら七面山の方位盤にタッチして「ヤッター」と叫んでしまった。昭和62年4月に登っているので木曽福島まで繋がった。七面山も大ガレがあり、そこからの富士山の眺めは素晴らしくフイルムを使い切ってしまつた。

 


 

S62.4.5

  表参道登山口〜七面山〜表参道登山口

★ふるさとや前も後ろも山笑ふ

★雪薄き故郷の山や桜満つ

★春の川水の流れも読経かな

★霊山の朝の勤行春の寺

★霊山へ身も引締て春登山

★雪解けや山寺の道ぬかるみぬ

★春の寺読経の信者登り来る

★雪富士を真向かいにして合掌かな

★残雪や山靴の跡汚れをり

★雪富士や日蓮偲ぶ七面山

母のふるさと身延町塩ノ沢集落からの風景・身延山
七面山と大ガレ


左:白糸の滝


                   敬慎院前の富士山展望地⇒
富士山 七面山大ガレ
上河内岳 聖岳       笊ヶ岳と赤石岳 荒川三山 塩見岳 白峰三山

★叔父の法事で故郷「身延」に母と一緒に帰ったので、ついでに前から登りたいと思っていた「七面山」に登ることに した。車で表参道の駐車場まで入った。朝6時ではどこにも人影はなく、聞こえてくるのは白糸の滝の音と、近くの寺 の読経だけである。登山道は鬱蒼とした杉並木に囲まれ、ひんやりとして霊山の雰囲気を醸し出している。暫らく登る と「南無妙法蓮華経」と読経しながら下ってくる信徒団体とすれ違う。敬慎院に泊まりご来光と富士山を仰ぎ見てから 山を下りてきたらしく、みんな生き生きした良い顔をしている。石灯篭が登山口から敬慎院まで一定間隔で立っている ので、自分の現在地点が判るので急登も苦にならない。敬慎院に近づいてくるに連れて北側の登山道には残雪があり、 滑り易く神経を使った。山門の前の広場に着いた時は目を見張った。雪を被る富士山の眺望は見事で自然と手を合せた くなってしまう。何枚も写真を撮りまくる。                                  ★七面山はここから高度300m近くあり、1時間はかかる。高くなるに連れ て残雪もおおくなり、滑りやすく神経を使う。大ガレの縁に出たので覗いてみれば凄い崩壊である。ここからの富士山 の眺めも素晴らしい。母も若いときに登 頂しており、大ガレの恐ろしさをよく口にしていた。大ガレに沿って木立の中 の中の登山道を登り詰めるとパッと視 界が開け七面山(1982m)の頂に着いた。南アルプスと白峰南稜がよく望める。自動シャッターで自分の写真を撮って山 を後にした。

 


 

S63.12.17

  七面山登山口〜下部駅

★薄雪に富士登山道浮き出しぬ

★冬ざれや富士山澄んで美しき

★アルプスの雪まばらなる師走かな

★冬温し山の青さに驚きぬ

★枯れススキ富士に雪降る気配なし

★日の当たる山の部落や冬茜

★凍て滝や水の音止む静けさよ

★白糸の滝凍てて滝行者見ず

★山寺の太鼓響けり滝凍てぬ

★山路踏む後の白さや霜柱

七面山白糸の滝
七面山
富士川ふるさと工芸館から望む毛無山

「日本列島横断山行」では、山脈と山脈の間はどうしても歩行で繋ぐことが多くなる。我が故郷の身延山と七面山を 繋ぎたかったのだが、時間もないので今日は白糸の滝から下部駅に繋げることにした。早朝の身延駅で奈良田行きの一 番バスで角瀬で下りる。そこで七面山に登るという他の二人とタクシーを相乗りして白糸の滝まで入った。そこから春 木川に沿って歩き出す。途中に赤沢部落へ通じる道路が右手に見える。その先に身延山がある。かれこれ5時間を要す るとか。次回にして角瀬から南アルプス街道に入り、ダンプカーの往来となっている街道を東上する。街道筋の家々は 土埃でたまったものではない。この辺りは昔、海だったこともあって魚や貝の化石が出るので県の保護指定区域にもな っている。ここから昔金山のあった毛無山が目の前に悠然と聳え立っている。早川と富士川が合流付近は下山といって、母の親戚が住んでいるところだ。私も子供の頃、母と渡船で渡り、親戚の家を何回となく訪ねた思い出がある。母の父(私の祖父)もここの渡船から落ちてなくなっている。母にとっては小学校に上がる前に前に父を亡くした辛い思い出 の川でもある。今は立派な富山橋が架かっている。橋を渡れば下部駅も近い。

 


 

日本列島横断山行関連登山

●H10・6・26〜28
  二軒小屋〜天上小屋山〜生木割山〜笊ヶ岳〜布引山〜稲又山〜青薙山〜東俣林道

★山百合に言葉を掛けて句を詠身にけり

★梅雨深し林道の凸凹あまた

★山小屋の客二人かな滝の音

★白樺も雨の木々なり登山小屋

★風吹けば若葉ざわめく峠道

★荒梅雨に山野草見る余裕なし

★倒木に青苔茂る自然かな

★山並みも梅雨雲垂れて姿無し

★梅雨一色残念無念笊ヶ岳

★荒梅雨や緊張走る岩場行く

★梅雨激し山路途切れて落着きぬ

★難儀して登路見出す梅雨の山

★梅雨寒や地肌を晒す山のガレ

★藪山は藪茂らせて夏立てり

                   布引山        笊ヶ岳
青薙山

第一日、梅雨明けも近く、運よければ梅雨晴れ間に出会えるかもと信じて出掛けたが、街は晴れていても山は荒梅雨で ある。畑薙ダムまで大石さんの車で行き、そこから東海パルプ子会社のジープに乗り換えて31年ぶりに二軒小屋に向

かう。道中、トンネルの中で野うさぎの子供を轢いてしまった場面もあった。昔の二軒登山小屋とは違って、ログハウ

ス調のロッヂである。周囲もホテル並みに整備されていて気持ちが良い。目の前の荒川三山の山道は昨年の崩壊で通行 止めでで、今年は島経由で千枚岳に登っていくしかないとか。今宵の泊まり客は我々のみだが、夕食はホテルらしく コース料理が出てきた。7品朝食付きで12000円は安い。また、驚くことはケーブルがテレビあることだ。BSなどは都会並みの画面でである。BSでワールドサッカーをやっており、奥山で見られるなんて夢にも思っていなかった。

第二日、曇り空だが雨は止んでいるので5時40分にロッヂを後にして、転付峠(2020m)まで高度差600mを2時間弱で着く。この峠に立つのも30年ぶりのことだ。ここら5分ほどの所に展望台もあり、曇っているが、富士山の眺めが素晴ら しい。原生林の天上小屋山に着いた時に雨も降り出したので、どんどん縦走路を南下する以外なし。生木割山(2539m)に立てば、ケーブルテレビのアンテナが立っているのにはびっくりした。次第に風雨も強くなりだし、尾根も痩せて倉沢 ガレの縁にでたので神経を使って通過。というのは風が強いときは吹き飛ばされるので弱いときに急ぎ足で進み、強く なったら身を屈めて待つの繰り返しだった。そのため安全地帯に入って呼吸を整える始末。なにしろ雨とホワイトアウ トでははっきりした道を進む以外ない。笊ヶ岳に5時過ぎに着いたが、全身すぶ濡れではある。テント場を探すもない ので山頂の這い松の陰にテントを張ったものの、草臥れ果て何もする気力もわかず眠るのみ。私は又最悪の嘔吐が始ま

った。日の出があれば、富士山を見るのには最高の景勝地なのにと思うと残念でならない。大石さんの「俺たちのよう

に雨降る山頂で一夜を過ごす物好きもいないね」が印象的だった。

第三日、雨降る夜明けだが、這い松を飛び回る小鳥の囀りで目が覚める。テントの外は風雨で一色で何も見えず。お粥

を流し込み、5時40分に出発。7時10分に布引山に着く。途中で平成3年の春、老平から標高差2130mの登りぱなしの9時間は本当にしんどかった。雨畑分岐点で南に進路をとり布引ガレの縁を神経を使いながら下り、9時過ぎに原生林につ つまれた所ノ沢越に着く。ここから先はふみ跡も不明瞭で赤布も見当たらぬ藪なので尾根に向かって一直線に藪を漕い だり、倒木を跨いだり、潜ったり、地図の確認を怠らず、3時間の悪戦苦闘の末、見事に突破する。11時50分、何の展 望もない稲又山(2405m)に着く。藪山で迷いながらも山頂に立てた時の気分は最高。これがあるから藪山登山をやめられないのだ。ここから先は稜線沿いのふみ跡もしっかりしていて青薙山まで迷うこともなく、2時28分に最後の山頂に立てた。風雨では展望もなく記念写真を撮って下るのみ。次回は山伏岳から青薙山まで縦走して南アルプス一周縦走が達成

する。今回でその目鼻がついた。山頂から東俣林道までは赤布ふんだんにあり迷うことはなかった。途中の池の平での 湧き水美味しかった。林道に出たら運よく車も通りかかり畑薙ダムまで送ってもらった。

 


 

●H3・5・26〜27

  雨畑・老平〜布引山〜笊ヶ岳〜布引山〜雨畑・老平

★梅雨に入る山の青さよ甲斐の国

★梅天や吊橋揺れて渓深し

★山中に音して遠し隠れ滝

★山頂に残り雪置く青嶺かな

★わびしきは茂りの中の枯れ木かな

★焚き火して残り火を消す残り雪

★五月雨の音に目覚めし山の朝

★梅雨雲に威風も消える笊ヶ岳

★梅雨寒や力入らぬ山登り

★深緑や湖畔に浮かぶ屋形船

  1966年に中村清太郎の「山岳渇仰」を読んで初めて南アルプスの「笊ヶ岳」(2629m)を知った。それ以来、機会があれば登りたいと思っていた山の一つで、今回は若手部員の協力を得て実現することになった。前夜たちで車で雨畑部落 の登山口まで入る。

第一日、天気予報だと何とか一日もちそだ。笊ヶ岳まではガイドブックでも11時間の登りとなっているので、布引山に

一泊して山頂に目指すことにして老平を出発。檜横手尾根取り付き点までは奥沢谷に沿って登って行くが、この間には

谷の底まで200mの高度さもある所もあって緊張を強いられる。途中でトラパース中に足を滑らせて肝を冷やす場面もあ った。揺れる吊橋や岩壁に固定ザイルがあったり、黒部渓谷の水平道を思わせる所もある。檜横手尾根の道はしっかり していて歩き易いが、寝不足や疲労も重なって登り一辺倒の道にはうんざり。展望の開けた布引ガレに着いた時は山頂 も近いのでホッとした。曇り空とはいえ、ここから稲又山、青薙山や山伏岳などが望める。9時間かかって布引山に着

いた。天気はどんどん悪くなっていく。樹林の中の雪を溶かして炊事に取り掛かった。今年は雪が多いという割には残

雪が少ない。これでアイゼンも無用の長物となつてしまった。夜になると山は雲につつまれだし、、雨まじりの風がテ

ントを叩き出した。

第二日、テントを叩く雨の音で目覚める。外は霧一色。これでは素晴らしい景色を望むべくもなく笊ヶ岳に向かう。稜線は視界が悪く見通しがきかないが、指導標がしっかりしているので迷う所はない。緩やかな上り下りが続き、ロープ

が固定されている急登を登り切ると、パッと開け「南アルプスの展望台」と言われている笊ヶ岳である。山頂に立てて

嬉しかったが、霧一色で展望がないため思っていたほどの感動もなかった。中村清太郎の「山岳渇仰」での笊ヶ岳の感 動を実感するためにもう一度登りたいと思う。帰りは、布引ガレの通過、奥沢谷の渡渉、水平道の通過等に細心の注意

払いながら登りの半分の時間で下山した。それほど急登な山路だったのかと振り返って仰ぎ見た。山は全て雲の中。

 


H10・8・13〜15

  牛首峠〜山伏岳〜小河内山〜水無峠山〜青笹山〜青薙山〜東俣林道

★ヤナギラン保護せし山の囲い柵

★山並みや富士見えねども風は秋

★青笹を漕ぐ岳人となりにけり

★風死すと山に暑さがのしかかる

★涼風に囁く草木の声を聞く

★稜線や野宿の空の天の川

★静寂なる原生林の夜涼かな

★獣道行き着くところお花畑

★美しきものに毒ありトリカブト

★山ガレて心ならずも花残す

★奥山の川の蛇行も秋めきぬ

★夏山に苦き思いを残しけり

第一日、10年ぶりに猪の段から山伏岳を目指した。整備されて当時の山頂の変りようにはびっくりする。山伏小屋に 立ち寄って 水6リットル補給して山頂に立つ。ヤナギランが満開で大勢のハイカーで賑わっている。我々はそんな喧 騒を離れて真 西に進路をとり大笹峠から白峰南嶺に取り付く。ここから先は藪道で先人のふみ跡や赤布などを拾いな がら前進するが、藪漕ぎの連続である。今日は水無峠山と決めていたのでひこまで必死になって前進して5時近くにテ ントを張って倒れこんだ。疲労困憊で相も変わらず嘔吐には参った。何しろ体力の回復を願って寝ることに専念した。

第二日、相変らず胃袋は受け付けないが、それでも塩気のあるビスケットとコーヒーを流し込んで6時に出発。水無峠

山は二重山稜なのでなるべく右尾根を進むようにして藪を漕ぎ、ふみ跡や獣道を追う。地図で位置を確認しながらピー クと思う所に立って周囲展望を怠らない。青枯山では方向を定めるのに1時間もかかってしまった。日影沢ガレの縁に 出て初めて自分の位置を確認することができた。180度の展望とお花畑には感動する。高山蝶も乱舞しており、一瞬 我を忘れてしまう光景だ。青笹山までは二重山稜の左尾根を進み山頂らしきピークに出たが感動無し。イタドリ山には

正午に着いた。ここだけはどうしてか山頂標識がある。胃袋に無理やりに果物や羊羹を流し込む。ここから北西に進路

をとり、潅木密林にてこずりながら進み空が大きく開けた小笹平に出た。獣道もあちこち見受けられるが、お花畑もあ

り、全くの別天地なので一服する。ここから最大の難所青薙沢源頭のガレ場へ続く。崩壊地に出てびっくりしたのは、 はじめの80mほどのナイフエッヂ状の痩せ尾根は潅木に助けられ思っていたほどのこともなかったが、最後に尾根に取り付く50m近くは右左に急峻にガレが落ち込んでおり、最悪の状況だ。道幅も20cmしかなく、それもガレに飲み込まれようとしている。そのために補助ザイルを用意してきたが、深呼吸して一気に駆け抜けてしまった。下りにこのコースは使

いたくない所だ。安全地帯に着いたときは、二人して呼吸を整えるのに時間がかかった。ここから高度差200mの急登も

しんどかった。3時半、青薙山への分岐点に立ち、南アルプス一周縦走は終わった。今日は疲労困憊なので青薙山でテントを張って寝込んでしまった。

第三日、青薙山の天気は曇天で降らないだけもうけもの。昨夜、登ってきたという単独者が記念写真を撮ってほしいと

やってきたので撮ってあげる。彼は我々のコースを遡るというのでガレ場には注意したほうが良いとアドバイスして別

れた。東俣林道を2時間掛けて歩き畑薙ダムにつけば、大勢の下山客がバスを待っていた。しかし、北アルプスに比べ

ればたいしたことはない。かくして我々の山行も終わった。

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その他の南アルプス関連山行

★身延山(延べ5回)

  全国で山の数が幾つあるのかインターネットで調べたところ、定かな数の記録は掲載されていなかった。日本の国土80%が山地であることを思うと、その実態を把握するのは難しいことなのかも知れない。そこで1978年発行三省堂の

コンサイス「日本山名辞典」で調べたところ、ここでは山と峠を重点的に収録して、約13,000という数を打ち出している。富士山は日本のシンボルで誰しも 知るところである。

 しかし、私が一番最初に覚えた山の名前は富士山ではなく「身延山」である。何故かといえば、太平洋戦争が始まってまもなく母の故郷「身延」疎開して小学校2年生までの約8年間を過ごしました。家から程近い富士川の対岸 には身延山が聳え、右手に目をやれば、南アルプスの峰々が望めました。身延山は山麓の標高400m付近に日蓮宗総本山 である身延山久遠寺あり、山頂には日蓮が父母を偲んで建立したと言われる奥之院思親閣があります。身延山の参拝客のほか、頂上からの眺望がよいため観光客も多く訪れています。そのように昔より信仰登山が盛んなこともあって人から教わることもなく「身延山」という名前は私の脳裏に焼き付いていったのです。

   本格的に山行記録を残す前には家族と何回も訪れていますが、ここでは山行記録を残すようになってからの5回ほど訪れていますが、母と訪れた時と、都庁スキー仲間と訪れた時の2回を紹介します。

 ●H2.8 .26



●H7.4 .28



 

H7・5・28

★三門の賑わいもなき春の寺

★久遠寺に吾子のことのみ枝垂桜

★咲き終えて人影もなき枝垂桜

★奥の院より故郷の春惜しむ

★ガレ場に残雪ありぬ七面山

★久遠寺の葉桜を背に母を撮る

★宿坊の大表札や遅桜

★夏めくや半袖目立つ登拝者

★新緑の寺の読経に聞き惚れる

★身延山映して植田澄みにけり

母のふるさと身延町塩ノ沢集落からの風景・身延山
Kuonji-temple-Hondou.jpg
三門 本堂 祖師堂
身延山奥の院より「故郷塩の沢集落」を望む

 

H13・10・2

★朝霧や幽玄めきぬ里の山

★山間を細々走る紅葉電車

★故郷や棚田の稲も実りけり

★紅葉狩り天気選べぬ予定日かな

★まず漆紅葉木立を明るくす

★若き日の登山を語る夜長かな

★宿坊の庭紅葉かな身延山

★三門に山より下る秋の風

★秋晴れや言葉要らずの身延山

★若僧が犬の散歩や秋涼し

 

★都庁時代のスキー仲間の安田先輩の定年退職を契機に年一度の懇親登山を続けてきたが、私の定年退職を機会に解散して新たな人たちでスタートさせて安田さんや谷口さんを誘って、これまで通り年一度の懇親登山を復活させた。昨日は八 ヶ岳山麓の唐沢温泉に泊まった。昨日は台風の余波で登山どころではなく、仕方なく諏訪湖湖畔の美術館めぐりをして終わった。 

★今日は素晴らしい天気なので私の故郷「身延山」に登ることにして、甲府昭和ICから富士川沿いの国道52号線を南下して、  まずは、身延山の山裾に設置されている「富士川ふるさと工芸館」を案内する。ここは富士川流域の11町村で管理している地  場産業の1100年を越えた伝統を持つ和紙、雨畑硯や、印章や木工などを紹介しているところである。ここは県民の憩いの場  でもあることから大勢の人が訪れている。また、ここからの天子山塊がパノラマに望める景勝地でもある。皆さんも登ったことも ある毛無山は一際高く直ぐに目に付く。富士川を挟んでの空間と長閑な風景には、みんな感激していた。

★身延山へは、富士川を渡り波高島から東河岸沿いの道路を走り、私の叔母が住んでいる家の前を通り、身延駅に出て、駅  前の新しく生まれ変わった江戸時代風の街並みを見てから、再度、富士川を渡り西上して身延山に着いた。本来ならば、三門をくぐり長くて急な石段を登って久遠寺に行くべきなのだが、谷口さんの足を考えて身延山ロープウェイ駅広場まで車で上ってし まった。ロープウェイで一気に身延山山頂駅まで昇ってしまった。

★北側に少し歩いて山頂標識のある展望台に立てば、七面山、南アルプス連峰、早川渓谷、甲府盆地、目の前に富士見山等 が大パノラマで広がり、感激していた。また、思い出の白峰三山、荒川岳、笊ヶ岳を指指して懐かしんでいた。みんなで記念写真 を撮ってから、日蓮が親思いつつ修行した「思親閣」に行き、お参りして山頂駅に戻った。ここからの展望も素晴らしく、肉眼で私 が小学校2年まで住んでいた家まで見える。天子山塊と富士山が目の前に迫る。言葉などは要らない。初めて身延山を訪れた 仲間が多いので、山を下ってから久遠寺に立ち寄った。今回は私の故郷「身延」に皆さんを案内できて本当によかった。

H18.5 .19




 

H2・10・21

  六郎木十枚山登山口〜十枚山〜大光山〜バラの段〜安部峠〜八紘嶺分岐点〜梅ヶ島温泉

★朝露が直ぐに染み込む笹の山

★山陰の風運びたる落葉かな

★秋晴れの富士に雪なき赤さかな

★秀麗な富士身じろがす秋の暮

★秋天や山頂の鐘叩きけり

★秋深し背丈を越える笹の道

★峠路の紅葉美し展望台

★山径や木の実食いたる獣の跡

★秋風や青空仰ぐ山高し

★沢石に濡れて貼り付く落葉かな

   大谷崩

                 真富士山から竜爪山方面

                    山伏岳                                                                  大谷崩 八紘嶺
       山伏岳                                                   大谷崩         八紘嶺 七面山
        大無間山     笹山 牛首峠                    山伏岳
安部川流域の山々

 安部峠は「オオイタヤメイゲツ」の群生地として山梨県の学術林となっています。

★昨年の10月山行(山伏岳〜大谷嶺〜八紘嶺〜梅ヶ島温泉)の続きとして、静岡市の大石さんを誘って一年ぶりに安部川流域の山に取りついた。ここも 南アルプスの山稜である。本来ならば安部峠から取り付く予定にしていたがねアプローチが悪いことや登りもキツイので、楽な十枚山から逆走して来た。そのお蔭で時間的に余裕ができたので、昭和41年9月25日、第29号台風の鉄砲水から被害で若き命を落とした大石さんの妹さんの慰霊碑に合掌することもできた。

★十枚山登山口まで大石さんの友達のタクシーで入った。そこから山頂へ直登コースを登り時間の短縮を図る。思ったほどのこ ともなく山頂に立つことができた。まずは山頂にある鐘を鳴らし、山神に感謝の祈りを捧げた。山頂からの360度の素晴らしい景色に言葉は要らない。昨日、車で走った富士見峠〜牛首峠までの稜線(特に井川スキー場で撮ったコスモスと富士山が印象に残る)と、その奥にはこの春に登った大無間山の稜線が望め懐かしさを覚えた。

今日の行程は8時間なので早々に十枚山を後にしたが、刈安峠までの道は背丈を越える笹に没し、時には倒木に足をとられ て転倒することしばしば。しかし、静かな山旅を楽しむことができるしっかりした山路で迷うことはない。しかも道脇には竜胆が咲 いていたり、紅葉の枝が垂れていたり、木の実が落ちていたり、実に楽しい山路である。難点といえば、大光山、奥大光、大笹の頭、バラの段等のアップダウンがはげしいことである。また、大光山のガレ場の通過には神経を使った。そのために体力の消耗 は激しい。安部峠への最後の下りの標高差200mの急降下にはうんざりしてしまった。この峠道が我が故郷「身延」と駿河の「梅ヶ島温泉」を結ぶ生活どうで昔から開かれていた。古に行き交った人々を偲びながら梅ヶ島温泉に下った。

 


 

H3・3・2

   安部奥の梅ヶ島温泉周辺を訪ねて(大谷崩、山伏岳登山口、梅ヶ島温泉、真富士山登山口)

★山の湯や春訪れし気配あり

★林道の門閉じて山眠りをり

★春浅し沢音いまだ高からず

★雪山も明るさ残し暮れにけり

★大谷崩凍てつく雪の白さかな

★雲触れて霧氷も咲きぬ大谷崩

★雪化粧して静まりぬ大谷崩

★霧氷咲いて青天ほしき山の空

★真富士山震えるほどの雪化粧

★雪降りて春近づきぬ竜爪山


大谷崩

 

 

H3・11・16〜17

  六郎木十枚山登山口〜十枚山〜十枚峠〜下十枚山〜地蔵峠〜細島峠〜青笹山〜浅間原〜第二真富士山〜 

  第一真富士山〜登山口

★山里に何の恨みや台風渦

★ワサビ田の清き流れや秋の沢

★秋寂や山の茶畑摘み手なし

★深秋に山の緑も色褪せて

★冬近し夕日の落ちる速さかな

★秋山の鐘突けど聞く人もなし

★曇天や目立たぬ富士の雪帽子

★秋冷に遠き山脈見えはじむ

★落葉踏む風少しある山路かな

★美しきつるべ落としの遠嶺かな

十枚山から南下する真富士山までの峰々
  
第一真富士山で富士山の写真を撮る大石さん
 

16日は明日の真富士山下山口に友の車を置きに行くので、そのついでに地蔵峠・青笹山登山口を訪れた。青笹山登山口は「日本のワサビの発祥の地 ・有東木から入る。この辺り一帯は沢の水が豊富で両側にずらりと「ワサビ田」が作られている。作付けから収穫ま で2年もかかるので、最近は後継者のなり手がいないとか。帰りに真富士山のへの林道を登り詰めて車を置き、1時間半を掛けてバス停のある県道まで下った。

★17日、昨年同様、十枚山登山口まで大石さんの友達に車で送ってもらう。山の空はパッとしないが、昨年と同じ健脚コースを登りだし、十枚山に立った。折りしも昨年と同じ時間だったことに驚いたる青空はないが雪帽子をつけた富士山が目の前に広が り、北には南アルプスも望める。南の遥か先の真富士山の行程を考えるとゆっくりもしていられず先を急いだ。下十枚山は展望 には恵まれないが、静かな山頂である。地蔵峠まで幾つかのコブを巻いたが道は笹も刈られており、歩き易かった。峠にはこの 四月行方不明になった少年の捜索写真が掛けられていて人目を引いた。ここから細島峠から青笹山までは地元の青年団による笹刈りが行われているという。しかし、青年団のところから青笹山までは山路は笹の中に埋没。青笹山の山頂は富士山の眺めも

素晴らしく言葉は要らないほどだった。浅間原の高圧電線鉄塔から先の道は2mも越える笹の中に埋没して悪戦苦闘すること30

分。安全地帯に出た時はヘトヘトに疲れ果てた。その中で新しいカラビナを拾ったのがせめてものなぐさめだった。

★第二真富士山までの長い道程にはうんざりしたが、山頂から夕日に輝く富士山は最高だった。第一真富士山とのコルへの下り

に3ヶ所にクサリ場があったが、注意すれば何でもないところだ。第一真富士山に着いた時は夕日が西に傾きかけている。山頂には登山記念の沢山の標識にはびっくりしたが、静寂の漂う山頂で誰にも邪魔されずに景色を観賞できたことや、富士山を横目に見ながらの縦走を終えたことで満足感に浸ることができた。この山頂には地蔵様が安置されており、平野の登山口まで一定間隔で安置されている。そこには立て札もあり、思い思いの歌が詠まれているので読みながら下るのも楽しい。しかし、途中で日没となり、つるべ落としを見送った後は、林の中は暗闇で懐中電灯の世話になったが、気持ちの悪いところだ。薄暗い林道に出て10時間半の山旅は終わった。

 


 

H4・6・20

  賤機山ハイキングコース(浅間神社〜賤機山展望台〜桜峠〜鯨ヶ池)

★梅雨曇り今も眠れる古墳かな

★六月や平和誓いし石碑読む

★山城の跡薄日射す梅雨の空

★二番茶を摘む人の声近づけり

★梅雨雲に竜爪山も沈みけり

★道しるべなる茶畑のテレビアンテナ

★梅雨暑しミカンの葉っぱも萎れけり

★茶畑の広がる丘や夏の雷

★梅雨雲や麗しき富士あの辺り

★茶畑の行き着くところ桜峠


 


 

★竜爪山(延べ3回)

   昭和37年10月23日から静岡市で全国自治体労働組合の自治権対策集会が開かれ、私も東京都職員労働組合首都整備支部執行委員として参加した。当時は登山やスキーに目覚めた頃なので出張先の静岡市で一番近い竜爪山に登ろうと決めて

いた。集会参加者の宿に集会終了後も2泊して登山した山なので忘れがたい山である。この山の縁かわからないが、その後、  静岡  市の大石さんと知り合 い、駿河の多くの山に登ることになろうとは夢にも思っていなかった。

●S37.10   

 

H4・11・3

★林道や我をもてなす紅葉かな

★秋暑し登山して汗吹き出しぬ

山靴の落葉踏む音鈍きかな

★登り来て竜爪山の秋に逢う

★一服の友の煙草や山紅葉

★山頂の暗き木立や虫の声

★家族連れ楽しむ山の薄紅葉

★山腹に赤々燃える漆かな

★犬連れの家族登山や秋の暮

★秋天や見上げる杉の高きこと

竜爪山


               穂積神社  
 

 

H4・11・4

  真富士山登山口〜第一真富士山〜大滝の頭〜引落峠〜俵峰〜駒引峠〜竜爪山〜桜峠〜鯨ヶ池

★汗かいて山になじめば秋の風

★天高し二つ峰ある真富士山

★雪帽子ほどよき富士の雄姿かな

★山頂の石碑輝く秋日かな

★秋寒や遠富士の雪光りけり

★したしたと小滝の音や渓紅葉

★秋風に乗って山頂の声聞こゆ

★遠足やはしゃぐ子供の笑顔かな

★柿一個二人で食いぬ山の昼

★逝く秋や青きワサビの隠れ沢

竜爪山方面 青笹山と十枚山を振り返る
真富士山より見る南アルプスの風景



 


 

H5・4・17

  牛ヶ峰ハイキング

★沢の水淀んでをりぬ落花浮く

★沢音のリズムに合わせ春を詠む

★鶯や沢音遠のく山路かな

★春風や手入れされたる杉木立

★倒れ木に昼寝むさぼるトカゲ一匹

★親友とおしゃべり止まぬ春山路

★走り根の数多なる春木立かな

★山頂へあと一息や山菫

★山桜みて昼寝かな牛ヶ峰

★水枯れに山中の池細るかな


牛ヶ峰から富士山を望む

 

 


 

H5・7・9

  釜石峠〜突先山

★梅天や茶の香りする山の里

★茶畑の山へと延びるリフトかな

★手入れなき山の茶畑荒れにけり

★道標の飾り物なる青トカゲ

★老鶯や山に居ること忘れをり

★じゅわじゅわ汗の噴出す梅雨の山

★沢蟹も登り行く梅雨山路かな

★木漏れ日や我に驚く雉一羽

★春山中昔を偲ぶ歯痛地蔵

★梅雨山路獣はうなり逃げ出しぬ

 

 


 

H7・7・30

  宇津之谷峠

★山百合の花重すぎてしなれけり

★椀で飲む宇津の山辺の清水かな

★沢蟹の身を隠す石踏みにけり

★水中に暑さをしらぬ赤き蟹

★若竹や宇津の山辺は薄暗き

★竹林の涼しきものに沢の音

★涼風や昔人偲ぶ峠かな

★草刈りて峠路守る村の人

★峠路や富士は見えねど風涼し

★ひぐらしや蔦の細道史跡なる

 

 


 

H8・2・10

  伊佐布北滝〜高山

★滝を背に記念撮影冬温し

★寒林の道も細りて消えにけり

★涸れ果てた寂しき沢に落葉かな

★短日や道なき尾根を急ぎをり

★山林に道を求めて落葉踏む

★山頂に標識一つ防寒着脱ぐ

★ウーロン茶飲んで一息や冬の山

★林道や深山きしみに出会いけり

★雪富士や山の茶畑美しき

★老夫婦働くミカン山暮れぬ

 

 

H8・2・11

  細島峠登山口〜細島峠〜青笹山〜田代峠〜徳間峠〜砂子山〜赤岳山〜高ドッキョ〜樽峠〜樽部落

★山晴れて岳人の笑み建国の日

★炭焼きの名残り跡踏み春近し

★眠る山踏みつけて行く我等かな

★山中は深閑として雪ありぬ

★峠路やアイゼンの爪小気味よし

★登り来て日の高かりき雪の山

★見るからに富士山の雪寡少なる

★感動を句にして雪峰去りがたき

★石仏に賽銭ありぬ雪の山

★山靴に優しき雪の山路かな

 

 

 

H8・6・15

  二王山

★蛇イチゴ蛇に出会わず登山せり

★杉木立斑模様の夏夕日

★山蛙飛んで落葉に紛れけり

★江一点茂りの中の山ツツジ

★いい風だ胸をはだけて鶯聞く

★梅雨晴れ間遠嶺霞む展望台

★濡れ落葉踏む山靴の音鈍き

★沢音が涼風を吹き上げて来ぬ

★囀りを何鳥と友聞き分ける

★甲高く犬吠え立てる夏の山

 

 


 

H8・12・21〜22

  牛首峠登山口〜牛首峠〜笹山〜井川峠〜勘行峰〜富士見峠〜三ツ峰〜七ツ峰〜天狗石山〜智者山〜神社

★落葉して空の明けたる山路かな

★富士山に雲一つなき冬至かな

★薄氷張る沢石の青光り

★新雪に踏み跡つけて山暮れぬ

★寒夕焼け山の冷え込み始まりぬ

★冬木立ゆさぶる山の南風

★雪晴れや山の牧場に牛を見ず

★鈴鳴るや雉の逃げだす枯野かな

★寒風をまともに受けぬ伐採尾根

★月冴ゆる冬の集落薄灯り

                    上河内岳                        聖岳                   
大谷嶺と大谷崩

井川湖

 


 




アルプス 山行年表
昭和37年10月 竜爪山
昭和38年7月 竹宇神社〜甲斐駒ケ岳〜仙水峠〜仙丈ヶ岳〜鳳凰三山〜夜叉神峠〜芦安
昭和41年7月 広河原〜大樺沢〜北岳〜間ノ岳〜農鳥岳〜三峰岳〜塩見岳〜三伏峠〜塩川土場
昭和42年7月 新倉〜転付峠〜二軒小屋〜荒川三山〜赤石岳〜聖岳〜茶臼岳〜光岳〜畑薙ダム
昭和62年4月 角瀬〜七面山〜角瀬
昭和63年6月 広河原〜夜叉神峠〜芦安
昭和63年12月 七面山白糸の滝〜下部駅
平成元年7月 畑薙大吊橋〜畑薙ダム〜八木尾又
平成元年10月 八木尾又〜山伏〜大谷嶺〜八紘嶺〜梅が島温泉
平成元年12月 梅が島温泉〜八紘嶺〜七面山〜角瀬
平成2年5月 田代〜大無間山〜田代
平成2年8月 久遠寺〜身延山
平成2年10月 関の沢〜十枚山〜大光山〜安部峠〜梅が島温泉
平成3年3月 大谷ガレ、真富士山中腹
平成3年5月 雨畑〜布引山〜笊ヶ岳〜雨畑
平成3年11月 の段〜十枚山〜青笹山〜真富士山〜登山口
平成4年6月 浅間神社〜賤機山〜桜峠
平成4年6月 寸又峡〜前黒法師岳〜黒法師岳〜寸又峡
平成4年11月 竜爪山
平成4年11月 真富士山〜竜爪山〜桜峠
平成5年4月 牛ヶ峰
平成5年4月 寸又峡〜朝日岳〜寸又峡
平成5年7月 釜石峠〜突先山
平成5年7月 畑薙ダム〜茶臼岳〜任田岳〜易老岳〜イザルガ岳〜光岳〜寸又峡
平成7年4月 久遠寺〜身延山
平成7年5月 久遠寺〜身延山
平成7年7月 宇津之谷峠
平成7年7月 田代〜大無間山
平成7年8月 大無間山〜大根沢山〜光岳〜加々森山〜池口岳〜遠山
平成7年10月 白倉林道〜中ノ尾根山〜三又山〜鶏冠山〜池口岳〜遠山
平成8年2月 伊佐布ノ滝〜高山
平成8年2月 土木〜青笹山〜高ドッキョウ〜登山口
平成8年4月 寸又峡〜朝日岳〜大無間山〜田代
平成8年6月 二王山
平成8年8月 白倉林道〜黒沢山〜シャウゾウ山〜奥布山〜登山口
平成8年11月 黒法師登山口〜丸盆岳〜黒法師岳〜バラの頭〜房小山〜蕎麦粒山〜板取山〜沢口山〜寸又峡
平成8年12月 林道〜牛首峠〜笹山〜勘行峰〜三ツ峰〜七ツ峰〜天狗石山〜智者山〜千頭
平成9年8月 北沢峠〜仙丈ヶ岳〜三峰岳〜間ノ岳〜農鳥岳〜広河内岳〜笹山〜転付峠〜田代
平成10年6月 二軒小屋〜転付峠〜笊ヶ岳〜稲又山〜青薙山〜林道
平成10年8月 林道〜山伏〜小河内山〜青笹山〜板取山〜青薙山〜林道〜畑薙ダム
平成11年8月 鳥倉林道〜三伏峠〜塩見岳〜北俣岳〜蝙蝠岳〜二軒小屋
平成11年11月 林道〜奈良代山〜六呂場山〜不動岳〜鎌崩の頭〜黒法師登山口
平成12年8月 鳥倉林道〜三伏峠〜小河内岳〜荒川岳〜赤石岳〜さわら島
平成13年10月 身延山
平成18年5月 身延山
   
H22.7.11 現在 45回
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