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専科一期校友会ホームページが壊れた

(H24.1.31)

 玉置校友会会長から3/7に開催される「学習会」の案内パンフレットをHPに掲載してほしいとメールがあった。インターネットに載せる前の専科一期の作業HP画面を出してナビゲション(HP骨格図)を開き、専科校友会のトップページをクリックしたものの、開かないので2〜3回連続でクリックしたら、突然、ナビゲションが消えてしまった。これが消えてしまうと、これからの掲載作業が出来ないことになる。取りあえず、インターネットを開いて見ると1/29までの画面は正常に表示されていることから、専科一期校友会HPの「インデックス=核」は消滅していないことがわかった。そのインデックスがどこかに隠れているに違いないと思って、その画面のボタンを全て操作しても復旧せず、私の技術では万事休すで本当に焦ってしまった。                                  ★まずは、伊奈学園ホームページ編集委員長に連絡し事情を説明して診断を仰いだ。1時間後の返事だと「あれこれと操作して見たがお手上げなのでナビゲションを再構築する以外ない」とのことだった。編集委員長も新しいインデックスを作りナビゲションを作り出したものの、手がつけられずそのまま返してきた。インターネットを開くと、編集長のナビゲション作りも手伝ってか1/29のHPもあちこち壊れていた。これでは皆さんが見ても戸惑うので、ナビゲションの再構築を急がねばと焦った。一口にナビゲションの再構築というが、3年分の資料をもとに新しいページを作ることである。大項目の「校友会・行事予定・お知らせ・クラブ活動・みんなの広場・アーカイブ・思い出の学園生活」7項目、その下に18の中項目、その下に13の小項目とそれを肉付けするページ作成と、それに加えて92Pを作らねばならないので大変な作業となるのでガックリ来ることこの上なし。                                          ★そこで、「どこかに隠れてしまったインデックス」を簡単に復旧する手立てはないものかと、伊奈学園ホームページ技術委員長とホームページサーバー所有者に連絡して事情を話したが、各期HPのバックアップは取っていないと知らされたことから、ナビゲションの再構築しかないことを思い知らされた。コンピュタを使ってホームページを立ち上げるにも、そのためのソフトウエアを使い、マニュアルに従って作業を進めて初めて開設できるのだが、マニュアルにない故障の場合などは復旧することが難しい世界であることを、お二人を通しても痛感させられた。                           ★ナビゲションの再構築を図るからには、これまでもページの多さを解消したいと思っていたので、圧縮を考えたりしてリニュアルすることにした。私もナビゲション(HP骨格図)の写しは残していないので自分の頭の隅にある記憶を頼りに取り掛かった。幸いしたのは、3年間積み上げてきた資料がファイル別に整理されて残っていることである。そのファイルを開けて、7つの大項目のインデックスを「校友会・行事予定・お知らせ・クラブ活動・みんなの広場・アーカイブ・思い出の学園生活」を新しい核のインデックスに繋げていき、それぞれの大項目の下に中項目のインデックスを繋げ、それぞれの中項目の下に小項目を繋げ、更に文書一つ一つをマニュアルにしたがってページに貼り付ける作業を繰り返し、1/30の午前10時に開始して、午後11時にやっと終了した。ヘトヘトに体力を消耗し、頭も疲れてしまった。これを一応インターネットに繋いで見ると、繋がらない部分もあるので翌日の1/31に伊奈学園HP編集委員長に連絡してインターネットに繋げていただき、今度はそれを一つ一つ点検して、正常でない箇所はナビゲションの張り替えしたり調整しながら繋いでいく作業が翌日も続き、やっと正常な状態のHPに戻った。二日間の苦労は人には言えない大変なものだったことは言うまでもない。                                         ★専科一期校友会ホームページを維持管理して、会員の皆様にインターネットでお見せするまでには、ホームページ委員の苦労があることも知っていただきたいことと、ホームページの充実を図るためにも皆さんの投稿をお願いしたいのです。私たちHP委員の代わりがいないことや終了の期限もないので会員皆さんのご協力を宜しくお願いしたい。

(専科一期校友会HPアクセス管理人 岡村)


日帰りバス旅行=10/31 松代町史跡めぐり=

 

大宮で久しぶりに専科一期のクラスメートに会う。そこには笑顔と会話が弾み楽しい旅を予感させてくれた。参加者は57名です。旅好きの私は個人的にも松代町の文化遺産や遺 跡の見学には期待していた。好天には恵まれなかったものの、今回も旅で得たものは大きかった。

松代大本営跡は、太平洋戦争末期、本土決戦に備えて極秘のうちに大本営、政府各省庁 等を松代に移すという計画の下に構築された遺構群です。日本(当時の大日本帝国)の国家中枢機能移転のために長野県埴科郡松代町など(現在の長野市松代地区)の山中に掘ら れた地下坑道跡。象山、舞鶴山、皆神山の3 箇所が掘削された。また舞鶴山地下壕付近の地上部には、天皇御座所、皇后御座所、宮内省(現在の宮内庁)として予定されていた。 この工事には、多くの朝鮮人労働者が動員され、過酷な労働を強いられた。しかし、その犠牲者などについてはほとんど明らかにされていない。馬鹿げた遺構を見て、山本五十六 海軍総司令官は国際的な観点から見ても物資の乏しい日本は負け戦であることが判っていたが反対しても抗しきれなかつた悲劇を垣間見る思いがした。

 ★池田満寿夫美術館は岡本太郎「太陽の塔」、丸木位里「原爆の図」、池田満寿夫「草の上の劇場」の三人は私が好きな画家である。共通点は世界で大きく評価されているが、個 人の独創性や強烈な想像性を毛嫌いする保守的な日本画壇では正等に評価されていないことである。そのようなところが私の反骨精神をくすぐりファンである由縁でもある。特に 池田満寿夫の作品を見ているとピカソに通じるところもある。池田満寿夫美術館は、長野市出身の国際的芸術家の名を冠した唯一の美術館、として、信州・長野市最南端にある真 田十万石の城下町、松代町に1997 4 月開館。この美術館は栗のお菓子で有名な竹風堂が スポンサーとして運営している。(岡村) 松代城址


●ホームページ委員の活動
1、専科校友会HPトップページ作成
2、専科一期校友会新HP作成
3、専科校友会HP及び専科一期新HPを立上
4、専科一期校友会HP掲載状況作成(4月号〜9月号
5、専科一期校友会ニュース作成(第1号〜第6号
6、専科一期校友会各コース活動