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法学部都心展開を軸とした中央大学の展望
https://yab.yomiuri.co.jp/adv/chuo/feature/20220217.php?utm_source=yomiuri
中央大学 校歌・応援歌・学生歌
https://www.nicovideo.jp/watch/sm11882682
中央大学校歌
https://www.youtube.com/watch?v=k7p7CRVP1YM
中央大学 校歌・応援歌・学生歌
https://www.nicovideo.jp/watch/sm11882682?via=thumb_watch&at=title&state=started&from=951
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昭和38年3月に中央大学を卒業したが、卒業後、暮らしていく中で母校を意識したことはほとんどない。正月の風物詩となっている箱根駅伝競走は母校を意識して在学中から現在まで応援している。在学中は横溝選手や南館選手が活躍して母校が連覇を重ねていた一番華やかなりし頃で、ラジオの実況放送を聴いてイメージしながら応援していた。今はテレビの生の映像を見ながらこちらも声を出して応援している。 ★65歳を過ぎたあたりから一線を退いているクラスメートからクラス会をやらないかと誘いを受けたり、学員会「白門三八会支部」から同期会の案内が届いたりしたことから、母校を意識することもしばしば。 ★振り返ってみれば、記録に残すことが得意な私であるが、在学中の記録も何回も引越しを繰り返したことで、その度に整理してしまったことから卒業アルバムと卒業証書以外は忘却の彼方へ流れ去ってしまったことは言うまでもない。平成25年2月に「白門三八会支部」から同期会の案内をいただいたことを契機に、改めて残っている記憶を集め、卒業生53万人、我々の同期生5学部合わせて8100人を超える巨大化したマスプロ大学であるが、当時の母校を振り返りながら編集してHPに掲載する。
★校歌はここをクリック
中央大学のあゆみ ★中央大学は1885(明治18)年7月、東京府神田区神田錦町2丁目2番地に、英吉利法律学校として創設されました。創立者は、増島六一郎、高橋一勝、岡山兼吉、高橋健三、岡村輝彦、山田喜之助、菊池武夫、西川鉄次郎、江木衷、磯部醇、藤田隆三郎、土方寧、奥田義人、穂積陳重、合川正道、元田肇、渡辺安積、渋谷慥爾の18人の少壮法律家といわれています。
★明治維新後、わが国では文明開化のスローガンのもと急速な西洋化が進んでいました。そうした状況の中で、法律関係の高い学識が求められるようになり、法学教育への需要も高まっていました。
★英吉利法律学校新校舎=設立当初の校舎は旧旗本蒔田家の屋敷で、約800坪の敷地にあった家屋300坪余を教場としました。同年9月10日に開校した同校の初代校長には増島が、また幹事には渋谷慥爾が就任しました。
★1892年、本学は神田大火により校舎を全焼し、高橋法律文庫など貴重な財産を失いましたが、神田一ツ橋の帝国大学講義室に仮教場を設けて、同年8月の校舎再築までここで授業を続けました。
★駿河台校舎=1931年、夜間学部を開設、また1944年には工業専門学校を新設、さらに1948年には通信教育部(法)を開設しました。
★多摩キャンパス=1978年4月、教学施設充実計画にもとづいて文系4学部(法・経済・商・文)は多摩校地へ移転し、また理工学部は後楽園キャンパス(文京区春日)を増築してこの計画を完了しました。
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