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群炎展
(平成22年11月3日) ★さいたま市地域中核施設「プラザノース」で私達は月2回ほどパソコン教室を開いている。その帰りに楽しみにしているのは、ここのギャラリーで時たま開かれるアマやプロによる作家の展覧会を見ることだ。今日は文化の日とあって群炎展が開かれていた。どんな美術団体か知らないが、こじんまりとした展覧会で平面表現、立体表現の作品が展示されている。案内パフレットを見ると、群炎美術協会は昭和37年に日本橋三越で東京芸大出身者が中心になって「具象展」を開いたのを切っ掛けに、既成の美術団体にはない自由な創作発表を旨とする個性重視の闊達な団体を設立したと書かれている。東京都美術館を展覧会会場として半世紀を迎えようとしているという。 ★群炎展は群炎美術協会が東京都美術館で毎年11月に開催する公募展で、(1)絵画、(2)工芸、(3)人形美術の3部門からなり、それぞれ作品を広く一般、会員から募集している。群炎美術協会の理念は「個性を尊重し、展覧会を通じ各自の美術に対する主観的態度の確立を期し、もって、『日本美術』の進展に寄与すること」とするとしている。作品の作風に「師匠<==>弟子」という因習にとらわれず、個々人は自由闊達を基本姿勢として作品制作に励んでいるとのことだ。 ★今回の作品も展示作品は240点。会員の作品が175点(137人)一般公募65点である。大規模なメジャーの公募展とは違って、規模が小さいことから、このような街中で身近なところで開いていただくと、作品がどうのこうのと云うことではなく、素直に美術作品に大勢の人が触れられることは素晴らしいことだ。日常生活の中で作家の作品を飾るというよりも、自分の作ったものをインテリアとして飾り生活に潤いを持たせるヒントもこのような美術展にはある。 ★私の好きなのは、絵画、写真、彫刻であるが、今回、特に印象に残ったのは次の2点。一点目は浜 茂子さんの「刻跡」。これは寂れた工場を描いている。そこには時の流れを私には読み取れることが出来る素晴らしい作品で、やはり群炎賞に選ばれているように力作だ。次に写真で新庄洋さんの「三ツ池の桜」、作品は盆栽を鑑賞しているような錯覚に陥るほど桜と池の構図のバランスと空間が私は好きだ。美術鑑賞が趣味の私も今年は、都内に出る機会が少なくなったことから、招待券が手に入りにくくなったことから、次第に足も遠ざかり、身近なマイナーな美術展に行くように切り替えた。パソコン教室に来る度にプラザノースのギャラリー開催展を楽しみにしている此の頃である。
▲さいたま市盆栽美術館
(平成22年9月26日) 9月26日、伊奈学園専科一期郷土を知るコース第2回「郷土の会・交流会」を実施しましたところ、26名参加をいただきました。今回は二班が担当することになっていましたので、7月5日に打合せ会を開き、今回は少し趣を代えて、さいたま市盆栽美術館と漫画会館を見学してから、懇親会を開くことにして本日の開催の運びとなりました。9月中旬まで猛暑の連日で各方面に大きな悪影響をもたらしましたが、台風の訪れとともに、ウソのように過ごしやすい天気となり、本日も暑くもなく参加者のみなさんもホッとしていたのではないでしょうか。土呂駅に集合して盆栽美術館まで歩きました。距離としては短く物足りませんでしたが、懇親会を控えていることを考えると、程良い距離でした。初めての公立の「盆栽美術館」として、今年の3月に開館しましたが、私をはじめ参加者の多くが訪れるのは初めてとあって期待していました。私も盆栽については何も知らないので、事前に調べて訪れました。
★盆栽とは草木を鉢に植えて、枝ぶり、葉姿、幹の肌、根及び鉢の総称、もしくはその姿全体を鑑賞する趣味。また、その植物の、野外で見られる大木の姿を、鉢の上に縮尺して再現することを目指すものである。そのために剪定を施したり、自然の景観に似せるために枝を針金で固定し時に屈曲させあるいは岩石の上に根を這わせたりと様々な技巧を競うのも楽しみの一つとされる。施肥、剪定、針金掛け、水やりなど手間と時間をかけて作る。生きた植物なので「完成」というものがなく、常に変化するのも魅力の一つと云われている。 ★盆栽の歴史 中国で唐の時代に行われていた「盆景」が平安時代に日本へ入ってきて始まり、江戸時代になると武士の副業としても盆栽の栽培が盛んになり、盆栽や園芸は興隆する。明治以降も盆栽は粋な趣味であったが、培養管理には水やりなど手間と時間が必要なために、生活環境の推移によって次第に愛好者は時間的余裕のある熟年層が多くなった。そのため、戦後から1980年代ぐらいまでの間は、年寄り臭い趣味とされた。しかし、1990年代以降盆栽が海外でも注目を集めるとともに見直す動きが高まり、若者の間でも粋な趣味として再認識されるようになってきている。 ★展示されていた盆栽(19点)私の気に入った五葉松(日暮し)「大小ふたつの幹の間に抱えこまれるようにして生まれた空間が、不思議な魅力をもって鑑賞者の視線を引き寄せる。本作の銘は、新潟の石油王として知られた中野忠太郎により、一日見ていても見飽きないという意味を込めて命名された」と解説。★絵画の鑑賞と違って、余りにも身近な自然景観をなしている植物のミニチュア版とあって、そこまで時間を掛けて作り上げる作者の努力は、どの作品を見ても伝わってきますが、日暮しの解説文のような見方は個人の感性と豊かな想像力によるところが大きく、何も知らない私にとっては、そういう見方をしていくのかと学ぶことばかりでした。多くの人を感動させる観点から見れば、盆栽も芸術作品と言っても過言でないと思いました。日本には平安朝時代より盆栽文化が根付いてきたことも確かなことである。記念に一句詠みました。
盆栽も秋めく広きお庭かな
▲埼玉県立近代美術館展示作品 (平成21年6月9日−さいたま市)
さいたま市シニアユニバーシティ大宮校六期校友会六班の班活動として、毎年6月は美術鑑賞と決まっている。これまでは上野や六本木などへ出掛けていたが、班員の中には健康がすぐれず体調不良の人もいることから、出来るだけ集まりやすい所にしようということになり、今年は大宮近辺で開くように心掛けて実施している。今回は昼食会を開いた後、埼玉県立近代美術館で開かれている第60回県展を鑑賞しようということになった。11時に北浦和駅に集まったのは11人中、9人が参加してくれた。残りの二人も病気で欠席も止む得ないことを考えると100パーセントに近い出席率になる。まずは腹ごしらえしてからということで、「りそな銀行本店」前のお店で全員が向かい合っての昼食となった。ここで様々な情報が交換された。これから一年の班活動計画は美術鑑賞の後に話合うことにして、昼食後、早々に美術館へ向かった。 美術館は県展が開かれていることもあって、普段よりも賑わっている。とにかく館内の鑑賞は自由に見てもらうことにして、館内の喫茶室前に1時半に集合することにした。それぞれが自分の好みの会場へと向かった。私は●MOMASコレクション常設展示室から見ていった。今回は22年度1回とあって所蔵作品の中で第一級品を展示している。 ★ピカソの静物(テーブルの上にある 蝋燭や食器等)は、面で捉えるキュー ビズムの手法であるが、まだ具象化の 域にある作品で自分の部屋に飾っても 誰がみても理解できる絵で落着きがある。 解説を読むとこの作品は1944年の戦争中 に描かれ、ピカソは戦後、自分は戦争を 描かなかったが、しかし、当時の私の絵 の中には戦争があることは疑いない」と 語っている。 次に何と言っても、この美術館一の宝は ★クロード・モネ「ジヴェルニーの積み わら、夕日」ではないだろうか。この作 品を私も何回も見てきたが大気や光りに 包まれてあらゆるものがのんびりとみえる。 モネのもう一点は、私の好きな★「ルエルの眺め」で、この作品をみているだけでも、田園風景の中に水辺に映る樹木や空と釣糸を垂れる少年の瑞々しさ伝わってくる。この作品は何回見ても見飽きない。 日本人画家では寺内萬治郎の★「裸婦」、「横臥裸婦」や「うずくまる裸婦」である。これらの作品を見ていると血の通う生身の熱気と躍動感を感じずにはいられない。アンドレ・ドランの★「欲女」も力強いタッチで迫ってくる。寺内の作品と比較してみると、ドランの作品はどちらかと言えば、そこに女性の柔らかさを感じ取れないのは私だけであろうか。 ●第60回県展は、日本画163点、洋画525点、彫刻54点、工藝186点、書330点、写真488点計1740点が出品されている。特に工藝で私の近所の人が出品されているのか知りたかったので会場で探したり、目録を見たところないので入選しなかったのであろう。このように大勢の方が自分を表現する形で発表の機会をもてることは素晴らしいことだ。制作を続ける上でも励みになる。私の目に止った作品を写真で紹介したい。
鈴木康広展
〜まばたきにご注意下さい〜
(平成22年3月3日) さいたま市地域中核施設「プラザノース」で私達は月2回ほどパソコン教室を開いている。その帰りに楽しみにしているのは、ここのギャラリーで時たま開かれるアマやプロによる作家の展覧会を見ることだ。入口でいただいた案内パンフレットのタイトルのとなりに、「まばたきにご注意下さい」とかかれている。タイトルからしても現代美術であることは誰でもわかることだが、一般的に美術と言えば、花鳥風月の世界を見慣れている私達にとって、旧来の芸術観では割り切れない現代美術の作品は理解しがたいところが多く、興味のない人には「これが芸術」と失望されてしまうことが多い。 ●鈴木さんの作品も同様だが、私が鑑賞していて面白いと思ったのは、「まばたき」は受験写真のような顔写真を何枚も針金を通しつなぎ合わせ風を吹きつけると、それぞれがくるくる回って、まばたきのように見え、そこに作家の最大のポイントがある。「まばたきをする瞬間、人は何かを見逃している。けれどその一瞬の空白があってこそ世界は生き生きと動き出すように感じる」と語っている。これは何もわからない子供でも、顔写真がそれぞれ違った形で回転する面白さを実感して興味をしめしている。 ●また、「まばたきの葉」も木のような高い筒の先から紙ふぶきをどんどんと会場の床上に降らせている様も、会場に来ている親子を巻き込んで遊んでいる光景を見て、作者の意図していることよりも親子にとって遊びの対象として楽しんでいることが、この作品のよさであると私は思った。だから作品の作り手と鑑賞する人の受け止め方は違ってもよいのである。従来のような固定観念で作品を見るのではなく、現代芸術は、奇抜な仕掛けに意表を突かれたり、社会的イメージを考えさせたり、作家それぞれの固有のモチーフと表現が見出されていることを感覚的に何かを受け止めればよいのではないだろうか。 |
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地域文化を知る 楽天をめぐって
〜春を寿ぐ日本画から風刺画まで〜
(平成22年1月20日)
昨年、さいたま市シニア大学大宮校校友会協議会第一回ウォーキングは、自分の街を知るという観点から実施され、その時に初めて盆栽村の一角にある漫画会館を訪れた。さいたま市立漫画会館は、日本近代漫画の先駆者「北沢楽天」の晩年の住居跡に、日本初の公立漫画美術館「漫画会館」として、北沢楽天の意思を受け継ぎ、漫画を文化として育てることを目的して昭和41年に開館。漫画文化の普及を目的とした美術館で、北沢楽天の作品や遺品の展示をしている他、様々な漫画に因んだ特別展示をおこなっている。同館は漫画とユーモアに着目し、特色ある文化事業を行っている。楽天は、明治〜昭和初期に活躍し、当時「ポンチ絵」として評価の低かった風刺画を、近代漫画として確立した人である。また、楽天は日本初のカラー漫画雑誌「東京パック」を創刊し、日本の職業漫画家第1号として活躍していることと初めて知ることばかりでてると、鑑賞記を書いている。 ●今回はさいたま市地域中核施設「プラザノース」で漫画会館所蔵作品展として上記のタイトルで開催し、市民に公開してくれた。案内を呼んで知ったのは、明治期に外国から入ってきた「comicコミック」「cartoonカートゥーン」の訳語として「漫画」という言葉を広めたのも北沢楽天だったという。「楽天語録」漫画で風刺するのは百篇の文字より千万語の言語よりも力がある。 考えてみれば、日本は昔からマンガ大国で、平安時代の絵巻物、世界初の絵のマンガとも言われる「鳥獣戯画」を生み、現代のアニメ大国へとその流れを引継いでいる。今やマンガやアニメは日本が世界に誇る文化の一つであることを思うと、漫画文化を資源の一つとして世界に向けて大いに発信すべきである。楽天の作品は、どんな画題でも生き生きとその情景を描きだす、観察眼と描写力が凄い。
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